時代
今、三国の内、最も国内の情勢が安定していたのは「蜀漢」であった。
呉は、後継者争いで多くの臣下や皇族が処刑され、国力を自らで大きく削いでいた。
僅か十七で呉という国を継ぎ、すぐさま訪れた「赤壁の戦い」においては、不安定な国内や家臣らをまとめ上げ、呉を守り抜いた名君「孫権」。
しかし今、老いてその賢智は鈍り、国内の禍根を除くどころか、自らで大きく掻き回している有様だった。
また魏でも、司馬氏と曹氏の派閥闘争がいよいよ過激になってきている。
曹爽は派閥争いにのみ精を出している在り様で、軍事や内政においては失策を繰り返し、司馬懿と大きく対立した。
司馬懿は争いを避けようと、政治から退き、隠遁の生活に入っていた。
そもそも、司馬懿自身には争う理由などなく、その大きすぎる功績が故に、周囲が勝手に過激になっているだけである。
司馬懿の居なくなった政界では、曹爽が自らの基盤を固めるべく、いよいよ政治を私物化し始めている。
その中で唯一の救いが夏侯玄であった。
しかし、夏侯玄の卓越した政治手腕をもってしても、国内の政争は避けられないものとなっている。
この二国の状勢と比べ、蜀は蒋琬や董允といった重臣が没したと言えど、国内に混乱は無い。
軍事では、姜維が実質的に軍の頂点に立つ。
国政においては、蒋琬の後任に費褘、董允の後任には陳祇が着き、その才覚を如何なく発揮していた。
「陛下に拝謁いたします」
勿論、この男がその時を逃すはずもなかった。
久々に参内した姜維は、何よりもまず、劉禅への謁見を求めた。
周囲には群臣が並ぶ。
その中において、赤き羽織と銀色の鎧を付け、今や軍の実質的頂点となった姜維の威風たるや、実に堂々としたものであった。
「面を上げよ」
「感謝いたします」
何を、上奏しに来たのか。
誰から見ても、その内容は明らかであった。
「陛下、私に北伐の実行をお許しください」
「何故今なのだ」
「昨今の国際情勢の動きは、魏に不利で、蜀漢に有利に働いております。呉は国内に不安は残れど、南方面の防衛を監督する魏将『諸葛誕』に粘り強く謀略を仕掛けており、寝返るかどうかの探りを入れるべく、出兵の準備を進めております。また、雍州の防衛を行う郭淮と夏侯覇の仲はすこぶる悪く、連携を取れるとは思えません。機に乗じるは、今しかございません」
どうやら朝廷に出仕せずとも、絶えず情報を仕入れ、戦略を練っていたらしい。
郭淮と夏侯覇の不仲は情報として入っていたが、呉の謀略に関してまでは探れていなかった。
涼州兵を上手く用いることで、姜維は独自の情報網を展開しているらしい。
「陛下、姜将軍の申し出を受けてはなりませぬ」
前に進み出たのは、費褘である。
「第一に、呉は出兵の準備を整えているとは申しますが、本気で攻勢に出る軍ではなく、あくまで揺さぶりの為の出兵。これを頼りにするのはあまりに心許ない。そして第二に、郭淮と夏侯覇ですが、これは司馬派と曹派の政争によって生まれた確執。放っておけばますます亀裂は深くなり、逆にこちらが攻め込めば、手を組み協力し合うきっかけともなり得ます。ここは状勢が更に大きく崩れるを待つが最善かと」
群臣らもそれに大きく同調した。
そもそも今の蜀漢の国策において、北伐はよほどのことが無い限り行われないことになっている。
劉禅は、姜維を見た。
相も変わらず、燃えるような瞳をしている。
諸葛亮の死後から十年を越えたが、その熱は冷めるどころか激しく盛るばかりだった。
それに比べ自分はどうだろうか。夢を、志を、父の前で再び語る事が出来るだろうか。




