余韻 — “攻撃の意味が曖昧になる”
作戦報告の書類が王子陣営の卓上に積まれる。
文面は整っている。数字も罫線も間違っていない。
だが内容が何一つ「事件」を示していない。
参謀A「侮辱の証拠は……ありません。噂は自然消滅しました」
参謀B「挑発役の女生徒は……精神的疲労で保健室へ。衝突記録はありません」
参謀C「周囲の生徒は……その……沈黙を保ちました」
報告は事実の羅列だ。
だが事実が物語の燃料になっていない。
英雄譚を駆動する歯車が、何一つ噛み合っていない。
王子ライナーの眉間に皺が寄る。
「怒らせなかった、というのか?」
参謀たちは互いの視線に逃げ場を求める。
王子の怒りではなく、原因不明の空白を恐れて。
参謀B「侮辱の文言は確かに伝達しました。しかし……」
参謀A「彼女は笑って、それ以上を求めませんでした」
参謀C「反論も拒絶もなく……ただ“面倒”と認識したようです」
ライナーは理解できない。
怒り、泣き、否定、報復――
悪役はそのいずれかを選ぶからこそ、正義の攻撃は意味を持つ。
だがユーフェミアは、攻撃の意味を奪った。
彼女は悪役の役を拒否したわけではない。
悪役の演技を放棄したのだ。
罪を誇らず、否定せず、ただ「やりたくない仕事」として片付ける。
英雄譚の構造は、悪が舞台に立つことで成立する。
悪役の台詞、悪役の視線、悪役の怒り――
それらがそろって初めて、正義の剣は鞘を抜く理由を得る。
しかし今回、どの扉も開かなかった。
参謀たちの沈黙は認めたくない真実を告げる。
駒を動かすたび、盤面は自己崩壊する。
ユーフェミアは対立を拒んだのではなく、
対立の“労務契約”を拒否した。
彼女の前で仕掛けは全て、効果を失う。
怒りの入口も、憎悪の出口も見つからない。
やがて誰もが悟る。
「戦っていない者に対する戦争」は、成立しない。
その結論は、英雄譚にとって最も残酷だった。
悪役の不在ではない。
悪役性の不発。
脅威ではなく、空洞。
物語を燃やす焔ではなく、薪の乾きそのものが否定された世界。




