貴族派閥会議の開始 ― 目的の喪失
大広間はまだ飾り付けも進まぬまま、白布を掛けられた長机が並ぶだけの仮死状態だった。
金糸刺繍のカーテンだけが立派に垂れているのは、この企画に最初から魂がなかった証のようでもある。
議事の中央にいるのは、慈善派閥の幹部達。
彼らは胸元の徽章を光らせ、いかにも「人々を救うために集った」という顔をしている。
しかし机上に並ぶ資料は、たった一人の沈黙によりすべて無意味な紙束へと変容していた。
議長が音を立てて資料を閉じる。
それは会議の開始ではなく敗北の宣言のように響いた。
「……ユーフェミア嬢の救済を目的とした寄付イベントについてだが」
声は震えていた。臆病ではなく、“前提の崩壊”に怯えている震えだ。
「脅迫状が送られたそうだな。しかし……彼女は開封しなかったという」
沈黙。
その沈黙は恐怖ではない。
舞台に立つ役者が誰もいないことを悟った観客の沈黙だ。
別の貴族が書類を手で扇ぎ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「涙も怯えも見せない。脅迫事件に反応すらしない。
これでは救う対象が存在しないのでは?」
囁くような発言に、会議室の空気がざらりと動いた。
「しかし彼女は女学生だ。脅迫状など、恐怖で震えるはずだろう」
「震えていないのです」
「……どうしてだ?」
誰かが、答えてはならない疑問をぶつける。
「開封しなかったからだ。脅迫は読まれて初めて脅迫になる。
未読の脅しはただの紙だよ」
その瞬間、会議の前提が音を立てて崩れた。
涙はまだ生まれていない。
怯えは観測されていない。
ヒロインは傷ついていない。
すべての慈善は“被害者の存在”を燃料として成立する。
その燃料が無い。
燃え上がる炎を期待して積み上げられた薪は、湿った木材ほどの価値もない。
貴族たちの視線が宙を彷徨う。
彼らは己の善意が、困窮や悲劇を演出するための脚本でしかなかったことを初めて突きつけられた。
善は需要がないと発動しない。
救われる者がいなければ、救済者はただの観客だ。
誰かが小さく咳払いをした。
それは「会議を先へ進めよう」という合図ではなかった。
この会議は初めから成立していなかったと全員が理解する動作だった。




