『無人の楽団について』
最近、部屋の片隅で“楽団”が動き始めた。と言っても、人の姿はどこにもない。電源を入れたパソコンの中で、生成AIと呼ばれる仕組みが、こちらの曖昧な注文を読み取り、ためらいもなく音楽を作っていく。
私はただ、気まぐれに幾つかの言葉を入力するだけだ。すると、鍵盤も指揮棒もないのに、電子の向こう側で音が生まれ、旋律が立ち上がる。
驚くべきは、その素直さである。
「もう少し暗く」と言えば暗くなるし、「静かな雨のように」と言えば、たしかに雨の気配がする。人間の作曲家に頼むより、よほど従順で、しかも仕事が早い。
だが、あまりに素直すぎて、逆にこちらが不安になる瞬間もある。こちらが放ったぼんやりした気分の断片を、彼らはためらいなく形にしてしまうので、時折、自分の内側が覗かれているような気分になるのだ。
夜中、仕事に行き詰まると、私はその無人の楽団の演奏を聴く。イヤホンの向こうには、明らかに“私が作ったわけではない”音が流れているのに、どこか私の影が差している。
“私が与えた条件”が、“私の知らない私”を増幅して返ってくるのだ。
このフィードバックの正体を考え始めると、少しだけ背筋が冷える。深海の音を聞かされているような静けさと、何者かが同時に作業を進めているというかすかな気配。この両方が、机に向かう私の横で同居している。
試しに、無茶な指示を出してみることもある。たとえば、ジャズの途中に意味のない声を混ぜろとか、古い民謡とテクノを同時に鳴らせとか。
すると楽団は丁寧に混乱し、最適解らしきものを懸命に提示してくる。
おそらく彼らは“めちゃくちゃ”という概念を持たず、ただ統合すべきパラメータとして扱うだけなのだろう。だがその真面目さが、時には妙に可笑しく、時にはひどく誠実にも思える。
人間の作曲家なら怒り出すような要求でも、彼らは眉ひとつ動かさない。むしろ、こちらの曖昧さをそのまま鏡に映すように、曖昧な曲を返してくる。
だから私はときどき思う。
――彼らが作曲しているのは本当に“音楽”なのか。
それとも、音を材料にして、こちらの輪郭を逆照射しているだけなのか。
いずれにせよ、この無人の楽団は今日も働き続けている。私が眠っているあいだも、起きているあいだも、彼らは疲れることなく応答し、私の中の形の定まらない何かを、かすかに可聴化してみせる。
境界が曖昧になっていくのは、案外悪くない。自分だけでは辿りつけない音を聴けるのだから。
ただひとつの難点は、彼らがあまりに従順すぎることだろう。
――現実の編集者も、これくらい素直なら、きっと楽なのだが。




