File:23 シャークドック(挿絵)
しばらくすると『造船鮫』と書かれた看板が見えて来る。ご丁寧にサメのキャラクターが目印だ。
ビルの一階がガレージになっており作業場となっていた。
目的地に着いたので、乗って来たポンコツをガレージの方へ誘導して停める。
「ピプ、ピプ──オ、オ、オ、疲レ様デデデ、シタ」
コテツに掌握されている影響なのか、マイマイは相変わらず変な音声を投げかけている。
出発した時のピカピカな姿が嘘のよう。今では全身穴だらけのスクラップ同然だ。
流石にここまでガタが来ていると、修理するまで乗る気は起きない。
「キミもお疲れ様。 直してもらうまで、ゆっくり休んでください」
「休んでてニャ!」
マイマイから爪を引き抜いたコテツが、床に手を突き四つん這いになる。
そのまま、うんと背筋を反らして『猫特有の伸び』をしていた。
ずっと慣れない運転をしていて堪えたのだろう。だが良い経験になったはずだ。
「うん~~~ニャふ。 マサム~。 これから、どうするニャ?」
「そうですね、まずはその辺にいるはずの……あぁ、いました」
散らかったガレージを見渡すと、洗い場の方に人影を発見する。
【チェック:ガレージの人影】
タイヤを固定した車両の脇で、バシャバシャと水を被っていた。
車両と比較すると、かなり背丈が高い。成人男性の平均身長より上だろう。
工場にいるだけはあり、水を弾く身体は筋肉質で引き締まっている。
「はぁ……いつからここはシャワー室になったんですか?」
「あん? どっかのだれかのせいで叩き起こされたんだから、仕方ねぇだろ」
そう言って、目の前の男は高圧洗浄機から頭を離す。
ぐっしょりと水を吸った髪が顔を隠し、表情の色は掴めない。だが声色から怒っているのではなく、軽い嫌味だと分かった。
彼は雑巾のようにギュッと髪の毛の水気を絞ると、そのまま隣の乾燥機に頭を突っ込んでいく。
「そんな無茶をしていると、そのうちハゲますよ」
「うるせぇ! いいか、タフな男の朝には深海のようなキツゥ~イ水圧がいるわけよ。 そんじょそこらのジャグジーで満足できるわきゃねぇっての」
それだけ言い残すと、彼の操作した乾燥機が凄まじい音と風をガレージに巻き起こした。
『ゴォォォォォ』
「ニ゛ャッ!? なにも聞こえニャい……」
大きな音が苦手だったのか、あるいは熱風が嫌なのか。
コテツは露骨にテンションを落として耳をペタリと塞ぎ込んでいる。
いたたまれなくなり、ボクが壁となって少しでも緩和してあげることにした。
「後ろにおいで。 少しは楽になりますよ」
「うニャぁ……」
少女は背中の方へと回り込む。
そして泣きつくように、ボクのトレンチコートの裾をギュッと握り締めた。
こうして弱々しい姿を見ていると、どれだけ身体強化されていようが子供であることには変わらないのだと実感する。
そんなことを思っていると、乾燥機のけたたましい音が鳴り止んだ。
「ふぅ~、これでようやく目が『覚め』たぜ。 サメだけにな」
くだらないダジャレを口走る男が再び姿を現す。
両手で『ワックス』と『サメの歯のような櫛』を操り、長い青髪を整えていく。
すると、あっという間に『サメの鼻ッ面』を模したリーゼントが出来上がっていた。
「フカク君……そういうくだらない寝言は寝てから言ってください」
「おっと、こいつぁ一生の不覚ってな! んで……今度はなにしでかしたんだよ、マサム姉」
【チェック:目の前の男】
ナツメさんに通信で起こすよう頼んだ相手、フカク君だ。
風貌は町工場によくいるヤンキーA、といったところ。違うのは変なリーゼントくらいだろう。
こんなのでも、ボクと同じように『先生』に拾われた義姉弟である。血の繋がりはないが、腐れ縁のような妙な絆があった。
「この間キミに造ってもらったマイマイなんですけど──アレ、直しておいてください」
「あぁん? ちっとくらいの傷なら我慢しろって面倒臭ぇな……うぉぉ!? なんじゃアリャァァ!?」
ボクが指差すと、彼の視線もそれを追う。
そして、ガレージに隅でいまにも自壊しそうな電動一輪車を眼にした途端。
彼は眼を向いて驚きの悲鳴を上げる。その驚きぶりは、自慢のリーゼントが崩壊するほどだ。
しばらく放心していたようだ。ハッと息を吹き返すと、取り繕うように櫛でリーゼントを直しながら振り返る。
「お、オマエ……アレでよく生きてたな」
「残念ですが、この通りですけどね──」
五体満足を欠くとはいかないまでも、負傷してしまった右脚を見せる。
