側近ユリアンへ命令:陰謀論の誕生
視点:王子レオニード
玉座の背後で燃える篝火は、まるでこの国そのものの熱量を代弁しているかのようにじりじりと燻っていた。
しかし、レオニードの視線は炎ではなく、手元の書類へと静かに注がれている。そこには本来存在するはずの名前──ユーフェミア・エルンストが、記録上からすっぽり抜け落ちていた。
「……消えた?」
彼の呟きは呪文のように重く空間を沈ませる。
演算魔術によって世界の因果を補正するはずの魔導文書は、確かに“情報欠落”と表示していた。
欠落──それはただの紛失ではない。設定の拒否だ。
レオニードは指先で机を軽く叩く。
優雅な規則正しさを持ちながら、その響きは苛立ちを示していた。
「ユリアンを呼べ」
◆
ほどなくして現れた青年は、銀髪を整えたままの冷笑を携えていた。
この宮廷でも珍しい演算魔術の専門家、側近ユリアン。
彼の歩く姿は、既に計算した未来に追従しているかのように乱れがない。
「お呼びということで」
「ユーフェミア・エルンストを探せ」
レオニードは視線だけで命を放った。
一切の前置きなく、王子は本題へ切り込む。
「これは妨害だ。誰かが物語を歪めている」
その言葉に、ユリアンの口角が僅かにつり上がる。
王子の語る“物語”という言葉は、単なる比喩ではない。
この世界は役割で回っている。英雄は英雄として、悪役は悪役として存在し続けることで均衡を保つ。
「悪役が役割を放棄するというのは――」
レオニードの瞳に、硬質な光が宿る。
「敵対勢力の工作だ。設定に従わない者は、脅威である」
王子は既に結論を持っていた。
世界の枠組みに不服従を示すのは、存在そのものの反逆であり、政治や軍事などよりはるかに根源的な危険。
ひとつ歯車が狂えば、物語は空中分解する。
ユリアンは肩を竦め、宙に描かれた魔導式を指でなぞる。
「了解しました。失踪の可能性もありますが……」
淡々とした声の奥に、微かに興奮が滲んでいた。
「悪役令嬢の暴走より厄介かもしれませんね。
行動原理が観測できない分、読めません」
その瞬間、ふたりの間に初めて共通認識が成立した。
世界は思っていたより脆い。
それは政治の脆さではなく、設定そのものの脆さ。
一人の“悪役”が役割を拒絶するだけで、因果は途端に歯噛みしはじめる。
「──ならば、探すしかない。歪みの核を」
レオニードは立ち上がった。
薄い金属の装飾が王子の肩口で音を立てる。
その音は、陰謀論という名の新たな章の幕開けを告げていた。




