突撃
「動くぞ」
部隊をまとめて、蒋斌は僅かに後退し、体制を整える。
黒き獣が、牙を剥いたのが分かった。
動き出した千の騎馬隊。
それ以外はただ、戦況を見守る様に後ろに付いているだけで、戦意は無い。
蒋斌も部隊を小さくまとめ、突撃を開始。しかし瞬時に、その愚を悟った。
夏侯覇の千騎は、まるで鉄砲水の如く、全てを攻撃に意識を向けた特攻である。
正面からぶつかれば、押し潰される。
心臓が激しく脈を打つ。
「散れ!」
咄嗟の判断であった。
小さく固まっていた蜀軍は、衝突寸前で方々に散る。
その中央を、黒い獣があっという間に飲み込んだ。
この一瞬で、精兵の二割を失っていた。
ただ今度は背後を突ける。
蒋斌は、集めた数百騎でその背後に追いすがり、喰らい付く。
するとその最後方の敵の数十騎は、立ち止まり、死兵となって道を塞いできた。
斬り伏せ、馬上から叩き落しても、敵兵は命尽きるその瞬間まで、己が身一つで牙を剥く。
まずい。
夏侯覇の矛先は、真っすぐにこちらへ向いていた。
体勢を立て直す間もなく、蒋斌はその波に呑まれる。
側近らが体を張ることで何とか逃れれたものの、兵は既に半数に削られていた。
「蒋斌将軍!ここで退かねば、全滅ですっ!」
「まだだ、まだ早い!完全に、奴の目を俺だけに向けさせねばならん」
何とか兵を整えた蒋斌の背後より、夏侯覇が迫っていた。
小さな丘が見える。
蒋斌はあそこまでひた駆けた。
遅れた兵士は、容赦なく獣に押し潰されていく。
丘の頂上、蒋斌は馬を翻し、夏侯覇を正面に捕らえる。
「────突撃!!」
掛け声と共に、全兵力で駆け下った。
斜面を利用し勢いを付け、逆落としでもって蹴散らす事を狙っての、起死回生の一撃。
激しくぶつかり合い、両軍の馬が、人が、激突して潰れ合う。
溌溂とした瞳で、夏侯覇が矛を構え、蒋斌を待っていた。
一騎打ちでもって決着を付けようという腹積もりの様だった。
それに応える形で、蒋斌も矛を振り、敵を切り倒しながら猛進。
もう、互いの射程に入った。
その瞬間である。
あろうことか蒋斌は、鼻先を反らして、夏侯覇の横を駆け抜け、走り去った。
「小僧……よくも、虚仮にしてくれたな」
高ぶる血が、激しく熱を持った。
夏侯覇は全軍に号令をかけ、僅か数百騎ばかりを伴う蒋斌を猛追。
既に蒋斌の体力も、気力も、限界であった。
激しい戦いで酷使したせいか、馬も走りがどこか不規則で、今にも足を折りそうな雰囲気である。
それでも、逃げなければならない。
数十騎が離脱し、僅かでも足止めを行おうと突撃を敢行するも、虚しく死んでいくばかり。
後ろを振り向けば、死ぬ。
蒋斌は馬の首に抱き着いて、とにかく駆けた。
もうすぐ後ろに、夏侯覇が迫っているような、その危機感ばかりが大きく膨れ上がる。
山中へ入る。
まだか、まだか。
背後の馬蹄が一層大きくなって聞こえた。




