教師Aと教師Bの対話 ― 依存の告白(社会合理の皮を被る)
魔導黒板の赤い点滅が室内を照らすたび、二人の影が壁に揺れる。
教師Aは額に手を当て、声を抑えたまま吐き出した。
「悪役令嬢が陛下の御子に諌められる……あの瞬間こそ、今年度の指導理念だ。
生徒たちはそこを基準に振る舞いを矯正する。
規範は、見せなければ根づかない。」
教師Bは腕を組み、落ち着いたふうを装って返す。
「教育にドラマ性が必要なのだよ。
平面の講義では届かない倫理を、象徴的な衝突で刻みつける。
生徒は“勝者の権威”を通して行動を学ぶ。」
そこに教育理論はない。
あるのは、物語への信仰だ。
教師Aは椅子の背から身を起こす。
声が熱を帯びる。
「倫理は理念では伝わらない。屈服と許しの儀礼だ。
悪役が踏み越え、王子が制する――
その映像が心に焼きつく。
それが社会に従うという実感を育てる。」
口調は宗教家でも政治学者でもない。
演出家のそれだった。
影響力を計算し、舞台を組み、観客の歓声を待つ——
そんな職業的渇望が言葉の底に沈んでいる。
教師Bが静かに頷く。
「王子の威光が揺らげば、学院の秩序も揺らぐ。
あの儀式は、我々が“誰を頂点に仰ぐか”を再確認するための、
毎年一度の予防接種なのだ。」
**“生徒のため”**という言葉は、口元に貼られたラベルに過ぎない。
彼らの視線は、未来の貴族社会ではなく、壇上で輝く王子の背中に向かっている。
本来の役割——教育者——は、いつの間にか剥がれ落ちていた。
代わりに残ったのは、脚本の順守を求める観客としての本音だけだった。




