従者の沈黙 — 否定ではなく“理解不能”
従者リドは、王子の言葉が終わるのを待っていた。
しかしその余韻は、返答を求める問いではない。
自身の熱を確かめる独白だった。
口を開けば、何かを壊す。
それだけは直感していた。
王子の“善”は燃料だ。
誰かの悲鳴や涙を焚きつけて燃える炎。
悪に立ち向かう瞬間、王子自身が眩しく輝くことを証明する火柱。
それは救助者の炎ではない。
炎に照らされた英雄の輪郭を観衆に刻み込むための灯りだ。
リドは息を潜めた。
否定できない。
なぜなら王子は本気だ。
悪を倒せば世界が良くなると信じているのではなく、
悪を倒す行為そのものが善であると信じているから。
だが賛同もできない。
悪が存在しない時──
悪を演じる者が舞台に立たない時──
王子の正義は宙に浮く。
剣を抜いた姿勢だけが虚空に残り、
刃先の影は誰にも届かない。
それは不完全な器だ。
敵意の欠落した世界では、王子の善は成立しない。
その優雅な装飾は枠組みだけで、
中身を注ぐ器を失っている。
リドは沈黙を選んだ。
理解する余地がなかったのではない。
理解“できない”という事実を、言葉に変換できなかったのだ。
沈黙は否定でも服従でもない。
それはただ一つの、残された逃げ道だった。




