悲劇の伏線 ― “気付かない加害者
王子は夜の回廊を歩いていた。
蝋燭の炎が壁の甲冑を照らし、揺らめく影が彼の歩調に合わせて歪む。
その影は、まるで彼自身の決意を讃えるように伸びては縮み、王子はその背に期待を乗せた。
「私は彼女を社会に再接続させる。
彼女はきっと理解してくれる。」
語気は柔らかく、祈りにも似ていた。
彼は自分が暴力を選んでいるとは微塵も思っていない。
信念に覆われた暴力ほど、手触りの良いものはない。
王子にとってユーフェミアの沈黙は「欠落」であり「傷」だった。
彼女は迷っている。
彼女は世界との接続を失った。
だから導かなければならない——
その解釈は、彼自身の英雄譚を守るための翻訳に過ぎなかった。
王子は知らない。
ユーフェミアが拒絶したのは人間の役割付けそのものだという事実を。
称賛でも非難でも、庇護でも抑圧でもなく、
物語の外に立つ権利を選んだのだということを。
しかし王子の思考はただ一つの直線に沿っている。
沈黙は迷い
迷いは誤り
誤りは正されるべき
だから、圧力は正義の衣を纏う。
沈黙を破らせるための問いは説得。
制度へ引き戻すための監視は保護。
役割を付与するための疑惑は社会の安定。
そのどれもが、本人の意思を踏み躙る暴力であることに、彼は気付かない。
いや、気付く必要がないのだ。
英雄は「救済」を信じている限り、どれほどの犠牲を払っても英雄であり続ける。
彼は窓の向こうに広がる王都の夜景を見下ろす。
街灯が点在し、まるで星座のように石畳を繋いでいる。
王子はその光景を慈しむように眺め、静かに呟いた。
「私は世界を守る。
彼女はただ、まだそれに気づいていないだけだ。」
そのとき彼はまだ知らない。
英雄譚を守るために人間を壊す——
その最も古い暴力の形が、すでに彼の掌中に宿り始めていることを。




