情緒の反作用 ― ヒロインの脳が受け入れを拒む
エリーは立ち上がる。
軽く震えた膝が、芝生の浮動に合わせて微妙に揺れた。
笑うことも泣くこともできない——いずれも感情という回路が焼き切れている。
その代わり、顔の筋肉はただ“無反応”という形だけを保とうとしていた。
歩き出す一歩。
その足取りは、石畳の縁でずれた歯車のようにぎこちなく、
靴底が地面を触るたびに、エリーの世界が一ミリずつ壊れていく感覚があった。
彼女の耳には、ユーフェミアの最後の言葉だけが残響する。
守られないのは自由。
自由——ヒロインという名の牢から放り出される言葉。
救済から追放されたというより、その椅子ごと撤去されたような虚脱。
誰かが自分を抱きとめてくれるだろうという淡い前提が剥ぎ取られ、
そこに広がる空白は、恐怖ではなく、理解不能だった。
彼女は振り返らない。
振り返れば、答えがないことを確認してしまうからだ。
役柄の崩壊は、悲劇でも成長でもなく、ただのパニックだった。
鳥影が頭上を横切った。
飛ぶという行為がただの生理運動であるかのように、
世界は脚本に従わない生物で満ちている。
中庭の芝生は静かに浮いたまま、マナの風に撫でられて、
柔らかな緑の波紋を生んでいた。
ユーフェミアは紅茶をもう一口。
熱や香りに感動するでもなく、ただ眠そうにまぶたを落とす。
事実として、世界に疲れているだけの少女の所作。
彼女は何も追わない。
ただそこにいる。
悪役という衣装も劇場の壁も持たず、
静かな解放だけをまとって。
エリーの足音が遠ざかっていく。
それは敗北の音ではなく、登場人物としての支柱を失った誰かの歩み。
物語の外へ逃げ込もうとする者の、乾いた足取りだった。
中庭の風が通り抜ける。
ユーフェミアのティーカップの表面に、わずかな波紋が落ちる。
世界は焦らない。
ヒロインが崩れていくのを、ただ淡々と見ているだけだった。




