教師の一言 — “教育者すら沈黙に屈する”
女生徒の肩が震え、机に伏したまま泣き出した。
涙声が羊の毛並みをなぞる鉛筆の音に吸い込まれていく。
教壇から駆け寄った教師は、咳払いひとつで自らの権威を再確認するように胸を張った。
生徒指導、学則、教育的配慮——
数々の正当な言葉を武器として臨むはずだった。
しかし、ユーフェミアは鉛筆を休めず、淡々と付け足しただけだった。
ただの生活のアドバイスのように、感傷の欠片もなく。
「泣くほど疲れているのなら、休むといいわ。
睡眠は回復を促すわ。」
その声に、教師は思わず足を止めた。
慰めですらない。
責任を誰にも押し付けない、機械的な休止指示。
そこに悪意は欠片もない。
だからこそ、教師の怒りは着地する場所を失った。
「……君が言うのかね。」
言った瞬間、自分の言葉が空虚であることに気づき、教師は口を閉ざした。
“君自身が規律の破壊者だ”と責めるのは容易い。
だが——そのためにはユーフェミアの行為に意図が必要だ。
怠慢、反抗、挑発。
どれかひとつでも該当すれば、教師は生徒を指導できる。
教育者の正義が発動する。
だがユーフェミアにはどの属性もない。
ただ、羊の耳の輪郭をやや柔らかくし、影を滑らせただけ。
教師の思考は空回りし、正義の歯車が噛み合わない。
怒りを生む摩擦がなく、指導の対象が霧散する。
目の前で放心した女生徒、
その横で静かに描かれる羊四姿、
教室の空気は均衡を失い、沈黙の天秤だけが揺れていた。
教師は深く息を吸い——
吐く先を見失ったまま、ゆっくりと教壇に引き返した。
教育者の権威は、悪意にではなく“無害”に屈したのだ。




