王子の言葉=自己解釈の宣言
長い沈黙ののち、ライナーは報告書から視線を外した。
視線の矛先は従者でも壁でもない。
自分の内部だ。
その視線が戻ってくる先を、彼自身が探している。
ゆっくりと、声が床を擦るように落ちていく。
ライナー
「我らは善を示すため、悪を求めるのではない。」
語尾は震えていない。
怒りの兆候はない。
ただ、己の中心を再構築するための、硬質な独白だった。
ライナー
「悪の前に立つことで、善は形を得るのだ。」
従者は息すら飲めない。
王子の言葉は、誰かに向けられた説明ではない。
自分に対する定義の提示である。
それは、長年使ってきた剣の柄をゆっくり握り直すような動作だった。
ライナーの語りは続く。
それは祈りでも弁論でもなく、舞台の照明を再点灯するための呪文だ。
ライナー
「人は善を信仰しない。
善は勝利ではなく、証明だ。
敵を倒し、弱者を救う――
その軌跡が善という姿を描く。」
彼の言葉は、どれも“行為”ではない。
全てが演目の枠組みの話だ。
悪は剣の錆ではない。
悪は剣に光を反射させるための背景。
弱者は慈悲を受け取るための配置。
英雄は喝采を浴びるための中心座席。
そして王子は、その配置の頂点に立つ者を自分と信じている。
ゆえに――
悪が拒絶されれば、彼の善は発生しない。
ユーフェミアは悪役を否定しなかった。
ただし、演じなかった。
その瞬間、ライナーの倫理体系は根底から崩れた。
“悪”が舞台上に上がらなければ、
“善”はただの空席になる。
従者リドは悟る。
この王子にとって善は、道徳ではなく、配役なのだ。
王国の理念でもない。
被害者を救うための本質でもない。
観客に理解されるべき立場なのだ。
だからこそ、ユーフェミアの沈黙は致命的だった。
悪役がいない舞台で、
王子の剣は宙を斬る。
英雄譚は成立しない。
そして何より――
”英雄という役割”に取り憑かれた若者だけが舞台に取り残される。




