女生徒の崩壊 — “無視される者の敗北”
ユーフェミアの机を取り巻く沈黙の輪に、ひとりの女生徒が割って入った。
王都でも名の知れた家柄の娘。
普段は声を潜め、噂の尻尾を拾うことしかできない下位貴族。
この瞬間だけは、勇気を絞って胸を張る。
「姫様の……その筆致は……まるで、その……無垢な——」
声が震える。
それは媚びでも賛美でもなく、存在を確認してほしいという祈りだった。
だがユーフェミアは、まるで雨粒が窓を叩いた程度の雑音として受け流した。
返事はなかった。
羊の左耳に影をもう一層足し、毛並みの起伏を繊細に整えていく。
女生徒の喉が引き攣れる。
期待していたのは嘲笑でも叱責でもない。
反応だった。
「む、無視しないでください!
わ、わたしは努力して……姫様を——!」
声が裏返る。焦躁が涙腺を刺激する。
クラスメイトたちは目を逸らし、教師は板書に逃げる。
誰も彼女を助けない。
なぜなら、ユーフェミアは敵対していないからだ。
筆を止めることなく、ユーフェミアは淡々と告げた。
「泣くほど疲れているのなら、休むといいわ。」
それは慰めではなかった。
諭しでもなかった。
彼女にとって、世界は“疲れ→休息”の単純な線で成立する。
女生徒は息を止めた。
刺されたわけではない。
押し倒されたわけでもない。
ただ——
存在ごと“価値のない空気”として扱われた。
拒絶はまだ救いだ。
怒りは役を与える。
侮辱さえ、ときに意味を与える。
しかしユーフェミアの世界に、
その女生徒を記述するための行が存在しなかった。
彼女は肩を震わせ、椅子に崩れ落ちた。
「嫌われた」ではなく、
**「初めから必要とされていなかった」**と理解したからだ。
涙は音もなく落ちる。
ユーフェミアの穏やかな筆致だけが、
春の羊毛をさらに柔らかく深めていく。
教室の空気が、誰にも共有できない恐怖で満たされる。
悪役の不在が、悪役以上に残酷だという事実で。




