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File:33 ワン・タン

 騒動の渦中にいる二人のもとへと急いで駆け付ける。


 足音に気が付いたのか、すぐにコテツが振り向きボクに抱き着いた。


「ニャ! マサムだ! ねー聞いて! コイツ、変なこと言う! コテツ、悪くニャい!」


「その前に、言うことがあるでしょうに……まったく」


「うニャ?」


「勝手にいなくなったことですよ」


「おニャか空いた! いい匂いしたニャ!」


「だからといって──」


「おい、マサム姉! なんつぅか、それどころじゃないっぽいぜ?」


 横に並んだフカク君が肘で小突いて来る。前を向いてみろという合図だ。


 コテツへのお小言を中断し、ゆっくりと騒ぎの片割れへと視線を移す。


 すると、下卑た笑みを浮かべた大男がのしのしと足音を鳴らし接近するところであった。


「むっほっほ、アンタこのガキの親ネ? 困っていたトコロ、丁度よかったネ」


【チェック:巨漢の男】

 横にも縦にも大きい、ともかくスペースを取る人物。

 貧民街らしく義体(ウェア)の類はほとんど入れていないが、セキトリ並みの体格は脅威。

 切れ目のある目元と独特の語感からチャイニーズ系だと思われる。


「そちらは……?」


「アタシ、この露店街のオーナー。 名前、『ワン・タン』いう。 もちろん、知ってるネ?」


 そう言うと、豚のように膨れ上がりツルリとしたアゴを偉そうに撫でつける。


 威圧目的なのだろう。ヒゲもないくせによくやるものだ。


 よほどこの辺りでは力があると自負しているに違いない。


「いえ、さっぱり知りませんね。 フカク君は?」


「さぁなぁ……オレ様もコッチで商売してるわけじゃねぇし。 ガキの頃にも聞いたことは無ぇぜ?」


「らしいですよ。 有名人のワン・タンさん」


「むっほ!? フン、そんなコトどうでもいいネ! まずはこのガキのコト!」


 いくら相手が名前を出したところで、余所者のボク達にはまったく効果が無い。


 それに憤慨したのか、鼻息荒く逆上の矛先をコテツへ向けてきた。


「何か言い争っていたようですが?」


「そうネ! 喰い逃げネ! ココ、『チャイナンタン』で喰い逃げご法度! 絶対許さないネ!」


「チャイナンタン……? このエリアの露店街のことですか」


「そうネ。 全部、アタシの経営する店ネ」


「へぇ、チャイナタウンってのはポコポコ増えっからなぁ。 いちいち覚えきれねぇっての」


「今アンダーグラウンドで一番ホット! アンタ達、とても遅れてるネ!!」


 憤慨(ふんがい)のあまり熱が上がっているのか、ワン・タンはむわっとした蒸気を(まと)いだす。


 汗が止まらない彼の下のコンクリートには、肉汁のような染みが広がっていた。


「ともかく、うちのコテツが喰い逃げしたという証拠はあるのですか?」


「そうだぜ。 まさか、ガキが相手だからって言いくるめようとしてんじゃぁねぇだろうな?」


「うニャ! コテツ、悪くニャい!」


「むほ? むっほっほ! もちろんあるネ! ここにいる全員が証人、皆見てたネ」


 証拠の提示を求めた途端、ワン・タンは釣り餌に魚が掛かったかのように舌なめずり。


 ぶるぶると腹の贅肉を揺らしながら手を広げ、グルリと市場を指した。


「監視カメラは? 誰かアイ・インプラントで記録は? 言葉だけでは認められません」


「むほほ、無いネ。 ココ、どこだと思ってるネ。 そんなモノ、全部ないネ」


「なら、やはり認められませんよ」


「ダメネ。 アンタの方が証拠無い、アタシ達の方が正しいネ。 むほほほ」


 議論は平行線。しかし、状況的には相手の方に分がある。


 気が付くと、いつの間にか露店の店員達も手を止めてぞろぞろと囲み出していた。


 ただごとではない雰囲気に、コテツも不安な顔でボクを見上げている。


「ニャぅ……マサム……」


「マサム姉、ここいらじゃ警察相手みたいな堅苦しいこと言ってる場合じゃねぇって」


「ふむ……コテツ、確認ですがキミは人のモノを盗ったりしませんよね?」


「うニャ! 盗らニャい! 見てただけ! コテツ、悪くニャい!」


「良かった。 それが聞けたなら充分です」


「むっほっほ! ガキはいくらでもウソつくネ! 大人の方が正しいネ!」


「黙ってください、『ボクは』この子を信じることに決めたんです。 だいたい、この露店街は全員そちらの身内だと先程自慢していたでしょう」


 ボクが言い返すと、コテツも耳をピクリと震わせて反応する。


