1.ジュリエット・フォルトレス男爵令嬢(1)
ジュリエット・フォルトレス男爵令嬢は、(特に令嬢の間では)悪名高い学院の異端児である。
男爵家に生まれたものの、生母は早くに亡くなった。
父男爵は早々に後妻を娶り、そちらに男子が生まれたことから、ジュリエットは領地の別邸に送られ、野山を駆け回ってすくすくと育った。
そのまま、地元の大地主の孫か郷士の息子あたりにでも嫁いでいれば良かったのだが──
ピンクブロンドの美しい髪。
蒼い、吸い込まれるような大きな瞳。
さくらんぼのような唇。
16歳になった時、ジュリエットがそれなり以上に愛らしく、持参金が少なくとも良家との縁組を狙えることに気づいた男爵夫妻は、いらぬ野心を抱いてしまった。
男爵は、王都郊外にある全寮制の王立学院にジュリエットを入学させることにした。
王立学院は、貴族の子女のみが通う学校。
授業料は爵位に応じて異なり、男爵家からならそこまで高額でもない。
田舎育ちの自分には無理だとジュリエットは尻込みしたが、有無を言わせず付け焼き刃の礼儀作法を叩き込まれ、学院に放り込まれてしまった。
案の定、ジュリエットはめちゃくちゃに浮いた。
お辞儀の仕方と食事のマナーくらいは習ったが、いつ誰にお辞儀をしなければならないのか、どういう距離感で令息令嬢と接すればいいのか、まるでわからないのでは意味がない。
新入生歓迎のお茶会の席で趣味を聞かれて、「乗馬と釣り」と答えたのもまずかった。
釣りとはどういうことをするのか、なにも知らない令嬢達に問われるままに、岸辺でミミズを掘って針につけることもあると説明していて、令嬢の一人が失神してしまったのだ。
令嬢との交流は開幕早々に終わったが、令息達との関係は違った。
この学院は年次に関わらず、習熟度でクラスを振り分ける。
教養系の授業は、ほとんどが初心者クラスからのスタートになったジュリエットだが、得意の乗馬だけは、いきなり上級クラスからとなった。
乗馬をまったくしない令嬢も珍しくないこの国では、乗馬の上級クラスはほぼ男子生徒だけ。
その中には、もうじき18歳になる王太子アルフォンスを筆頭に、侍従候補の宰相ノアルスイユの次男、騎士団長サン・フォンの三男といった上位貴族の令息もいた。
そういうキラキラした面々に、ピンク色の髪をツインテールにしたジュリエットがちょこんと混じって始まった初回授業。
ジュリエットは、馬房長も馬術の教師も手を焼く黒馬「黒王号」を、秒で手なづけて、並み居る面々を魂消させた。
魔馬の血が入っているという黒王号は、並の馬より明らかに一回り大きい。
頭が良くて気が荒く、なかなか鞍もつけさせない上、たまに人を乗せたかと思えば面白半分に振り落とす悍馬だ。
それが、ジュリエットがとことこっと近づいて二言三言話しかけると、顔をすりつけてなつき、あっという間に背に乗せると、後はジュリエットの意のままに走った。
人馬一体、見事な騎乗ぶりだ。
何度も黒王号に振り落とされていたサン・フォンはジュリエットを「師匠」と呼び始め、乗馬の授業の度に、黒王号をどう避けるか苦慮していたアルフォンス以下他の男子生徒もそれに倣った。
下位貴族の令嬢達からはとんでもない野蛮人だと遠巻きにされていたジュリエットは、上位貴族の男子生徒達に熱狂的に受け入れられた。
王太子だ、侯爵令息だとテールコート仕立ての制服を着て澄ましていても、彼らはほんの数年前まで「男子」という野蛮な生き物だった。
しとやかで上品で繊細極まりない令嬢達に話せば、失神されかねないようなネタでもジュリエットとなら一緒に盛り上がりまくれる。
しかも、くるくると表情が変わるジュリエットは愛らしく、圧倒的に距離感が近い。
気がつけば、「師匠を囲む会」と称して昼食を一緒に食べたり、放課後は遠乗りをしたり、休日は学院内の池で釣り大会を催したりと、ジュリエット+アルフォンス達で遊ぶ機会がどんどん増えていた。
となると、黙っていないのが上位貴族の令嬢達である。
ノアルスイユもサン・フォンも上位貴族の令嬢と婚約しており、婚約者としては当然面白くない。
アルフォンスは、どういうわけかまだ婚約者が決まっていないが、同年のサン・ラザール公爵令嬢カタリナ、シャラントン公爵令嬢ジュスティーヌが有力候補と見られていた。
2人とも学院の生徒だ。
領内の鉱山開発に成功して羽振りの良いサン・ラザール公爵の三女、カタリナは蜂蜜色の髪を巻いて、いかにも華やかな美女。
いつもたくさんの友人に囲まれており、「陽の君」とあだ名されている。
王家より古い家系を誇る筆頭公爵シャラントン公爵の一人娘、ジュスティーヌはまっすぐな銀髪を背に流した、怜悧な印象の美女。
こちらは、人付き合いを好まない物静かな性格で、カタリナとの対比からか「月の君」と呼ばれている。
この2人から選ぶのであれば、社交的でアルフォンスとも親しげなカタリナになるのだろうと学院内ではなんとなく見られていたのだが──
最近、アルフォンスがジュリエットの頭を撫でたり、髪や制服を整えてやったりと世話を焼く姿がちょいちょい見られるようになった。
もちろん、カタリナにもジュスティーヌにもそんなことをしたことはない。
もしかして、これは大番狂わせがありえるのでは?と学院内に緊張が走った。
他国であるが、皇太子が属国の伯爵家の娘と恋に落ち、大騒動になったあげく、結婚したという例がある。
皇太子と属国の伯爵家、王太子と自国の男爵家、どっちが身分の差が大きいか微妙だが、ありえないことではないのだ。
気がつけば女子生徒しかいない場では、ジュリエットは完全に無視されるようになった。
ジュリエットは寮の4人部屋をあてがわれていたが、3人のルームメイト達は部屋では黙りこんだまま。
そして、小物がなくなったり、洗濯物がジュリエットの分だけ戻ってこなくなった。
寮監に訴えても、逆ギレされるだけ。
ある日、寮の部屋に戻ったら、教科書やノートが1ページずつ切り裂かれており、ジュリエットはその丁寧さに半笑いするしかなかった。
机には「死ね」とか「出ていけ」とか妙に流麗な字体で彫り込んである。
この机、作り付けのものだし、学院の資産だと思うのだが。
仕方ないので、洗濯はまとめて休日に自分ですることにし、教科書やノートは細い紙を貼ってつないでなんとか保たせることにして、なくなったり壊されたりしたら困る物を大きなバッグに詰め込んで持ち歩くようにした。
だが、ある日、寝ようと掛け布団をめくったら、ベッドが水浸しになっていた。
黒っぽい煤や埃のようなものが混じっているから、掃除した後のバケツの水でもぶちまけたのだろう。
ルームメイト達は、青ざめた顔をして眼を伏せたまま。
彼女たちではなく、彼女たちが逆らえない誰かが押しかけて来てしたことなのだろう。




