授業 — “羊の角度差という狂気の退屈”
春の光が斜めに差し込む美術教室。
窓辺に吊された油画の匂い、パレットの水滴、絵筆を叩く微かな音。
四十名の生徒がキャンバスに向かい、季節を描き始めていた。
桜。風景。芽吹く新緑。
どの絵にも、観察された自然の息遣いが宿る。
「春」という極めて明確な指示は、若い感性にとって安全な答えだった。
――ただ一人を除けば。
ユーフェミアの机は、沈黙の島だった。
筆の音も、談笑も、息遣いすら届かない結界のように静か。
そこに並ぶスケッチ紙には、羊が四匹。
一匹は真正面。
一匹は横向き。
一匹は斜め後ろ。
一匹は寝そべる後姿。
どれも丁寧に陰影が施され、毛並みの起伏に至るまで計算されていた。
四匹は決して群れではなく、異なる角度に置かれた同一の静寂だった。
教師は、生徒の列を回りながら説明と助言を続けていた。
だがユーフェミアの机に辿り着いた瞬間、足が止まる。
「……テーマは“季節”だよ?」
声に怒りはなかった。
ただ、理解できないものに触れた人間の素直な困惑が滲む。
教室中の視線がユーフェミアへ集約する。
少女は視線を上げず、淡々と返答した。
「春は羊が眠る季節です。
眠れる者こそ春の祝福を受ける。」
その言葉は、説明というより結語だった。
彼女の中ではすでに成立した論理。
ただ、他者と共有する必要がないだけ。
取り巻きの貴族の少女が慌てて補正を試みる。
声を震わせながら、意味の無い敬語で空白を埋めようとする。
「し、姫様は深遠なる象徴を……その、春の……眠りの哲学を……」
しかしユーフェミア本人は続きを語らない。
振り返りもしない。
羊の耳の縁に柔い影を描き込み、世界を締め切ったままでいる。
クラスメイトたちは沈黙した。
反論でも称賛でもない。
ただ理解不能な平穏への反応としての沈黙――
それは彼らが生まれて初めて出会う種類の敗北だった。
教師は諦めにも似たため息をつき、次の席へ歩きだす。
注意も叱責もできない。
ユーフェミアは規律を破っていないし、誰も傷つけていない。
戦っていないのに場を支配している。
その瞬間、教室は悟る。
悪役令嬢は牙を剥かない。
だが彼女の静けさは、
全員の「春」を空洞にするほどに強いのだ。




