『貯蔵という名の予言』
最初に言葉があった。
それは「備蓄せよ」という声だった。
天気予報と同じ声色で、気象庁が語った。空が乱れる。水が狂う。だから、米を蓄えよと。その声は、警告というより、呪いに近かった。
それを聞いた主婦は、米を買った。
それを聞いた企業は、先物を押さえた。
それを聞いた政治家は、米袋の中に支持率の底光りを見た。
こうして「米がなくなる未来」の物語が始まった。
まだ一粒も減っていない段階で。
稲は青々と生い茂り、収穫量は増えてすらいた。
だが、市場にはもう「事実」など存在しなかった。
あるのは「想定価格」であり、「先取りされた危機」だけだった。
ある女は、米を買えなかった。
ある男は、米を売らなかった。
なぜか?―― それは互いに「後で値が上がるから」という理由だった。理性が正常に働いた結果、社会が狂ったのだ。
小売店の棚には「入荷未定」の札が並んだ。
だが、倉庫は満杯だった。
人々は、米を買うことを禁止されているわけではない。ただ、“正常価格で買う”ことが許されなくなっていた。
気象庁が発した「備蓄せよ」という言葉。
それは天候ではなく、「未来そのものの変質」を告げるアナウンスだった。
未来とは、本来、まだ起きていないことを指す。
だが今、人々は「起きるべき未来」を先に信じ、それに従って現在を変えてしまった。予報が、出来事そのものになったのだ。
これは米の問題ではない。
これは「言葉と信頼の構造」が、自重で倒壊した音である。
つまり ―― 国家の構文ミスだ。
◇
政府が放出したのは、備蓄米ではない。
正確には「責任回避という名の白米」だった。
流通のスピードよりも、言い訳の方が速い世界では、食料もまた情報の一種になる。
今日、スーパーで見かけた白い米袋には、「コシヒカリ」の文字があった。だが、それはどこか、遺書のような字体に見えた。かつて「主食」と呼ばれたものは、今、「不信の象徴」となりつつある。
◇
備蓄とは、安心のための行動だったはずだ。
だが、気づけば「安心そのもの」が、一番の奢侈品になっていた。空気の中に、未来が固く炊き上がってしまっている。




