『仕様書のない人間』
《生まれる前に設計される、という話》
ニュースは、ずいぶんと静かに重大なことを報じる。
「ゲノム編集」「遺伝子治療」――
まるで、古い家屋の雨漏りを直すような口ぶりで、人間の設計図の書き換えが語られている。
生まれる前に、身体の欠陥を修正する。
生まれる前に、病気の芽を摘んでおく。
人間が生まれるという行為は、本来なら一種の事故に近いものだったはずだ。無数の偶然と不具合を受け入れたうえで、「ひとまず成立している」生命体。
それが今や、「生まれる前に改善する」のが当然とされつつある。
設計された人間と、偶然でできた人間。
両者が同じ社会を歩く未来は、もうすぐそこまで来ているらしい。
思えば、僕たちはずっと「選ばれて」生きてきた。
面接に落ち、試験に落ち、恋愛に落ち、競争に落ち、そして墓穴に落ちる。選ばれることもあれば、落ちることもある。
ところが、遺伝子改変は選ばれる前に「作り替えられる」。選ばれる前に、落とされるのではなく、書き換えられる。
運命という言葉は、改変されることを前提にしていなかった。もしかすると、これから生まれてくる子供たちは「運命」の代わりに「仕様書」を持つことになるのかもしれない。
仕様書通りに育ち、仕様書通りに生き、仕様書通りに不具合が出たら、アップデートを待つ。
人間という生き物は、ついに「生きる」ことすらアップデート可能な時代を迎えつつある。
もしこの世に神がいるとすれば、彼の職場は、もはや遺伝子工学研究所に移転してしまったのかもしれない。
街にはまだ、仕様書のない人間たちが歩いている。僕もそのひとりだ。
だからこそ、せめて歩くペースだけは、自分で決めたいと思う。




