朝の描写 “静かすぎる活気”
朝靄が低く漂う校庭に、まだ眠りの残滓をまとった生徒たちの足音がぽつぽつと散っていく。
革靴が芝を踏むたび、緑の繊維が呼吸するように微かにふくらみ、露を弾いた。
踏圧による沈み込みではない。
まるで、足音を歓迎するように芝が柔らかく整形されていく。
誰もそれを異常とは思わない。
丁寧に手入れされた芝生だ——と、ただそう信じる。
校舎沿いの生垣には、季節外れの蕾が散在していた。
春に咲くはずの白い花弁が、秋の冷気のなかに薄く光を宿し、色ごとに魔力の気配を漂わせる。
だが、魔術科の学生ですらそれを「朝日に見える」と笑い飛ばす。
目に映る美しさが、観測を拒絶していた。
通り過ぎる者の気配に反応し、蕾がわずかに揺れる。
それも「風だろう」と処理される。
ここでは世界が健康の最適化に向かって勝手に傾斜しており、
人間の感覚はその傾斜を正常と判定するよう矯正されていた。
芝生は足跡を残さない。
踏まれた瞬間に再生し、形状を復元するからだ。
朝露は散り、また一滴に戻る。
蕾は開かないまま、開花寸前の完璧な臨界点で静止し続ける。
自然は“最も健康な状態”で時間を止められていた。
ここには破壊も、欠損もない。
ただ、均衡へ向かう力だけが遍在している。
登校する生徒たちはあくび混じりに談笑しながら歩くだけで、
その背後で芝がふわりと膨らむことに気づかない。
咲きかけの蕾が、足元の体温と鼓動に反応して淡く灯ることにも。
誰も気づかないし、疑わない。
“美しいものは、理由なく存在して良い”——
この世界の常識が、微睡む早朝にそっと息を吐く。
異常はまだ、誰の視界にも映っていなかった。




