“数値化できない不安”
ライナーの前に置かれた魔導端末は、
王族専用の淡い青光を帯びていた。
英雄の行動予定を演算するための道具。
世界そのものが王子の劇を補助するために作られた仕掛けである。
端末の卓上表示が、自動更新のたびに音を鳴らす。
「王子:登壇予定」──金色の表示。
「ヒロイン:護衛対象」──白銀の光。
その下に並ぶはずの行。
世界を燃やすための火種。
「悪役令嬢:挑発受領 → 行動」
そこだけが虚空のまま点滅していた。
エラーメッセージが浮かぶ。
《イベント条件未達成》
《演算エラー:シナリオ入力不足》
《行動予測不能域に遷移》
ライナーは眉を寄せた。
不快というより、理解不能の領域へ踏み込む者の顔だ。
王子(心声)
「不可能とは、起こり得るが拒まれている状態を指す。
起こり得ないというのは、ただの欠落だ。」
画面の光が彼の瞳を照らす。
英雄用のシステムが、英雄を無視して沈黙している――
この矛盾を、彼は認められない。
緩やかに、端末を閉じる。
端末の魔力が切れる瞬間、青光が灰色にしぼむ。
現実は沈黙。物語だけが彼を慰撫する。
ライナー(心声)
「牙はいつか剥かれる。
運命は私を選び、試練を与える。
そうでなければ、英雄は存在しえない。」
論理ではなく祈り。
祈りではなく依存。
王子は端末から顔を上げる。
その瞳には確信だけが燃えていた。
それは信仰だった。
悪役が存在しなければ、英雄は生まれない――
ゆえに、悪役は必ず立ち上がるのだ、と。
彼は立ち上がり、マントを整える。
世界が静かであるほど、彼の正義は熱を帯びる。
だがその時、中庭の芝生でユーフェミアは
涼しい木陰と睡魔を秩序のように抱き、
ただ、気持ちよさそうに目を閉じていた。




