従者の反応 — 共感ではなく恐怖
沈黙は執務室の空気を硬化させていた。
重石のような時間が、王子の肩に乗り続ける。
だが従者は慰めの言葉を口にしない。
――それは不敬ではなく、自己防衛だった。
王子は机に平手を置いた。
力は弱い。叩きつけるというより、支えを探す手のようだった。
その手の震えを、従者は見てしまった。
見てしまったがゆえに、目を逸らせない。
従者の喉奥に、冷たい鉛が沈む。
この方の正義は、悪を見つけなければ生きられない焚き火だ。
燃料を奪われた焚き火が、最初に焼くのは――自分自身か、それとも世界か。
胸の内で言葉が形を成す瞬間、従者は背筋を凍らせた。
それは忠誠に反する不遜な思考ではなかった。
むしろ忠誠ゆえの直感だった。
王子の正義は理念ではない。
誰かを救うという倫理でもない。
悪を前提にした自己肯定の装置だ。
だからこそ、悪役が消えた瞬間、王子は虚空に放り出された。
万能の剣は向ける対象を失い、刃は手元で跳ね返る。
救済は存在しない。
罪も加害者もいない。
ただ、満たされない英雄性が膨張し続ける。
従者は一歩だけ身じろぎした。
逃げるためではない。
ただ、距離という安全を確保するために。
――この方は、いま傷ついている。
だがその痛みは、ゆっくり熟成すれば毒になる。
王子自身を焼く炎に転じるか、無垢な誰かへ飛び火するか、誰にも予測できない。
共感ではなく恐怖。
従者の胸中に宿るのはその感情だけだった。
そしてそれは、忠誠の誓いを静かに蝕み始めていた。