応急措置で流血は塞いでいたが、時間が経って赤黒くなった傷跡が目立つ。
「オイオイオイ……結構深いんじゃねぇのか、コレ? 『死んだオヤッサン』も無茶すんなって言ってたろうが……」
「これくらいは『先生』と一緒にいたころに比べたら無茶の範囲外ですよ。 それに、フカク君なら治せるという算段もありましたので」
「あのなぁ……オレ様は医者じゃねぇって、いつも言ってんだろうが」
「おや、確かここはシャークドクでしたよね? ボクの記憶違いでなければ、ですが」
「ドックだっつの! 機械専門なんだよ、本来は!」
「あぁ、そういえばそうだったかもしれません。 けど、『治療も』できますよね?」
「ハァ……ったく、横暴な姉貴を持つと苦労するぜ。 アレやれ、コレやれと、人をなんだと思っていやがる。 さめざめと泣きたくなるぜ──」
げんなりした顔でそっぽ向いた彼は、黙ってガレージの奥へと指を差す。
フカク君はそれだけで伝わると判断したらしい。ボクを残して着替えを取りに行ってしまった。
【チェック:奥にあったもの】
滅菌用のビニールカーテンが覆っている一画。
中にはポツンと奇妙な手術台が設置してある。
まるでサソリのようなシルエットであり、長い尾のようなライトが内向きに巻いていた。
「なんだかんだ文句を言いつつも、決して断らないところが可愛い弟ですよね」
いつの間にか自分の背を越していたフカク君の成長を見届け、ひとり感慨に浸る。
満足すると、ボクは後ろへ振り向いてしゃがみ込んだ。
そこにはまだ耳を塞いだままのコテツがいるので、目線を合わせたのである。もう音は大丈夫だとアイコンタクトを送るためだ。
「さてと、コテツ──ボクはこれから治療することになりました。 少し時間が掛かるので、先に上へ行っといで」
「やニャ! コテツ、マサムと一緒にいる!」
「おや、ナツメさんが美味しい朝ご飯を用意しているのにですか?」
「ごはん!? やっぱり……コテツ、行ってくるニャ!」
「ええ、行ってらっしゃい。 ちゃんとナツメさんに挨拶するんですよ」
「うニャ! ごはん~!!」
見知らぬところで一人にされるのを嫌がっていたようだが、子供の貪欲な胃袋には勝てなかったらしい。
あれだけおでんを食べてもまだ足りない空腹を満たしたいのか、あっという間に跳んで行った。
最初に監禁されていた頃に比べると、かなり人間らしい感情の起伏を取り戻しているようで安心する。
「おん……? 誰かいたのか?」
コテツがいなくなったと思えば、すれ違いのようにフカク君がガレージへと戻って来る。
はだけた服に袖を通し、とても執刀を控える医者とは思えないラフな恰好だ。
もっとも正式な免許を持た無い闇医者なのだから、当然といえば当然ではある。何をしようと取り上げられる免許などないのだから、怖いモノ無しなのだ。
「猫を拾ったんですよ。 食べ盛りの子猫を──」
「動物だとぉ? どこの金持ちが捨てたんだよ、ソレ。 売れば結構良い金になるんじゃねぇのか」
「残念ですが、売りませんよ。 ウチで飼うことにしました」
「へぇ~、金にガメついマサム姉にしては珍しいじゃねぇか。 どんな風の吹き回しだ?」
「そうですね……『一目惚れ』、ですかね」
「ハッ、なんだそりゃ」
軽く笑い飛ばした彼は、ビニールカーテンを開き中へ誘う。
ボクは促されるままに手術台へ向かい、消毒液のツンとした臭いが目立つ席へと腰を預けた。
「んで、守銭奴のお姉さまよぉ。 麻酔はいるか?」
「要りませんよ、無駄に高くつくじゃないですか」
「言うと思ったぜ。 やっぱりそうでなくちゃな、オレ様の知ってる姉貴じゃねぇってもんよ」
それだけ言うと、サメの歯の柄が入ったマスクで顔を隠し、ボクの傷口を抉っていく。
「ぐっ……」
「おぅ、相変わらずの悪運みてぇだな。 神経も動脈も逸れてらぁ。 こんなん傷だけ塞いどきゃぁすぐに治るぜ、マサム姉」
グチ、グチ、と肉を掻きまわす音が耳障りだ。容赦なく脚に開いた穴を弄っている。
その度に激痛が奔り、脳が危険信号で警鐘を鳴らしていた。
「う、く、ぅ……」
慣れてはいるが、痛いものは痛いのだ。生身の身体を捨て去らない限り、それはどうしようもない。
飛びそうになる意識をなんとか食い止め、手術台の端をギュッと握る。
こんな姿をコテツに見られなくて良かった。きっと無駄に心配させてしまうのだから。
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