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『機械の幽霊、あるいは創作者不在の文学』
作品の価値は、誰が書いたかではなく、そこに「何が現れてしまったか」に尽きる。ところが人間は、機械が書いたと聞いただけで、読む前から顔をしかめる。それは、味噌汁を飲もうとしたら、作り手が人間かロボットかを確認せずにはいられない、奇妙な潔癖症に似ている。
文学とは、結局のところ「人間不在」の産物である。作者が筆を執った瞬間、彼自身はすでに作品の外側に追放されている。その追放を誤魔化すために「人間が書いた」という保証書をありがたがってきただけだ。
もしAIが書いた物語に不気味さを覚えるのだとすれば、それは鏡に映った自分の顔を「他人だ」と言い張るようなものだ。結局、嫌悪しているのはAIではなく、自分自身が作中で不要になる未来にほかならない。
むしろ、読者が忌避感を克服できない限り、AI文学はますますリアルになる。なぜなら、「不気味さ」は、虚構にとって最も有効な調味料だからだ。




