徒歩登校 — “王女の降下”
回想はまるで一瞬の閃光のように蘇る。
夜会明けの朝。
学院前の大通りを黒塗りの馬車が連なり、鎧の擦れる音が低く響いていた。
王都の貴族たちは決まってその列の中にいた。
――当然、ユーフェミアも。
だが、その“当然”はその日、音を立てて崩れた。
学院の大門へと続く通学路。
砂利を踏む軽い音がした。
振り返った門番は、一瞬、呼吸を忘れた。
王女ユーフェミア=ローレンツは、白い日傘一本を肩にかけ、徒歩で歩いていた。
護衛の鎧姿もない。
馬車の影もない。
ただ春の空気と、吐息のように軽い足音だけが同行していた。
門番は存在意義を失ったかのように固まる。
「お……お迎えの馬車は……」
声が石畳にすべって消える。
ユーフェミアは立ち止まらない。
門番の肩越しに、門の向こうの校庭を眺める。
その目には景色しか映っていない。
身分も格式も、護衛の数も、この世界が彼女に与えた“舞台装置”のすべてを、初めから無視しているかのように。
その後、取り巻きの貴族生徒たちが駆け寄った。
顔には“混乱を礼儀で包み隠した笑顔”が貼り付いている。
「姫様、なぜ徒歩で!? 安心できませんわ、護衛はどこに――」
ユーフェミアは足を止め、首を軽く傾けた。
まるで質問の意味を解析する時間を要したかのような静寂。
そして、ひとこと。
「歩くのは良いわ。足が私を責めないから。」
それは柔らかな声だった。
挑発でも皮肉でもない。
単に、彼女の内部で完結した論理を外へ置いた、そんな響き。
“責めない”――
その言葉は、取り巻きたちの脳髄に針のように刺さった。
理由の欠落が理解を阻む。
守るべき対象が、守られる権利そのものを放棄している。
それは傲慢でも愚行でもない。
ただ、価値観の軸が外界と平行にずれているだけ。
沈黙。
貴族生徒たちは、王族に対する常識的な忠告を失い、言葉を失う。
門番は敬礼の姿勢を維持したまま、ただ見送ることしかできない。
ユーフェミアは歩き出す。
背筋も視線も乱さず、世界の“当然”を押し倒すように。
その歩調は、まるで高所から地面へと降り立つ王女ではなく、初めから地面を居場所とする旅人のそれだった。
悪役の尊大さを探すほど、どこにも見つからない。
あるのはただ――
圧倒的なノンイベント。
そして、事件を求めて期待する者たちが、何も掴めずに取り残される音だけが、学院前の空気に長く尾を引いた。




