システム崩壊の兆候 ― 物語がないと、世界は動けない
翌朝、学院の鐘は確かに鳴ったのに、
授業は一つ、また一つと、砂上の城のように崩れていった。
時間割に赤線が引かれる。
しかし理由は書かれていない。事故でも疫病でも暴動でもない。
ただ、起こるはずの出来事が起きない。
王子の演説原稿は講堂の演台に置かれたまま、紙の束として沈黙を保っていた。
待っている聴衆のざわめきに反応せず、舞台袖の王子本人は「まだじゃないのか?」と繰り返す。
その声はどこか、台本を探す役者のものだった。
来賓席の貴族たちは早くも落ち着かない。
遠路はるばる招かれた目的は唯一――英雄譚の幕開けを見ること。
彼らは銀のグラスを弄びながら囁く。
「見世物はまだか?」
「火はいつ点く?」
まるで焚き火の前で手をかざしながら、薪が誰かの意思で燃え始めるのを待つ子供たちのように。
誰かが怪我をしたわけではない。
誰かが怒鳴り、泣き叫び、血を流したわけでもない。
ただ、期待していた物語が発火しないだけだった。
そしてその沈黙は、じわじわと校舎に染み込んだ。
廊下を歩く生徒たちは互いを盗み見し、
「何か起きるのか?」「起きたのか?」と無意味な問いを延々と繰り返す。
彼らの視線は常にどこか一点を探していた――物語の起点、主役の行動。
しかし主役――ユーフェミアは、相変わらず昼寝をしていた。
窓からの光を枕に、呼吸は一定、顔は穏やか、反応ゼロ。
この世界が彼女の夢の中に入れてもらえないかのように。
NPCたちの不安はある地点に集束する。
彼らは世界の観客であり、同時に役者である。
シナリオが存在する限り、自分たちの行動は意味を持つ。
脚本が開かれ、事件が起きれば、怒り、笑い、涙を流すことが許される。
だが何も始まらなければ――彼ら自身が存在できない。
無音の放課後、生徒の一人が震える声でつぶやいた。
「……私たち、ただの背景なんだろうか?」
その瞬間、空気が凍った。
背景であるという自覚は、恐怖ですらない。
無だ。
存在を担保する物語が欠落する――それは、彼らにとって死より深い闇だった。
ユーフェミアの昼寝は、誰にも害を与えない。
だがそれは同時に、学院全体の存在理由を奪う。
静寂によって世界を止める、もっとも原始的なテロ。
――存在論的テロ、とユリアンは呟いた。
彼女はただ眠っている。
それだけで、世界は怯え、動けなくなる。




