“歩く悪役令嬢”
視点は王子の寝室から外へと滑り落ちる。
朝の王立学院へ続く通学路。
鎧の軋む護衛、宝石の揺れる馬車、飛び交う噂の気配――
貴族社会の常態が立ち上がる。
その列の中に、一つだけ異物がある。
ユーフェミア・レーヴェンス。
日傘一本を肩にかけ、ただ歩いている。
馬車の招きを拒むような気配ではない。
そもそも“招かれている”という概念が存在しない歩き方だ。
護衛なし。
従者なし。
ゆっくりと、一定の歩幅で、目線は風景の高さに静止したまま。
誰かの視線に反応することもなく、
物語に対して完全な沈黙を保っている。
馬車の窓から彼女を目撃した者たちは、
口を開きかけては閉じ、
「あれは悪役の女ではないのか」と囁く。
だが誰も事を起こさない。
牙を向けられない者に、牙を剥く者はいない。
学院門の石畳に差し掛かった時、
従者の観察報告が淡々と続いた。
従者「暴漢の影も、噂の尾もつきませんでした。
ただ…途中で花壇の手入れをする庭師に挨拶を。」
一拍置いて、室内の空気が歪む。
ライナーの英雄観に、音もなく裂け目が入る。
ライナー(心声)
「悪役令嬢は、雑草に挨拶などしない。」
ヒロインではなく。
取り巻きでもなく。
観客ですらない存在に向けた挨拶。
それは敵意の否定ではない——
物語そのものへの拒絶だった。




