愚行の原点 ― “善の独占”
王子は夜の回廊を歩いていた。
赤い絨毯は足音を吸い込み、燭台の炎だけが彼の影を細長く伸ばす。
誰もいない。誰にも聞かせられない。
だから彼は、初めて声に出した。
「善は共有されるべきだ。
彼女一人が持つのは……不公平だ。」
その言葉は口から漏れ出た瞬間、彼自身を驚かせた。
公平さに託けた嘆きではない。
善の消費権を奪われた者の憤りだった。
ユーフェミアの匿名寄付は、感謝の矢印を宙に浮かせた。
称賛は分配されず、誰の胸にも収まらない。
王子はそれを“空気の腐敗”として嗅ぎ取っていた。
功績は人の間に分かたれて初めて、政治的な酸素になる。
誰かが感謝し、誰かが英雄を語り、誰かがその象徴を掲げる。
その循環が失われた今、彼は息苦しさに喘いでいた。
「功績が分配されなければ、社会は腐る。」
それは王家の伝統でも教義でもない。
ただの嫉妬の宣言だった。
“褒める権利を奪われたこと”への嘆き。
ユーフェミアは社会に善を与えた。
しかし誰にも善を消費させなかった。
称賛者も、庇護者も、観客も存在しない善。
その時、王子の視界はぐらりと揺れた。
ユーフェミアの姿は、聖女でも英雄でもなく、
——制度を拒絶する異物として浮かび上がる。
善を抱えたまま、舞台に立たない。
観客席を向かず、贈り物を投げ返しもしない。
彼女はただ生きるだけで、役割を破壊する。
王子の胸に炎が宿った。
自分が奪われたのは名誉ではない。
社会に善を結びつける“導線”そのものだ。
だから彼は心の奥底で決断した。
ユーフェミアの善を解体する。
共有可能な形へ切り分ける。
それを王国の掌に載せる。
その瞬間、王子は彼女を初めて“敵”として認識した。
ただし——彼自身はまだ、それを善行だと信じていた。




