File:20 クロオビ・スーツ(挿絵)
「まさか、ボクはまだ眼を盗まれているのでしょうか……?」
視覚から消すことが可能であるなら、視覚情報を偽造することだって容易なはず。
目の前の現実が虚像でないとは言い切れない。
脳が余計な誤解をしないように眼を閉じると、そっと死体に手で触れる。
【チェック:ニンジャの死体】
音を殺すために外装の類はほとんど身に着けておらず、直に脈を測れた。
触った感触は柔らかく、体温は徐々に冷たくなっていく。死後間もない状態だ。
輪郭をなぞってみると先程の視覚情報に合致していた。ボクの眼は真実を映していたことになる。
「コテツ、キミが戦っていたのはコイツで間違いないですか?」
「うニャ! コイツ! ずっとマサム狙ってたの、コイツニャ!」
「そうですか──」
証言もある、証拠も目の前に残っている。
それでもやはり疑わずにはいられない。眼を見開きもう一度凝視するが、ボクの知っているあの『顔剥ぎ』ではないのだから。
「ふむ……いえ、まだ確認していないことがありましたね」
検死に一区切りつけて離れると、その辺に転がるアイコンズ達の亡骸をざっと見比べた。
自己主張の激しい集団なので、どれもこれも装飾過剰でゴテゴテしている。
その中でも比較的薄着の死体に目を付け、爪先で仰向けに転がす。
【チェック:薄着のアイコンズの死体】
露出が高い服の女だ。自分の身体こそアイデンティティと主張するタイプだったのだろう。
脱がしやすい服をグッと引っ張り、あられもない姿にしていく。
すると顔だけ欠損した、『綺麗な身体』の生身だった。傷一つ無い珠の肌である。
「やはり、思った通りでしたか。 あの『顔剥ぎ』は偽物だったんですね」
「マサム、なにしてるニャ? 偽物って、ニャに?」
「ボク達の倒した敵のことですよ。 ずっと追っていたヤツだと期待したんですけどね……『足りない』んですよ、ヤツが殺ったと示す印が──」
伏し目がちに自分の太ももを見下ろ、そっと撫でる。
そこに刻まれた『正正一』の文字。『顔剥ぎ』が獲物に遺していくキルマーク。
今では二十面相などと呼ばれるヤツのことだ、その習慣は続いているはず。
だからこそ、この女の『身体に一切の傷が無い』のはオカシイのである。
「ですが、コテツはよくやってくれましたね。 お手柄ですよ、改めてお礼を言わせてください」
「ニャは~! おれい、もらった……ニャっ!? おでん! マサム! もらった、おでん、ニャい!!」
「あぁ、おでん缶ですか。 そういえば落としてましたね──アレじゃないですか?」
コテツが両手を上げて騒ぐものだから何事かと驚いたが、なんのことはない。彼女のお気に入りについてだったらしい。
安堵しながらクスリと笑うと、先程死体を品定めした時に見掛けたモノを指し示してやる。
「ニャニャ! おでん! コテツの!」
ネズミへ跳び付く子猫のように、コテツがピョンピョンと死屍累々をかき分け跳ねていく。
小さな両手が缶へと届くその瞬間──金属のへしゃげる音が地面を伝う。
『ガインッ』
「ニ゛ャッ!?」
突如、おでん缶は水飛沫を上げながらコテツの手をすり抜けていく。
そのまま空中で無残にハラワタを零し、血だまりへぼたぼたと具を落としてしまう。
あまりに意表を突かれたためか、一瞬なにが起きたか分からなかった。
遅れて来た耳鳴りと残響。それでようやく銃声によるものだったと理解する。
「ヘイヘイヘーイ!! なぁに、良い雰囲気出してくれちゃってんのさ!!」
「ウチら無視してんじゃぁ、ねぇっつの!」
「ステルスニンジャが死んだんだろ? だったら、もう怖くねぇ! まだコッチの方が数は上だからなぁ!」
「血祭りショーの再開だオラァ!! 悔しかったら、テメェも透明になってみろや!! 出来ねぇだろうけどよ!!」
周囲を見渡すと、ボクと同じように義眼機能を入れていたアイコンズが取り囲んでいた。
ハッキングから解放されて視力が正常に戻ったのはボクだけでは無い。とはいえ、まさか不可視のニンジャと拮抗していたコテツを挑発するとは恐れ入った。
いくらあの剣戟を見ていなかったとはいえ、子供だからと油断し過ぎだろう。
今までビクビクと様子をうかがっていたくせに、調子のいい連中だ。本当に救えない。
「ぬぁ、コテツの……コテツの、おでん──」
「荒し、嫌がらせ、混乱の元……まったく、不快な思いをさせることに関しては天才的ですね、キミたちは……」
相棒を泣かされて黙ってはいられない。
コテツの涙を拭ってやると、ボクは左手に新しい弾を装填する。
「ニャ、マサム……」