 彼女なりに思い当たる所があったのだろう。


「そうだったニャ! コテツ、焼いてるとこ見てただけ! なのに、盗ったって言われたニャ! そしたら、他のヒトも盗ったって! 見てニャかったのに!」


「なるほどな。 そうやって、いくらでも口裏合わせられるってことか。 んじゃ、テメェらの話もガキのウソと同レベルってことだな」


「むほっ!? なに言うネ!! アタシ、真実しか言わない! アンタ、ウソつきネ! アタシ、怒ったネェ!!」


 フカク君の一言が効いたのだろう。ワン・タンは豚のような桃色の肌を真っ赤に染める。


 興奮で血管の浮き出た熊のように大きな手。それをワキワキと開閉しながら、獲物を選ぶようにボク達を見比べていた。


 それもすぐに終わり、狡猾な瞳が一点に留まる。


【チェック:怒りに燃えるワン・タン】

 彼の眼はボクを捉えていた。いやらしく舌を舐めると、真っ直ぐに太腕を伸ばしてくる。

 フカク君は見た目があの通り厳つい、コテツは見るからにすばしっこい。

 残るボクは小柄で肉付きの良い女。下衆の考えは分かりやすい。


「脂ぎった汚い手で触らないでください──よッ!」


「おぉ! 出たぜ、マサム姉の蹴り上げからの踵落としッ! コイツは痛ぇぞ!」


「いけニャ~! マサム!」


 二人の応援実況のなか、ボクは鋭く左脚を蹴り上げる。


 ナイフのように尖った爪先は豚男の手を狙い、槍のように突き上がる。


「むほっ! むっほっほ! アンタ、甘いネ! アタシ、ココのボス! ただのおデブちゃんじゃないネ! 喧嘩トテモ強いネー!」


 渾身の一撃を繰り出したはずだが、ボクの左脚はガシリと掴まれてしまった。


 振り解こうと何度か動かすが、まるで万力のようにビクともしない。


 やはりセキトリ系の身体であったか。脂肪の鎧の下には、強靭な筋肉を隠し持っていたらしい。


 こればかりは義眼機能(アイ・インプラント)のスキャンでも分からない。機械部分しか見分けられないのだから。


「ニャッ!? マサム!!」


「げぇ!? コイツ、動けるタイプのデブだぜ!? おいおいおい、ヤベェんじゃねぇのかよ!?」


「むっほっほ! ガキの責任は親の責任ネ。 騒ぎを大きくした分、アンタには楽しませてもらおうかネ! むほー! 良い眺めだネー!」


 ワン・タンが嬉しそうにプルプルと頬肉を揺らす。まるで不細工なブルドックだ。


 それも仕方ないだろう、今のボクは左脚を大きく開脚したせいで股部が丸見えなのだ。


 インナースーツで隠されているとはいえ、ここまでガン見されるのは気分が悪い。


「ハァ……最悪です」


「むっほっほ! 今さら謝っても遅いからネ! オマエ達! 他の二人は任せたネ! 終わったらおこぼれやるネ」


「待ってました! オーナー!」


「へへ、悪いなカレシ。 そういうことで、ネェチャンはしばらく返せねぇんだわ」


「このガキも女だよな? くひ、オレ……コッチの方が好みかも」


 取り囲んでいた店員達が拳を鳴らし、徐々に輪を縮めていく。


 流石にこの人数差では喧嘩慣れしているフカク君でも諦めるだろう。


「クソっ! テメェら卑怯だぞ! タイマン張れや!!」


「マサムぅ……コテツ、どうする? ニャにすればいい?」


 案の定うろたえる彼と、おろおろ指示を待つばかりのコテツ。


 この様子だと自分でなんとかするしか無さそうだ。


「ふぅ……『最期』に一つ、いいですか?」


「むほ?」


「しっかりと、その光景を目に焼き付けておくんですね! キミの『最期』になるんですからッ!」


 掴まれている左脚は装甲義体(ハードウェア)だ。人間の可動域と同じなわけが無い。関節など有って無いようなものなのだ。


 地に着いたままの右脚を弾みをつけて跳ね上げると、ハードウェアを軸に大きく回転させていく。


 今のボクはさながら人間扇風機といったところか。


「むほーッ!? これ、どうなってるネッ!?」


「ハァァァッ!!」


 驚いて強張った腕がボクを空中に支え、遠心力を余さず右脚に伝えていく。


 掴まれた脚の恩恵はそれだけではない。身長差で届かなかった頭蓋骨、肉の鎧が薄い弱点すらも脚の射程圏内に入ったのである。


「セイッ!!」


「ほごぉっ!?」


 相手の怪力を逆に利用した回転蹴り。ハンマーのように強烈な右脚が側頭部を叩く。


 ワン・タンは激しく脳を揺さぶられ、情けない声を漏らしながら鼻水を垂らしていた。

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