教師の登場 — “教育の論理が破綻する”
チャイムが鳴り始めた頃、教室の扉が開いた。
中年の教師が入ってくる。前日の美術室で、彼女に敗北した人物ではない。
――つまり、まだ世界が正常に機能していると信じている側の人間だった。
だがその肯定は、ユーフェミアの机に目を向けた瞬間、瞬時に停止した。
ノートの下に敷かれた封書。宛名なし。封は開いていない。
誰の視線もそこに釘付けになっているのに、所有者本人だけが静かに鉛筆を走らせている。
教師は息を呑み、声を整えた。
教師
「それは……手紙だろう? 授業の前に……その、内容を――」
ユーフェミアは顔を上げない。
紙に落とす鉛筆の影を見つめながら、淡々と答えた。
ユーフェミア
「内容?
読まなくても役割は果たしているわ。
机が安定するでしょう?」
その瞬間、教師の思考が白紙に戻る。
注意すべき点――見当たらない。
違反行為ではない。封を切ってもいない。
騒ぎを起こしたわけでも、脅威を拡散したわけでもない。
教師は、指導のための接点を探した。
公序良俗的観点?
学校規則?
危険物の扱い?
どれも成立しない。
当の本人が被害を宣言していないからだ。
脅迫は、脅迫された者が恐怖を受け取った瞬間に成立する。
ユーフェミアは、その成立の条件を粉砕した。
未読のまま、用途を完結させた。
教師の喉が、言葉にならない音を漏らす。
怒りの導線が、導体を持たずに宙づりになる。
教師(心の声)
「間違っている……はずだ。
だが……どこが?」
教育者としての判断は本来、行為の動機や結果に寄り添う。
怠慢、悪意、誤解、衝動――どんな理由でも、人間的な温度が存在すれば指導の糸口が掴める。
しかし彼女には温度がない。
脅迫も恐怖も、人間関係の軋轢も、彼女の前ではすべて**“物理的厚み”**に還元されてしまう。
教師は言葉を失い、目を逸らした。
黒板にチョークを走らせることで、自分の世界の論理に逃げ込む。
その背中は告げていた。
――教育の言語は、彼女には届かない。
届かぬ言葉は、怒りにも指導にも変換できない。
授業は始まり、鐘の音は日常を告げる。
ただし、ひとつだけ確かなことがあった。
この教室で最も危険なのは脅迫状ではなく、
それを“紙の厚み”として扱えるユーフェミアという存在である。




