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血路

 太鼓が鳴った。


 夏侯覇の兵は全て、騎兵であった。

 中央の黒き五百が、あの直属の騎兵部隊である。


 黒き獣はただ一直線に、無謀にも思える正面への突撃を敢行。兵力差は、六倍以上。

 郭淮率いる軍勢の前軍を率いるのは、陳泰だ。

 一寸の乱れも無く統率された精鋭が固く陣を組み、長槍を前に突き出しながら、黒き獣へと押し寄せた。


 矢が、放たれる。


 放ったのは陳泰の側ではなく、夏侯覇の騎馬隊。

 馬に乗ったまま、弓矢は敵の前衛を穿ち、崩した。その綻びを、夏侯覇の槍が食い千切る。


 彼の騎馬隊の恐ろしさは、魏の将兵の皆が知っていた。

 一度勢いに乗ってしまったアレを、止めることは出来ない。その恐怖が全軍へと広がるのは、一瞬であった。

 何より、先頭で矛を振るっているのが夏侯覇なのだ。

 その事実ひとつが、魏の将兵を立ちどころに怖気づかせた。


「敵は寡兵! 何を恐れる事があるか! それでも雍州魏軍の男か!?」


 夏侯覇と直接ぶつかり合う様に前に出たのは、陳泰であった。

 互いに槍を振るい、馳せ違う。再び馬を翻し、矛を突き出した。

 鋭い一閃で肌を裂かれ、夏侯覇は鎧を深く削り取られるも、己が血すら意に介さず、派手に横に凪いだ矛先で、陳泰の槍の柄を弾き飛ばした。


 まるで大木で殴り付けるかのような勢いを持つ夏侯覇に対し、陳泰の槍は細く鋭く流れるような殺意を放つ。

 実力は、五分。しかし、命を捨ててる分、流れは夏侯覇にあった。

 恐らく、死んでもこちらの命を絶つまで戦い続けるであろう。

 そう思わせる剥き出しの殺意こそ、この黒き獣の正体なのだ。


 首を落とされようと、牙一つで命を喰らう。決して敵にしてはならない相手。

 そんな獣に敢えて正面切って立ち向かった陳泰の鼓舞は、前軍の息を吹き返させ、陣を固くまとめた。

 ただ、この士気も陳泰が生きていればこそだった。


「ッ……」


 何十合と矛を突き合わせ、陳泰はたまらず槍を手放した。

 腕は、ほとんど感覚が無い程に痺れている。すぐさま手綱を腕に巻き、逃げ出した。

 単純な膂力であれば、かつて戦った事のある迷当の方が上だった。

 しかし、夏侯覇のそれは自分の命を捨てた、防御を全く考えてない攻撃である。

 一撃一撃が、全力なのだ。重さが桁違いだった。


「逃げるか、陳泰!」


 兵が間に入り夏侯覇の行く手を遮ろうとするが、それすらも容易く突き破る。

 二万の堅陣を、三千の騎兵が正面から断ち割っていった。

 あり得ない事が、今目の前で起きている。

 郭淮は全身に悪寒を感じながら、後退したい気持ちを必死に抑えていた。


 逃げながら剣の柄に手を掛け、真上に抜いて掲げた。

 兵の動きが変わる。

 夏侯覇はその不穏な空気を咄嗟に察知し、馬の足を止めさせた。


『── 突撃!!』


 それは、攻城戦において城門を突破する際に用いる、先の尖った丸太だった。

 衝車、と呼ばれる兵器である。


 隙間なく、まるで濁流の様に押し寄せ、夏侯覇の騎馬隊を貫き、潰していく。

 まさに夏侯覇の勢いを殺す為だけに、それだけの為に作られたような戦術。


 先頭を走っていた、五百の旗下の二百を一気に失い、三千騎はおよそ半数にまで減った。

 二万の軍の中央で、完全に勢いは止まってしまった。

 千あまりの兵のみで、完全な包囲を受ける状況となってしまった。


「将軍、我らが血路を切り開きます。どうかお逃げください」

「逃げる? 敵は目の前にある、進むは前のみだ」

「勢いが止まってしまえば、もはや前進は不可能です! 更にまた何度、あの衝車が来るやも分かりません」

「ならばここで死ぬまでよ。逃げると言ったが、敗れてしまった以上、この国に俺の居場所は無い」

「天下は、魏のみに非ず! 将軍こそが、我らの生きる祖国です。魏の為にも、将軍だけは死んではなりませぬ!」


 長く共に戦場を駆けてきた、配下の一人であった。

 家族も親も居るというのに、全てを捨てて、自分に付いて来てくれた。


「先鋒は、私が請け負います。将軍を、必ず包囲の外へ」


 気づけば、夏侯覇を中央にして、残った騎兵は陣を組んでいた。

 皆が、同じ表情をしていた。

 悲壮さは全くない、どこか清々しいような顔付きである。

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