薬の効果が切れるまで後二日(2)
クリスティアーノ(レオン)のピンク色の瞳に射抜かれ、ソフィアの心臓はバクバク鳴り始めていた。まるで頭の中に心臓が移ったかと思うほど、激しい鼓動が鼓膜を直接叩いているようだ。沈黙がさらに意識を促してくる。
そのうち彼の瞳の色が、本来のレオンの青が混じったような紫色に見えてきた。
(レオンが、私のことを……私は……)
ソフィアはゆっくりと口を開こうとした。その時、二人の空間を壊すかのように、「はい続きはまた今度ね~」と声が響いた。
「「クリス!」」
突然のレオン(クリスティアーノ)の登場に、慌てて離れる二人。
「お、おまえなんでここにっ。仕事してたんじゃねえのかよ?!」
「うん? 仕事なら終わらせてきたよ。僕にしかできない分だけ、ね。なんていったって、今僕は休暇中だから。っていうかレオンこそ、なにサボってるのさ?」
「べ、別にサボってなんか……つーか、もう入れ替わりはバレてんだから、お互い本来の役目を果たすべきだろ。おまえは仕事。俺はソフィーとの交流をはかるってことで……」
「やだなー、レオンってばもう僕が言ったこと忘れたの? 僕が魔女の秘薬を使った理由は、レオンとソフィーが城内で騒ぎを起こしたから。そして、激務に疲れた僕が立太子前に羽を伸ばしたかったから。だよ?」
見事なアルカイック・スマイルにクリスティアーノ(レオン)は硬直する。その隙をついて彼は話を続ける。
「なのに、休暇中にもかかわらず仕事するはめになるなんて……」
やれやれと首を横に振り、「その分、休みを追加しようかな」と呟いた。
「いや、それはやめてやれ」「それは無理でしょ」
クリスティアーノ(レオン)とソフィアの声が重なった。二人の視線の先にいるのは、少し空いた扉の隙間から見える護衛騎士たち。フィンが必死な形相でバツ印を作っている。その光景はレオン(クリスティアーノ)にも見えたわけで。
「はあ……」
と大げさなため息を吐くレオン(クリスティアーノ)。その姿にレオン(クリスティアーノ)は意外そうな表情を浮かべた。
「そんなにきつかったのか? てっきり俺はなんだかんだクリスは仕事人間だと思っていたんだが。だから、王弟派の件を知った時も、『ああ、なるほど』と思ったんだが。……もしや、本当は立太子するのも嫌だったのか?」
その言葉に、レオン(クリスティアーノ)の目が剣呑に光る。
「まさか。だとしたら、僕は裏方に回って、その地位にふさわしい者に叔父上を追い詰める役目を譲っていたよ。立太子はする。……けどさあ、この仕事量はどうにかしたいんだよね。ソフィーならわかるでしょ?」
急に話を振られたソフィアだが、苦い笑みを浮かべるだけで否定はしなかった。
(たしかに仕事量が異様に多いと思ったのよね。王太子に内定しているからか、と思っていたけど。今思えば、単に信用できる者がいなかったから……クリスが一人で抱え込むしかなかったのだわ)
なら、とソフィアは提案を口にする。
「これを機に人員を増やしたら? 今までは環境的にそんな余裕なかったでしょうけど、今なら大丈夫でしょ。もちろん、万が一のことを考え、きちんと調べる必要はあると思うけど」
(王弟派の残党がやってくる可能性は十分にあるからね)
「うーん。そうだねえ。いずれはそうすることになるとは思うけど今はまだ……ねえソフィー。やっぱり、このまま城に残って僕の手伝いしない? 時給上げるからさ」
「これ以上は無・理。私にも次期当主としての仕事があるもの」
「だよねー」
がっくりと肩を落とすレオン(クリスティアーノ)。
それを見ていたソフィアの中で、おせっかい癖がむくむくと膨れ上がる。
「クリス。どうしてもっていうなら……」
「ダメだ」と口を挟んだのはクリスティアーノ(レオン)。その鋭い視線にソフィアは思わず口を閉ざした。
「クリス。別にソフィーでなくてもいいだろ」
「そうなんだけどさー。色々調べたり、教え込んだりする手間暇を考えるとさ、やっぱりソフィーが適任なんだよね。それに、レオンにとってもいい話だと思うけど?」
「は?」
「だって、その分ソフィーと会うことができるわけじゃん」
「たしかに」と思案し始めるクリスティアーノ(レオン)。
「……通いにするとか?」
「遠すぎるよ。ソフィーに負担をかけすぎるのは僕の本意ではないし」
「なら、忙しい時期だけに限定?」
「まあ、それならいいんじゃないかな」
勝手に話を進める男二人。
ソフィアは呆れながらも、『まあそれもありね』と思い、黙って聞いていた。
「それに……私としてもかかわった以上、それなりの成果を上げておきたいし」
今回の件、国王からの評価は主にクリスティアーノとレオンへと向いているだろう。それではソフィアも面白くない。それなりに危険を覚悟して動いていたのだ。ならば、目に見える形で成果を残したい。
