遭遇の導線
式典会場のざわめきから逃げ出すように、エリーは石畳を踏んだ。足音は控えめなのに、胸中の騒音だけが大きくなる。悪役令嬢との対立イベント──それが始まらないという事実が、なぜこれほど不安を増幅させるのか、彼女自身理解できない。
中庭に出ると、芝生がわずかに浮いていた。風もないのに、長い緑が水面のように波打っている。薄い虹色の膜が空気中に滲み、マナの反射が昼光を柔らかく散らしていた。魔術学園の庭はしばしば荒ぶる。式典の日は、慣例として魔力が揺れ、祝祭は虚飾と緊張で満たされる――はずだった。
だが、今日の庭は穏やかすぎた。
異常に近い、平和。
エリーは歩みを止めた。視線の先、ベンチの上に人影が一つ。薄いドレスの肩越しに、白磁のような指がティーカップを支えている。足を組むわけでもなく、横柄に背もたれへ沈むわけでもない。背筋はまっすぐ、無駄のない姿勢。その優雅さは鍛錬された所作というより、生来の重心に近い。
ユーフェミア・リーデンベルク。
式典の主役にして、王子の対立者。
学院の伝統が物語のために用意した災厄の核。
しかしそこにいたのは、災厄ではなかった。
陽光を浴びても影を作らず、庭の家具の一部に紛れ込んだような静けさ。
上等な家具は怒らない。ただ存在する。
彼女はまさにその類だった。
足先が止まり、喉の奥がきしむ。
エリーは理解できない。
悪役は激昂し、挑発し、噛みつくものではないのか。
ユーフェミアが、優雅に休憩しているだけという現実が、脚本の文字ごと脳から滑り落ちていく。
視界の端で芝生が微かに浮き上がる。
マナの膜が揺れる。
世界は淡々と息をしているのに、彼女の呼吸だけが乱れていた。
エリーは唇を噛んだ。
どちらが悪役か分からないのは、あまりにも理不尽だった。




