なんとなく:『基礎がある』という思い込み
【なんとなくでエタった場合】
これは自分の経験から思うことですが。
不思議なもので、文筆家を志す人の多くは、基礎ができていると思い込んでいます。
世界でも屈指の高さを誇る日本の義務教育内で、国語の作文や読書感想文など、文章を作る機会があります。
高等教育になると、小論文や卒業論文など、自分の考えを文章に書き、発表する機会が増えます。
だからなのか、小説を作る能力があると、思ってしまいがちです。
試しに書いてみると、意外に書けてしまう。だから『自分には小説家の才能があるんだ!』という勘違いをしてしまうのです。
それは基礎的な国語力や作文能力があるためです。
通じるものは確かにありますが、『物語を作る』力とは異なります。
そしてこの基礎力は、ほとんどの人は持っていないと思ってください。自分はもちろんですし、プロでも持ってるか、怪しい部分です。
だから途中で才能や基礎力のなさに気づき、エタるパターンも多いです。
小説の書き方は自由だと思ってる人の多くも、これに当てはまります。
基礎を理解した上で無視するの、知らずに無視するのは、違います。
前者は『型破り』と呼ばれますが、後者は『ド素人』と呼ばれることになります。
絵は誰だって描こうと思えば描けます。
クレヨンを持たせれば三歳児でも描けます。学校に通えば、図工や美術の時間があるでしょう。
でも、そのレベルでは、自己流から脱却していません。
世間には絵画教室や美術大学があり、本格的な作品を作ろうと思えば、構図の取り方や色使いを学ぶように、ちゃんとした勉強が必要というのが一般論です。
更に勉強なしで素晴らしい作品作りができる人は、一部の限られた天才です。そしてその天才も、基礎を学ぶのが普通です。
そしてなんのノウハウもなく小説を書き始めるのは、天才ではない限り、自己流で落書きを書いてるレベルです。
絵と同様に、小説の書き方を学ぶことができる講座も、世間にはあります。
金銭的・時間的、あるいは意欲の問題で、そのような勉強をする場に通えない、通う気がないのであれば、それで構わないでしょう。こんなエッセイを書いているだけの自分が、無料で読んでくださっている読者兼作者さんに、無理強いするのは筋違いというものです。
しかし、本格的な作品をエタらせることなく作りたいのであれば、最低限、自己流でも勉強しろとは思いますし、言わせてもらいます。
一度作品がエタったということは、そのような勉強なしで進める天才作家ではないのですから。それを嘆いていれば、書けるようになるわけはないのです。
子供だって最初は歩き方すら知らないのに、何度も立ち上がって転んで、歩けるようになるのですから。つまづいて泣いていた子供を、神サマが哀れに思って歩けるようにするわけじゃないんですから。
小説の書き方を自己流で勉強、とは言っても、普通ピンとこないでしょう。
とはいえ、プロを目指す人のみが集まっているのであればともかく、このサイトを利用する人となると、そんな人から趣味で充分という人まで様々ですから、無理強いするようなことは言いたくないのですが、参考までに。
仮に自分が方針を立てるのであれば、作家さんが小説を書き始める切っ掛けになった作品の真似を、徹底的にさせます。
つまり、小説をそのまま書き写す。
それも一冊ではなく、できれば三冊以上。面白いと思った作品だけでなく、そうでない作品も、あまり好きではない小説も。
こんなことを『やれ』と言われても、多くの人は、やりたくないでしょう。
ですが、これをやり遂げたら、基本的な文章能力や構成能力が、絶対に変わっています。プロの実践結果をそのまま吸収するわけですから、考えてみれば当然です。それに読むだけで吸収したつもりでも、実際に時間をかけて書いてみるのとでは、度合いが全く違います。
しかもこの方法は、多くのプロが実際にやっていることです。
もうひとつ。
映像作品を文章にするという方法もあります。
ある程度の尺とストーリー性、一本で完結しているという理由から、映画が一番かと思いますが、放送時間30分程度の番組でも、なんとかなるかもしれません。
ただ、毎週放送しているような連続作品は、あまりオススメできません。そういう作品は設定説明などは最初だけで、途中からはノータッチです。1話部分だけを書き起こすにも、今度は結末がぶった切ったような形が多いので、不完全燃焼感が出てきます。
映像作品も元は、脚本家、シナリオライターが書いた台本を元にしています。
アニメだったら多くのアニメーターが作画して動きを作り、声優が声を吹き込み、音楽マンがBGMやサウンドエフェクトを挿入して、ディレクターがひとつの作品にまとめます。
実写ならば監督の指示のもと、大道具小道具が仕事の成果を発揮し、役者が迫真の演技を行い、編集されて作り上げられたものです。
ひとつの文章から多数の人々の手が携わり、作り上げられた映像を、逆に文章にしてみてください。
きっと絶望すると思います。
ただセリフを列挙するだけでも大変です。数百というセリフが存在しているのです。
映像だと『なんとなく』で頭に入ってくることを、文章で出すには具体的に書き記さないとなりません。どう表現すればいいか悩むはずです。
小説だと当たり前のように明確化されていますが、人物の心情描写など、映像では表現されません。具体的ではなくても、その人物が楽しそうなのか悲しそうなのか、声や顔や雰囲気から読み取らなければ、文章にできません。
でも、小説は本来、そうやって書くものです。
作者の頭に思い描いた映像を、文章にしているのですから。
誰かの心情を自分に置き換えて、文章にしているのですから。
だから、これを一度だけでもすれば、表現能力は相当に磨かれます。
大変ですが、効果は保障します。
これをすればプロレベルになれるわけではありませんが、素人からの脱却は可能です。
さぁ、やりますか?