そんなソフィアの気持ちを知ってか知らずか、レオン(クリスティアーノ)はたずねてきた。
「ん? ソフィーは、叔父上に引導を渡す瞬間に立ち会いたかったの?」
「当然。けど、それはできないこともわかってたからね」
とため息を吐く。
第一王子とその最側近である二人ならまだしも、ソフィアにとってはフェルディナンドの捕縛に直接かかわるのはリスキーだった。万が一失敗した時のことを考えると特に。それをクリスティアーノもわかっていたからこそ、あえてソフィアを計画から外した。そして、そのことを本人も理解していた。ただ、心は別だ。頭でわかっていても、もやもやはする。
しかし、クリスティアーノ(レオン)はそんなソフィアの気持ちに共感できなかったらしい。
「けどよーそれを言うなら、途中まで除け者にされていた俺の方が可哀そうじゃね?」
と対抗してきたのだ。ソフィアの説明に納得はしたものの、クリスティアーノに文句の一つくらいは言わないと気が済まなかったのだろう。
ジト目を向けられたレオン(クリスティアーノ)は苦笑している。だが、便乗したソフィアにも同じような目を向けられ動揺する。
二人からの非難を向けられ、彼は拗ねたように顔を逸らした。
「はあ。僕だって頑張ったのになー。たくさん頭使って。休暇中だというのに仕事して。それなのに……二人はのんきにいちゃいちゃしてるし。しまいには、僕の体で不埒な真似までしようとしてた。ああ! 僕が止めなかったらどうなっていたことか!」
と大げさに嘆き始める。ぎょっとするクリスティアーノ(レオン)とソフィア。
「な! べ、別にそんなことしてねえよ!」
「そ、そうよ!」
真っ赤な顔の二人を横目に悪態をつき続けるレオン(クリスティアーノ)。
「あーあ。むしろ途中で止めなければよかったなー。あのまま放っておいたら、きっとレオンは何も考えずに僕の体でキスの一つや二つソフィーにしてたんだ。そして噂が広まって、二人の婚約はなくなって、僕はめでたく優秀な婚約者を得ることができた……かもしれないのにー」
その理路整然とした脅迫に近い言葉に、ようやく自分の行動がどのような未来を招こうとしていたのかを理解したクリスティアーノ(レオン)。口元を押さえ、青ざめる。
「あっぶねえ……」
クリスティアーノの言う通り、事情を知らない者がそんなシーンを見たら、間違いなく噂するだろう。レオンはまだいい。ソフィアなんて二人の男を手玉に取る魔性の女として、一躍有名人になってしまう。ここ数日レオン(クリスティアーノ)と仲良くしていたのだからなおさら。なんならマルゲリータを追い落としたのもソフィアの作戦だなんて邪推までされそうだ。
ソフィアも青ざめ、感謝を告げる。
「あ、ありがとうね。クリス」
「どういたしまして。……ってことで、僕のおかげだと思っているなら、残りの仕事がんばってね」
とレオン(クリスティアーノ)はクリスティアーノ(レオン)の肩をたたいた。
「へ?」
「元に戻るまで、僕はまだ休暇中だから。ああ、心配しないで。レオンに任せる仕事はいつもどおり、簡単なものだけだからね」
「~~~~!!!! わかった! やってやるよ!」
勢いよく立ち上がったクリスティアーノ(レオン)。そして、ビシッとレオン(クリスティアーノ」を指さした。
「ただし! その代わり、絶対ソフィーに手を出すんじゃねえぞ!」
「わかってるわかってる」
「ソフィー!」
いきなり名前を呼ばれ、ビクッと体を強張らせるソフィア。
「な、なに?」
「頑張ってくる。から励ましの言葉をくれ!」
思いがけないお願いにソフィアは固まった。が、彼の顔が赤く染まっていることに気づいて、目元をやわらげる。手を伸ばし、頭をくしゃくしゃと撫でた。
「頑張ってね」
「っ。お、おう!」
そう言って、ぎくしゃくとした挙動で部屋を出ていくクリスティアーノ(レオン)。
二人きりになったレオン(クリスティアーノ)とソフィア。
「……クリス。なにか言いたいことでも?」
「あるよ。ねえ、レオンだけずるくない? 僕だって頑張ってきたんだけど?」
面白くないと拗ねた表情を浮かべるレオン(クリスティアーノ)。それに対し、ソフィアは呆れて言葉を返そうとして、外からの大きな声に遮られた。
「おいフィン! おまえはここに残ってあいつを見張ってろ。なにかあればすぐ俺に報告だ! わかったな?!」
「はい! 隊長の大切な婚約者様のことは自分にまかせてください!」
「おう! 任せたぞ!」
『大切な婚約者』という言葉にソフィアの頬はバラのように赤く染まる。
「な、なに大きな声で言ってるのよ」
と言いつつもその声色にいら立ちは含まれていない。
あっという間にソフィアの意識を奪われてしまったレオン(クリスティアーノ)は、そっと目を伏せると視線を逸らしたのだった。




