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夏侯覇

 どう急いでも、陳泰は合流に間に合わない。

 いや、そもそも涼州から離れてもらっては困るのが現状である。

 姜維の動きは間違いなく涼州の豪族の蜂起と呼応しており、陳泰はその抑えとなってもらう必要があった。

 迷当を討ったという陳泰の名は涼州に広く伝わり、そこに存在するだけで、反乱の抑えとなる影響を持っている。


 報告によれば、蜀軍は軍を大きく二つに分けたらしい。

 半数は、廖化と傅僉が率い、成重山に拠ったという。

 そしてもう半数は、姜維と張翼が率い、涼州へ向かっているとのこと。


 目的は恐らく、ここら一帯の土地から民を奪う事であろう。

 この中国は広いと言えど、その広さの割に民はあまり多くは無い。

 涼州や雍州の様な荒廃した土地であれば尚更だった。


 民とは、国の根幹であり、全ての原動力だった。兵力も生産力も、全てが民の数に直結する。

 国にとって、民とは何よりも貴重なものである。

 それを奪われることは、この地を統括する郭淮の心情とすれば、許しがたいものがあった。


「夏侯覇将軍よ」

「……」


 郭淮は呼びかけるが、夏侯覇は口を閉じ、見向きもしない。

 横で並んで馬に乗っているのだ。聞こえていない訳がなかった。

 常日頃から関係性はこの通りであり、郭淮にも流石に我慢の限界というものが来ている。


 夏侯覇の態度は、司馬派と曹派の関係が激化すれば、伴って硬化していった。

 郭淮は自分の一族や配下を守ることが大切であると考えている。

 だからこそ、優勢が明らかである司馬派に靡き、身を保とうとする意思があった。

 別にこれに対して不忠であると言われる筋合いはない。

 こうして祖国に忠誠を尽くし、戦場に身を賭している。司馬氏や曹氏に命を捧げている訳では無いのだ。


 しかし夏侯覇は、一本気な男であった。

 筋の通っていない事に対して、激しく憤りを覚える性質なのだ。

 陳泰はそんな夏侯覇とどこか通じるところがあるらしく「ああいう、不器用で気持ちの良い男だと思えば良いのです」と、郭淮との間をよく取り持ってくれていた。


 鄧艾が依然として雍州の任地へ戻ってこないのも、この夏侯覇が居るからだろう。

 比重が少し靡いているだけの郭淮にすらこの態度なのだ。

 司馬懿に忠誠を誓っている様な鄧艾と相対せば、どうなるか気が気ではない。


「姜維は、正面から戦えば、天下一の強さを誇る。だからこそ、武勇誉れ高き将軍に、迎撃に向かってもらいたい」

「当然だ。お前なぞに任せておけるか」

「兵はいくら必要だ」

「敵は五千から六千と聞いた。ならば三千で十分だ」

「一万だ。一万を率いて向かってくれ」

「……ふん」


 夏侯覇は不快な様子で鼻を鳴らし、兵の編成の為に後方へ駆けだした。

 確かに相容れない存在だが、いざ戦となれば、彼ほどに頼りになる存在も居ないのだ。

 個人の武勇は、抜きんでていた。魏を代表する名将である父親「夏侯淵」の血を、確かに色濃く継いでいた。


 陳泰と戦えばどちらが勝つであろうかと、兵の間でも度々話題に上がっている。

 互いに千程の兵を率いての戦いならば、陳泰に分があるだろう。

 しかし、一対一なら、夏侯覇の方が強い。これは間違いないだろう。

 奴ならばきっと、正面切って、姜維を討てるかもしれない。郭淮はそんな淡い期待を胸に抱いた。


「ならば私は、廖化の相手だな」


 続々と、諜報に出していた早馬が戻ってくる。

 廖化は全軍で山に登り、堅陣を敷き、防備を固めているらしい。

 その数は四千。涼州内部の豪族らから人質を取り、この陣に集めているようだった。


「奴の弱点ならば、分かっている。姜維や張翼を倒せぬでも、この戦は勝てる」


 勝利を確信した余裕が、郭淮の胸で静かに熱を持つ。

 この広い中国の中で、廖化ほど戦を経験した将は居ない。しかし、それこそが付け入る隙ともなり得る。

 その戦歴を良く調べてみれば分かるが、廖化は今の今まで、自分の判断で軍を率い、動かしたことが無いのだ。

 常に劉備や関羽、諸葛亮や、姜維といった天才の指示で動き、それをそつなくこなして失敗の少ない戦功を挙げてきた。


 確かに、局所的な戦では強い。寸分の狂いの無い戦をする、手強い敵である。

 ただ、全体を見通す目が欠けている。

 応変の才を、戦で培ってこれる機会を今の今まで持てなかったからだ。


 夏侯覇が、一万の兵を連れ、速度を上げて離脱する。


 それを見届け、郭淮も二万の兵で成重山へ向かった。

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