学院長(NPCの最高責任者)の発言 ― 恐怖の本質
一同の議論が熱を帯び、互いの正義が混線し始めたとき。
会議卓の最奥、金糸の襟章を持つ老人が静かに口を開いた。
「……まだ彼女は立たないのか。」
ただそれだけだった。
だが室内を駆けていた魔導黒板の光が、一瞬だけ動きを止めた。
沈黙は、火災報知器より強い警告音となる。
教師たちは悟る。
自分たちが恐れているのは悪役令嬢の暴走ではない。
悪役令嬢の不作為だ。
事件が起きれば筋書きは回る。
不敬の侮辱があれば、王子が立ち上がる。
学院は “処罰” という安定した儀式に逃げ込める。
だが——事件が起きなければ?
壇上は整えられ、魔道字幕は祝辞を浮かべ、
王子は英雄の構図を携えて待ち続ける。
その上で、演者だけが欠落した舞台が残る。
それは、教員でも貴族でもない存在——
NPCの脆弱性を直撃する。
彼らは「世界に従う」ために存在している。
だが世界が動き出さず、脚本だけが空転するとき、
彼らはどこに従えばいいのか分からなくなる。
学院長はそれ以上語らない。
机に置いた指先を、わずかに震わせるだけ。
その震えが告げていたのは、
暴君ではなく欠席者こそが、
この箱庭を崩壊させる最も優雅な災厄である——という真理だった。




