舞台装置の準備 ― “疑惑を設計する”
王子は机の上の蝋封を割り、薄墨の書状を広報官へ渡した。
宛名はなく、ただ一行だけが刻まれている。
「匿名寄付に、外部勢力の影。」
広報官は表情を動かさない。
だが手指がかすかに震えているのを、王子は見逃さなかった。
「匂わせるだけでいい」
王子は低く続けた。
「事実はいらない。疑いは、証拠より早く走る。」
広報官は静かに頭を下げる。
噂は事実の欠片を必要としない。
物語の骨格だけを与えれば、
群衆の想像は血肉を付与し、怪物を作り上げる。
外部の圧力 → 市民の不安 → 王国の防衛
その三段論法は鉄の鎖のように強固だ。
誰も異議を唱えない。
なぜなら“不安”は常に正当な理由だからだ。
4-1)噂の播種
翌日、王都の酒場で——
孤児院の門前で——
学園の廊下で——
一つの同じささやきが語られる。
「最近の寄付、妙に多額だ。
……王都の貴族にも払えない額らしいぞ。」
「国外からか? 商会か?
いや、もっと……暗いところかも。」
声の出所は誰も知らない。
だが全員が知っている。
それは“どこかから来た”のではなく、“誰かに届けられた”のだ。
噂は目的を携えて歩く。
それはすでに王子の最初の手札となっていた。
4-2)保護という名の召喚
第二の布石は、もっと正統で、もっと悪質だった。
王子は執務室で印章を押す。
命令書にはこう記されている。
「孤児院および周辺地域に対し、
特別視察団を派遣。
寄付者ユーフェミア・W・○○嬢の安全を優先せよ。」
視察団は王家直属。
その護衛対象に選ばれた瞬間——
ユーフェミアは「危険に晒された存在」として制度に登録される。
彼女は善行を行ったのではない。
脅威の中心に座る者へと変換された。
そうでなければ、守護者は存在できない。
守護者が存在できなければ、英雄は立てない。
英雄が立てなければ、王子は——ただの空虚になる。
だから王子は微笑んで告げた。
「彼女の善は高潔だ。
ゆえに、悪意が寄ってくる。」
視察団の騎士は理解できず、顔を曇らせた。
貴族秘書は震える筆で署名した。
側近は黙って目を閉じた。
だが王子だけは知っている。
守る対象を作るには、まず脅威を創造しなければならない。
脅威は自然発生しない。
空から降りてこない。
誰かが舞台に置き、照明を当て、観客に指さなければならない。
——その“誰か”を演じる覚悟は、すでに王子の胸に宿っていた。
英雄になるために、
彼は最初の加害者になる。
しかも、まだ誰もそれに気付いていない。




