ユーフェミアの「不参加」という致命傷
従者は、静かに卓上の報告書を指先で押しやりながら言葉を継いだ。
声は震えていない。
ただ、乾いていた。
従者
「ユーフェミア殿は……脅迫状を開封しませんでした。
脅威と認識せず、機能を転用しただけです。」
それは淡々とした事実の羅列に過ぎない。
だが一文ごとに、王子ライナーのまぶたが僅かに痙攣する。
怒りではなく、理解不能に踏み込む最初の兆し。
ライナー
「……恐怖という舞台に上がらなかったわけだな。」
言葉は刃ではなく、自分の足元を突く杖のようだった。
彼は怒号を上げない。
苛立ちを噴き散らさない。
ただ、理屈を組み立てようとする。
理解できる形に世界を補正しようとする。
だが補正は成立しない。
ユーフェミアは恐怖を拒否したのではない。
挑発を拒否したのでもない。
「脅迫という仕掛けが成立する世界観そのもの」を否定した。
開封しなければ脅迫は言語にならない。
受け止めなければ事件は物語にならない。
彼女はただ机の脚を支える板のように封筒を滑り込ませ、
役割を“脅威”から“家具”へと嬰児のように変換してしまった。
そこには悪役の影が存在しない。
悪意の余地もない。
ただ、彼女が興味のないものを興味のないままに扱った痕跡が残るだけだ。
ライナーは小さく息を吐く。
吐息は怒りではなく、空気の抜けた笛の音に似ていた。
ライナー
「悪役としての拒否ではない……
悪役という概念そのものを……消し飛ばした、か。」
従者は言葉を返さない。
彼は見てしまったのだ。
仕掛ける側の努力が、ユーフェミアの世界では“努力”にさえ分類されない瞬間を。
王子の視線は壁を彷徨う。
剣を構えた英雄の姿はそこにない。
剣を向ける対象が消滅しているだけだった。
それが初めてライナーに与えた痛みは、敗北ではなかった。
“理解不能”という茫漠とした空白。
英雄が踏み出すはずの足場が、霧のように崩れ続けている疑似感覚。
彼は拳を握り締めることもできず、ただ呟いた。
ライナー
「……戦いの前提を奪われるというのは、こうも……」
言葉は途中で止まる。
その続きを語れる語彙を、王子はまだ持っていなかった。




