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File:09 ボルダリング・キャッツ

 しかし、これでようやく風向きが変わった。


『バルルルル──』


 後方からの発砲音は鳴り止まない。好都合だ、まだ気が付いていないからである。


 ボクを乗せたマイマイを執拗に狙い過ぎた結果、その照準は今しがた乗り越えたカニタンクが肩代わりしてくれるのだ。


 遠隔で大まかな命令だけを送られ、自分達の思考で動くバイオミュータントの弱点。それは、錯覚や騙し討ちに弱いということ。


 いくら高度人工知能(AI)が規制されているとはいえ、あんなちっぽけなカニミソではたかが知れている。


『ガガガガガガッ──』


 カニの顔面に、弾丸の雨がもろにぶち込まれていく。


 案の定、通せんぼしていたカニタンクは怒りの声を上げ始めていた。


 防衛本能が知能を上回り、飛び越えたボクのことなど眼もくれない有様である。


『キシャァッ!! バルルルル──』


 煙に騙されあらぬ方向へと撃ち続けているカニタンクと、追跡してきた方のカニタンク、その両者が互いを撃ちあう同士討ちの形へ持っていけた。


 もはや、ボクをこれ以上追って来る気配は無い。


 マイマイの損傷は惜しいが、命が拾えたのに比べれば断然安い対価だ。


「今頃、装甲車の中ではゴロツキども慌てふためいて泡拭いていることでしょうね。 カニなんか使役する彼らにはお似合いですよ」


 これでカニタンクを3体は捲けたはず。それでも残り4体。まだそれだけいるのかと思うと気が滅入る。


 どこから飛び出してくるのか油断ならず、安心も出来ないだろう。


「キミ、大丈夫ですか?」


「あわわ、ぶくぶくニャァ……んニャ? ね! あっち!」


 荒い運転と被弾による振動で目を回していた猫耳娘がハッと意識を取り戻す。


 そのままピクリと猫耳を動かした少女は、進行方向の先、曲がり角を指差した。


【チェック:少女の示すモノ】

 路地裏の壁にぬらりと伸びる不穏な影。

 どうやらこの子の耳は飾り(イミテーション)ではないらしい。

 遠くの音をつぶさに拾い、待ち伏せを逸早く看破してくれたようだ。


「なるほど、待ち伏せとはまた古典的な……よく気が付いてくれましたね。 偉いですよ」


 先程活躍の機会を取り上げてしまった分、うんと(あご)の下を撫でてあげた。


 ミュータンテック社の生物兵器に対し、ミュータンテック社から盗み出した子供によって何度も命拾いするとは皮肉なものである。


「ニャへへぇ~」


 左手では優しく子供の相手をしつつ、ハンドルを握る右腕は次の一手を打つためにグッと力を入れた。


 相手は奇策を打たれる前に正面から止めるつもりだったらしいが、ネタがバレてしまえば後手に回るだけの悪手。


 せいぜい来るはずもない獲物をジッと待っていてもらおう。


「それでは、もう一度口を閉じてください。 また揺れますよ──」


「ぬあッ!? にゃむッ……!!」


 左手で少女の口をグッと押さえてやる。また舌を噛まれては心苦しいのだ。


 きっとこの子は、もう勘弁してくれと目で訴えているに違いない。


 だがこれも生き残るためなのである。どうか許して欲しい。


 心の中で謝罪を済ますと、ボクは意識的に目線を上げ続け、下を見ないように心がける。


「マイマイの小柄ならではの裏道を使いますからね。 修理箇所がまた増えそうですが、頑張ってもらいましょうか」


【チェック:路地裏の小道】

 一本道は未だに続いている。その奥角にはもちろんカニタンクが待っているため直進はNG。

 両端に立ち並ぶビルの壁。防犯のために一階の窓へは鉄格子がハメ込まれているので飛び込めない。

 あと目ぼしいものは、三階部分から続いている非常階段くらいか。当然ながら地上からは手も届かない。


「前は敵、後ろにも敵、左右は壁──ならば残る道は上しかない。 簡単な推理ですよ」


 ボクは狭い路地裏の道の端へと車体を寄せると、うずたかく積まれたガラクタの山をジャンプ台にしてマイマイを加速させていく。治安の悪さに感謝だ。


 さらにこちらは、カニタンクの猛撃のおかげで車体が穴だらけ。かなり身軽な状態にしてもらっている。


 ビュウと風を切り、タイヤが空転してモーターがうなりを上げていく。今まさに、ボク達は空を跳んでいるのだ。


