『円卓の泥 ―― 文学と制度のあいだで』
芥川賞の選考委員などというものは、泥の中に手を突っ込んで、真珠を探すような仕事である。ただし、その泥が本当に泥なのか、あるいは別の誰かが捨てたコンクリートミキサーの残りかすなのか、それすら判然としない。
選考会では、たいてい最初に沈黙が訪れる。
それは原稿の沈黙ではなく、われわれ選考委員の沈黙だ。この沈黙には、期待もあれば、絶望もある。沈黙が長ければ長いほど、「文学」そのものへの信頼が試されているような気分になる。
あるとき、一人の候補者について、委員の一人が「この作品には熱がある」と評した。別の委員がそれに応じて、「だが、熱というものは計れるのか?」と訊いた。
わたしは心の中でこうつぶやいた ―― 体温計のメモリに文学を並べるのはやめた方がいい。たぶんそれでは、死体しか書けない。
それでも、受賞作は決まる。
決めなければならない。
賞は制度であり、制度は手続きを必要とする。だが、文学とは本来、手続きに背くものであり、むしろ反制度的な予感の産物だ。選考会とは、制度と反制度が一つの円卓を囲んでいる状態で、たまに食器がカタカタ鳴るのは、その緊張音である。
もし、選考委員という役目が終わったなら、わたしは鏡の前に立ってこう言うつもりだ。「あなたは文学を選んだのではない。文学に選ばれたと信じさせた者を選んだのだ」と。そして、その言葉に少しだけ嫉妬の匂いを混ぜて。




