世界の方が動き出す
夕刻が迫るにつれ、学院の中庭に満ちるマナは濃さを増していった。
地面に伏せた芝が、薄い靄をまとったようにふわりと浮く。
小鳥の羽ばたきのような微弱な浮上――だが、その現象が意味することは誰も理解していない。
自然現象ではない。
芝生が、彼女を受け入れているのだ。
ユーフェミアの靴底が、柔らかな反発を受けてゆっくりと減速する。
重力が、わずかに彼女を手放していく。
足先が沈むのでも、浮くのでもなく、三つの力の境界線に置かれた静止点。
その中心に彼女がいる。
「……」
笑う必要はなかった。
勝利の感情もなかった。
ただ、胸の奥に溜まっていた痛覚の残滓が、長い息とともに抜けていく。
深く、ゆっくりと。
誰にも見せない脱力。
バルコニーの影が伸び、塔の鐘楼が橙色の膜を張る。
校舎の中では教師が走り、書記が手順をまとめ、魔法部の監査官が魔力値の計測に追われている。
一人の少女の「拒否」が、理解不能な摩擦を生み、制度の動脈を乱し始めた。
ユーフェミアはそれらを知らない。
知る必要もない。
目を閉じれば、芝の絨毯が静かに脈打つ。
その温度が、彼女の呼吸を肯定する。
――世界が焦って走り回る間、彼女だけが昼寝していた。
それは、悪役が取れる最も優雅な戦略だった。