「コテツ、食べ物の恨みは恐ろしいと、あのバカ者達に教えてやりましょう」
「うニャ! おでんの、恨み! ふんす!」
いい加減、うんざりしてきた街のゴミを掃除しようと決意したところだった。
指鉄砲を構えるよりも先に、耳をすませることになる。
「これは──」
『フォンフォンフォンフォン』
頭上からけたたましいサイレンの音が鳴り響く。
敵も、そしてボク達も、揃えたように銃を下ろし、思わず顔を上げていた。
注意を惹きつける異音は、さらに音量を上げた声でボク達に語り掛けて来る。
『我々は新警察だ! ニンジャの目撃情報を確認した! 全員、その場を動くな!!』
警察を名乗る謎の声。
その出所は空中に浮ぶ黒い車からであった。
「畜生、ペリーだ、ペリー艦だよなアレ!? 『黒船』がやってきちまった!?」
「ゲェッ!? どこの馬鹿が通報しやがった!! 巻き添えはゴメンだぞ、クソが!!」
一目見た瞬間、アイコンズ達がどよめき始める。
それだけでただの警察ではないことは明らかだろう。
ボクだって極力はお目にかかりたくはなかった。
【チェック:空飛ぶ車】
緊急空輸艦、略してペリー艦。
黒塗りの車体で、全体的なシルエットが『身体を畳んだペリカン』に似ている。
新警察最高戦力であるクロオビ部隊の空輸に使用されることから、民衆からは『黒船』と呼ばれ畏れられていた。
「クロオビ部隊が動いた……マズイですね、アオビー君の根回し前にコテツを捕られるわけには──」
「マサム、やらニャいの? コテツ、いつでも、やるニャ! ふんす、ふんす!」
「しっ! 爪をしまって静かに。 今はダメです」
「ぬぁ……? これで、いいニャ?」
こうなってはもう、アイコンズなどに構っている状況ではなくなった。
コテツをそっとボクの背後に隠し、黒い爪状の刀も収納させる。
『彼ら』はニンジャと真正面からやりあえる特殊部隊なのだ。まともに相手しようなんてのは馬鹿だけ。
なによりも、そのニンジャを殺したとあればコテツに興味を抱くことは明白。
面倒事を避けるためにも、ここは息を殺して機会を待つのが最良だろう。
死体の山に隠れていると、ペリー艦からズシンと重量感のある音を立てて、黒い塊がいくつも落下してくる。
生身を一切露出しない強化外骨格を着込んでいるせいだろう。拡声器による機械的な外部音声が響き渡っていた。
「現場到着、ただいまをもって、この一帯を封鎖する!」
「聞いたな! 貴様ら、全員その場に伏せろ! 従わぬ者は不穏分子と認定する!」
物言いは高圧的そのものであり、自分達が圧倒的強者であることを自認しているようである。
実際その通りであるし、普通の民衆なら跪くだろう。
だが、それが逆に跳ねっかえり者達の癪に障ってしまった。
「うるせぇ! スーツの機能だけでイキりやがって!」
「なにがクロオビだオラァ! ハリボテ海苔捲きのくせに偉ぶってんじゃねぇぞ、税金泥棒!!」
『ババババババンッ!!』
ボク達を狙っていた銃口が一斉にクロオビ部隊へと向けられ、弾が切れるまで撃ち尽くしていく。
ところが、対する新警察の方はビクともせず、ハエでも掃うかのような仕草で返す。
その余裕を証明するように、強固な装甲には傷一つ付いていなかった。
「フン、頭まで承認欲求に溺れたカスどもめ。 共通規格など、このクロオビスーツに効くものか!」
「隊長!」
「許可する──不穏分子、排除! ただし、数人は残せ! 配信映像を逆探知して検閲する!」
「ラジャ!」
一人だけ意匠の違うヘルメットの男が手を挙げると、部隊のクロオビ達が反撃を開始してしまう。
彼らの装備の質はあまりにも違い過ぎた。予算をたっぷりと注ぎ込んでいるのだから当然ではあるのだが。
軍用ライフルは掠めただけで肉体を破壊し、装甲義体すら盾にもならない。
スーツに施された特殊な脚部構造がバッタのように地を跳ね、一瞬で間合いを詰めていく。
銃弾の雨をくぐり抜けると、赤子の手をひねるようにアイコンズを転がした。流れるように神経拡張機を強制接続し、完全に掌握していく。
ある者は死に、ある者は全身硬直。無謀なアイコンズが一人、また一人と、呆気なく散っていく。
クロオビが1カートリッジを使い切る頃には、辺りに一面の血の海が出来上がっていた。
残ったのは、死体の横にうずくまって震えることを選んだアイコンズのみ。まるで機械のような精確さである。
「排除、および制圧完了!」
「よろしい──む? なぜ、こんなところに子供が?」
隊長と呼ばれる男がコチラへ顔を向ける。部隊を任されるだけはあり、流石に目聡い。
その視線は、間違いなくコテツへと注がれていた。