「ンムゥゥ!?」


「届けッ──!!」


『ガチン』


 タイヤが非常階段の手すりにぶつかる。ヒヤリと汗が頬を伝う。


 大きく車体を跳ね上げ緊張が奔るが、なんとか止まることはなく乗り越えてくれた。


 大きな山場を越え、安堵に胸を撫で下ろす。だがこれはスタートラインですかない。


「やりました! さぁ、ここからは地獄のメリーゴーランドです、吐かないでくださいよ……!!」


 遥か頭上、空の彼方へまで続くメガビルディング。


 それに備え付けられている非常階段ともなれば、気の遠くなるほど長い螺旋階段となっている。


 一輪しかないマイマイは、段差こそ乗り上げることはできても衝撃までは緩和できなかった。


『ガゴガゴガゴガゴ──』


「ニ゛ャニ゛ャニ゛ャニ゛ャニ゛ャ──!?」


 階段も駆け上がるなんてことをすれば、お尻を餅つきされているようなもの。


 階段を一段上るごとに臓物をシェイクされ、脳が揺れ、呼吸もままならない。とても正気とは思えない地獄の旅路なのだ。


 かといって、楽な道を選べるほどの選択肢は無い。残された択はただ一つ、泥臭く我慢で堪えるのみ。


 だというのにこの過酷なアトラクションへ、さらなるアクシデントが追加されていく。


『バルルルル──ガガガキンッ』


 さらに悪い状況が追加された。下方からガトリングを放つ音が聞こえて来たのである。


「大人しく角で待っていればいいものを──ですが、どうせ当たりません。 このまま突っ切りますよ!」


 下から狙ったところで、ほとんどが非常階段に阻まれ脅威とならない。


 多少なり揺れが酷くなった程度である。


 ボク達が上へ上へと移動するほどに、狙いはどんどん付け難くなり、バラツキの多いガトリングではまったく相手にすらならないのだ。


 どうせ焼け石に水、今更遅いと高を括っていた。しかしどうも、あの甲殻類の狙いはそもそもボク達では無かったらしい。


「もう少しの辛抱です……そんなッ!? 階段が──」


 最下段の支柱から始まり、途中までの柱もバキバキにへし折られては、いくらビルに繋がっているとはいえ自重を支えきれない。


 長い長いこの非常階段も音を上げて、悲鳴のような軋みを立てていた。


 ボクがそれに気が付いたのは、視界が斜めに傾いてからである。


 最後の階層、ビルの頂上が目と鼻の先だというのに、どんどん離れていってしまう。


「届か──ない……あと一歩、足りないッ!!」


 手を伸ばしたところで何の意味も無い。それでも、自然と左手が伸びていた。


 足場が崩れ落ち、ここまで頑張ってくれた愛車の空転音が虚しく響く。


 マイマイは空を跳べても、空は飛べないのだ。地に脚着かなければ、どうすることもできない。


 もうダメだと思ってしまった。我ながら、柄にもない弱気である。


 そんな時。ボクの左手の下から、小さな腕が振り上がって二つの手が重なった。


【チェック:小さな腕】

 ボクの鉄の左手が包み込んだのは、猫耳娘のか細い手。こうして比べると、なんと小さいことだろう。

 彼女の掌からは、実験室で見た抜身の刀身がビュンと伸びていた。

 黒い刃はビルのコンクリートを豆腐のようにサックリと割り、深く突き刺さっている。


「届いた……」


 呆気に取られていると、猫耳娘はもう片方の腕からも刃を伸ばし、ビルに突き立てる。


「ニャニャニャニャァァァ!!」


『ガジガジガジガジガジ──』


 そのまま爪とぎでもするかのように両腕でビルを掻きむしり、ボクとマイマイを引っ張り上げていく。


 まるで垂直に泳ぐクロールだった。重力というものに対する反逆児である。


 その力強さに、小さいと感じていた少女の手が、今はとても大きく思えてきた。


「うそ……助かったんですか──?」


 気が付いたら車体は屋上のド真ん中へ放り出されており、タイヤのジャイロ機能が働いて起き上がるところ。


 ボクは今しがた起こった奇跡のような、あるいは冗談みたいなこの夢物語をどう処理すればいいのか考え、呆けたように茫然としてしまう。


 興奮で神経(ニューロン)が甘く痺れる。あまりの事態に頭がぼうっとして、どうにも思考が定まらなかった。

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