ユリアンの後退:構造の歪み
ユリアンは最後の言葉を胸の奥から絞り出すように吐いた。
「……報告だけはしないと」
義務の重力に引かれるように一歩退き、やがて背を向ける。
彼の足音は芝生の上で奇妙に沈み、貴族のブーツがここまで無力に見えたことはなかった。
ユーフェミアは返事をしない。
石造りのバルコニーの縁に指先を置いたまま、ただ空を眺めている。
優雅さでも反抗でもない。
まるで天候を観察する人のように、何の感情も持ち込まず。
風が塔の上を撫で、光の粒が舞う。
広場の遠くで人々が拍手をしていた。緑を削る魔法試合の勝者だろう。
それでも彼女の視線はそこには向かわない。
空を切り裂くように、鳥影がまた横切った。
黒い曲線――羽ばたきの刃。
重ねた瞬間、世界の転回軸が静かに鳴った。
ユリアンの背中は遠ざかるにつれ、廊下の闇に吸い込まれていく。
その歩調には絶望はない。ただ手順を踏む者の確信がある。
報告しなければならない。制度は壊れていない。
書類は回る。序列は保たれる。判子は押される。
すべては昨日までと同じだ。
──ただ一つを除いて。
彼は思う。
舞台装置は壊れていない。
ただ俳優が拒否している。
それが最も危険だ。
自分だけに聞こえるほどの小さな息が漏れた。
その意味を口にすることはない。
もし語ったなら、それは世界の欠陥ではなく、自分自身の弱さになるから。
ユリアンは歩き続けた。
背後では、芝生に誓いを立てた令嬢が、ただ黙って空を見ている。
何もしていない。
しかしそれこそが、最も暴力的な革命だった。




