File:44 ビルの谷間に吸い込まれて
いつものように霧の立ち込めるネオトーキョー。
今宵にオーバーホールを終えたばかりのマイマイを路肩へ停める。
ご機嫌なエンジンを鎮めると、霧に乗じて騒ぎ立てるバカ達の喧騒がやけに響いた。
しかし、ボクは正義の味方でも新警察でもないのだ。彼らを取り締まるつもりはない。好きにさせておけばいい。
肌寒い霧を掻き分け、一人で冷たい路地を歩き、暖かい暖簾をくぐる。
「大人一人──席はありますね?」
「アイヨ、今日は空いてるヨ。 スモッグ出てるからヨ」
「どうも、ヨサクさん。 それと、アオビー君も」
「ウス、ご無沙汰ス! マサムの姐さん」
振り向いて言葉を返したのは、この屋台の店主といつまでも昇進しない警官だった。
それほど日を置いてはいないはずだが、なぜだか懐かしい顔ぶれが並ぶ。
ここのところ立て込んでいたせいだろう。ずっと働き通しで息つく暇もなかったのだ。
「オジョーちゃん、今日は居ないのかヨ?」
「ええ、今は──」
「そうかヨ。 チョト寂しいヨ……」
いつもは顔色の読めない強面の店主だが、この時ばかりは肩を落としてシュンとした雰囲気を漂わせている。
気のせいか、店内に流れるラジオの音楽も物悲しい感じだ。
しんみりとしたその空気だが、先に席へ着いていた酔っ払い警官は気にもせずに口を開く。
「それよりも早いもんスね、姐さん。 あの子の話、まさかのビックリとトントン拍子に進んでるスよ!」
そう言いながら、彼は本来持ち出し厳禁であろう重要書類をカウンターに放り出した。
今時、紙媒体は珍しい。だがお役所とは何年経ってもアップデートが遅いと決まっている。
そこは仕方がないのだろう。
【チェック:カウンターに置かれた書類】
表紙には『ミュータンテック社の不正について』と題してある。
コテツが遺伝子改造された児童であるという証拠として承認する旨が記されているのだろう。
だが、このご時世に検索もできない紙媒体などわざわざ読む気にもなれなかった。
「あぁ、その話なんですけれど。 キャンセルしといてください」
「はぁッ!? ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいス!! どうしたんスか、急に!?」
「この間の事件以降、おかげさまで仕事が舞い込んでましてね。 臨時報酬は要らなくなったんですよ」
「そ、そんなぁ……もう上に話しが通ってるんスよぉ……」
「キミの方でうまいこと誤魔化してください」
「無茶言わないでほしいス……トホホ」
忙しくて遅れたのは申し訳ないが、ここはキッパリと断っておく。
少しでも譲歩の道を見せればズルズルと付け込まれるからだ。
そんなボクの硬い意思を感じ取ったのだろう。アオビー君はヤケ酒を浴びるように飲んで泣いていた。
「それよりも……例のヤツ、出来てますか?」
邪魔な書類を払いのけて綺麗になったカウンターをコツコツと叩く。
すると、ヨサクは待ってましたとばかりに下から何かを取り出した。
ドンと重量を感じさせる音が目の前で鳴る。
ボクの視界を占領するソレは、銀色の缶に『桜出飲』と印字された『おでん缶』だった。
「アルヨ。 オジョーちゃんに、よろしく言ってヨ」
「ありがとうございます。 あの子、ここのおでんが気に入り過ぎてまして。 仕事の報酬に毎回せがむんですよね」
「フッ、ウチのおでんは世界一だからヨ」
表情は相変わらず変わらないが、彼の勝ち誇ったようなサムズアップが嬉しさを物語っている。
「はぁ……そうまでして食べたいんなら、直接連れてくればいいじゃないスか」
「嫌ですよ。 キミが変な考えを起こさないとも限りませんし」
「うぅ……オレ、姐さんからの信頼低くないスか……?」
「それに、今日は丁度ここが仕事の現場だったので──」
カウンターの缶を受け取ると、ボクはコメカミに手を当てる。
ニューロナイザーに接続し、待機しているコテツの服に内蔵している通信端末へアクセスさせたのだ。
《そろそろ準備は良いですか、コテツ?》
《うニャ! もぐむぐ、大丈夫!》
《……もしや、おでんをつまみ食いしてるんじゃないでしょうね》
《ニャ!? ゴクン……ち、ちがうもーん》
明らかに溜飲するノイズが混じる。確認するまでも無いが、どうせ誤魔化しているだけだろう。
接続を弄り、彼女の視界を共有する。
【チェック:コテツの視界】
手には封の開いたおでん缶。
我慢を覚えさせたいのだが、いくら隠してもどこからか嗅ぎつけてすぐに見つけてしまう。
本当ならば満腹感は神経が鈍るから止めさせたいところ。
《まったく、仕方のない子ですね……》
彼女は今、この路地を形成するうずたかいビルの屋上にいた。
共有した視界を通して、目下に映る眩いネオンの輝きが煩いくらいに主張している。
あそこまで高度になると、霧の影響も少ないらしい。
《なら、食べた分は働いてください。 予定通り、上からハチの巣を突いてくれればいいですから》
《うニャ! コテツ、頑張る! 窓から入って驚かせばいいニャ?》
《ええ。 あとはノコノコと出て来たハチノコをボクが捕まえます》
《分かった! 行ってきま~す!》
コテツの視界がビルの谷間へと吸い込まれていく。
闇夜へ溶けるような黒い肌が、ビルのガラスに映し出されていた。
「ふぅ、さてと──」
「あれぇ姐さん、もう行っちゃうんスか?」
「えぇ、相棒の食事代もバカになりませんから。 ヨサクさん……お代、置いていきますね」
「アイヨ」
さぁ仕事が待っている。
ろくでもない悪党が蔓延るこの街では、いつも誰かが困っている。
おかげで探偵業は絶えることがない。
クソッタレな世界はそう簡単に変わらないが、それでも少しずつ真相へ迫っているのだ。
その時まで、ボクとコテツは跳ねっかえり者を貫くだろう。




