悪役性の不発
エリーは中庭をあとにしてもなお、呼吸の仕方を忘れていた。
胸の奥にまとわりつくのは敗北ではなく、空白だった。
怒りを求めて差し出した掌に、爪も牙も返ってこない。
その事実が、何よりも彼女の脚本を瓦解させる。
――悪役の不在ではない。
悪役性の不発こそが恐ろしい。
物語には悪役が必要だ。
ヒロインを守る騎士が立ち上がるための敵、
涙を証明するための障害、
挫折を物語に変換するための矛先。
それらすべてが拒否されたとき、
ヒロインは誰に抱きとめられるのか。
ユーフェミアは“優しい”のではない。
慈愛も共感も、彼女の語彙に存在しない。
ただ、他人の脚本に出演する意思がない。
エリーを攻撃しないし、救済もしない。
舞台に引きずり出されるくらいなら、
その場で昼寝を選ぶだけだ。
それがこの世界では爆弾だった。
エリーの存在価値は「保護されること」によって保証されていた。
誰かに寄り添われ、守られ、慰められ、
その度に世界から「善」を与えられる。
それが彼女の足場であり、初期設定であり、役割だった。
しかしユーフェミアは役割の交換を拒む。
善も悪も、ヒロインも敵役も、彼女の興味の外にある。
彼女はただの生徒として紅茶を飲み、
風通しの良い場所を選び、
眠いから眠るだけだ。
物語を構築する固有の重力から外れたその振る舞いは、
エリーの脳にとって理解不能の天災だった。
彼女の脚本は、敵の不在ではなく、
敵が役を受け取らないことで崩壊する。
その瞬間、エリーは悟る。
自分が守られるべき存在だという確信は、
他者が役割を引き受けてくれるという期待に寄りかかっていたのだと。
期待は拒絶されたのではない。
そもそも相手に届いていない。
それはヒロインに許された試練ではなく、
ただの自由放逐だった。
ユーフェミアの存在は、暴力でも慈悲でもない。
だが彼女の怠惰は、秩序を破壊する。
誰もドラマを始めてくれないという形で、
世界を根底から揺さぶる。
芝生の浮力はゆるやかに、
夕刻のマナに撫でられ続ける。
物語はまだ始まっていない。
だが——エリーの足元ではすでに、
最初の崩落が静かに始まっていた。




