ネタ切れ:アイディアは無限じゃない
【ネタ切れでエタった場合】
前項の続き、ネタ切れでエタった場合の理由②『ネタやキャラクターを大事にしていない』の内容です。
なぜこうなるか、を挙げておきますと。
そんな意識はないと思いますが、作者さんは短期集中連載のつもりで、長期連載をしようとしているからです。
たとえば、恋愛要素のある学園モノライトノベルで考えてみましょう。
この手の作品で話の中核になるのは、学校内と世間一般の年中行事になることがほとんどです。
1月:正月
2月:バレンタイン
3月:卒業式
4月:入学式
5月:球技大会など
6月:定期試験
7月:夏休み
8月:夏祭り
9月:修学旅行
10月:体育祭
11月:学園祭
12月:クリスマス
だいたい扱われるイベントは、こんな感じだと思います。かなりアバウトですが、大外れはしていないはずです。
さて、これを見て、『こんなにもイベントがある』と考えるでしょうか? それとも『たったこれだけしかイベントがない』と考えるでしょうか?
小説を書く場合、『たったこれだけ』と考えた方が正解です。実際に使えるネタ、試しに書いたけど面白くできないネタ、そんな風に分別しないとならない場合がありますから、元ネタはいくらあっても困ることはありません。
でも学園モノという制限があるせいで、使えるネタにも制限が加えられます。
ネタ――厳密にはシチュエーションは、限りあるのです。それは作者さんが思っている以上に、広がりは少ないのです。
だから大事に使わないとならないのです。
しかしエタる作者さんの連載作品は、大事に使っていない傾向があります。
もう少し具体的に言うと、同じネタを使うことを無意識下に避けて、そして登場キャラクタは全員一緒に行動させないとならないと思っている傾向があるように感じます。
学園モノに限らずですが、主人公はヒロインと次々と出会い、親睦を深めて、全員が仲良くなってハーレム化して。
そしてエタる。
そんな作品を見たことはありませんか?
上記に列挙したイベントとは少し外れた導入になりますが、食事ネタで考えてみましょう。ヒロインがお手製の弁当を主人公のために作ってきたり、学食で一緒に食べたりしたり、学園モノでは鉄板のイベントです。
実際に使うかどうかはさておいて、作るだけならば単純に考えて、『ヒロインの人数+全員』個のシナリオが作れます。
ヒロインひとりひとりが弁当を作ってきた時の会話劇と、ヒロイン全員が料理対決的に主人公に迫る時の会話劇です。
ですがエタる作者さんの作品は、たとえるなら『ヒロイン全員が料理対決的に主人公に迫る時の会話劇』を作ったら、二度と食事ネタは使わない傾向があります。
それがエタった原因です。
たとえば4月に一緒に入学した幼なじみキャラとお手製弁当を食べて、5月に球技大会の練習後に元気系クラスメイトと昼食を供にして、6月に委員長キャラに図書館で一緒に勉強した返りに食事をおごったり、7月に家族旅行で妹キャラと浜辺でバーベキューしたり、8月に夏祭りのために田舎の実家に帰省して従妹の料理の腕が上がってるのを驚いたり、9月の修学旅行でクラスメイト関係は一緒に食事して、10月の体育祭でヒロイン一同がそれぞれ弁当作って『誰のを食べる?』と主人公に迫ったりしてもいいわけです。
昼食ひとつとっても、『ヒロイン全員が料理対決的に主人公に迫る時の会話劇』の7倍のシナリオが書けます。
しかも『昼食時の会話』というシチュエーションは同じでも、場所とクローズアップするキャラが違うのですから、展開が同じになることはありません。
最初からショートストーリーを作るつもりなら、なにも問題ないです。
しかし長編を書くつもりであったなら、使えるネタを自分で7分の1に限定させてしまうということです。
限りあるものをスピーディーに消費すれば、ネタ切れになるのもそれだけ早いに決まっています。
RPG的なクエスト――『おつかい』で考えると、イベントはもっと減ります。
捜索:物や人を探す
輸送:A地点からB地点へあるものを運ぶ
討伐:敵を倒す
特殊:それ以外の要素
大よそこの四つに統括されるかと思います。
ファンタジー系の小説を書いてる作者さんが見ると、多分違うという意見が出るでしょう。
しかし『東の森に生えている薬草を取ってくる』というクエストでは、捜索と輸送の組み合わせです。
『あるアイテムを作って持って来い』という場合も、結局は材料と作る方法の捜索と輸送です。
『商隊の護衛』などというクエストでは、基本は輸送、時々は討伐、損害度が関わる場合に若干特殊な要素が加わるといった具合です。
組み合わせをどうするか。具体的に探す物、倒さなければならない敵を変えるといった、ルーチン的に作るしかないのです。
意外と変わり映えないのに、飽きさせてはならない。実際にコンシューマゲームでは、この手のサブイベント作成には、かなり苦労するそうです。
ネタかぶりを避けるのは、作家が持つ当然の性です。
でも長編の同一作品内で、ネタかぶりが全くないのも、逆に問題です。
たとえばキャラクターの性格の一貫性。
考え方や行動理念が変わるエピソードがあるなら話は別ですが、ある行動をした時、『こういうリアクションをしないとならない』という方向性が定まっていなければなりません。これをその都度変えるということは、キャラクターがブレていて、非難の対象になります。
趣味が料理だと公言しているキャラクターは、料理をしている場面を時折書かないとならないでしょう。
守銭奴やケチなキャラクターは、金勘定が絡むたびに、そういった性格を覗かせないといけないでしょう。
ですがエタる作品は、そういう面を一度見せたら、二度と使わない傾向があります。
『こういう時にはこのキャラは、決まってこういうアクションをする』というのも定めることがあります。
たとえばある食べ物が大好物で、異様な執着を見せる。
口癖や決め台詞を持っている。
登場シーンは決まって高い場所で、なぜかバラの花が散る。
アニメやドラマで出てくるキャラクターは、こういったものが定められているパターンが多いです。
ですがエタる作品は、そういったものがありません。
エピソードごとの展開も同じです。
探偵モノでエピソードの導入は、渋いバーで酒を飲んでいるシーンから始まる。
時代劇で、諸国漫遊しているお偉いさんが、クライマックスは印籠を見せて終わる。
ですがエタる作者さんは、定まった展開は嫌っているのではないかという節を感じます。
『お約束』を作っておけば、物語作りの指針になりますから、長期の執筆では楽になります。
長編で完全にネタかぶりをなくそうと思って排除しようとすると、作品作りが大変になってエタりやすくなります。




