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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
5章〜舞闘 /マスカレード〜
23/24

5-5 principal of the masquerade

 






ー1ー







四条巽(シジョウ・タツミ)は端末の通話を切り、後ろに控えていた九龍に渡した。

「もうよろしいので?」

「うん。まだ話し足りないがこちらの時間がない。“彼女”との謁見に遅れるわけにはいかない」

「謁見などと、またお叱りを受けますよ」

「ん?ああ…いや、そうだな。言葉を選ぶのが難しい、舞い上がってうっかりぼろが出そうだ。なんせ会うのは“初めて“だからね」

「これほど落ち着かなげな貴方には初めてお目にかかります」

忙しくネクタイを締め直し、意を決して立ち上がる四条の姿に九龍隼人(クリュウ・ハヤト)が苦笑しながら言った。

「最初は“どこに顕れる“と思う?」

「おそらくエントランスかと」

「背原君がそこに?」

「ええ、妹君を迎えに。フォークロアと共にここへ向かっています。彼女もまた、この会に参加することになるでしょう」

「楽しみだ。是非この目で見たいものだらけだな」

四条は上着を取りドアへと向かう。

「ルカのほうは?」

「順調のようです。アップグレードの頃合いを見計らい、向こうも助長(プロモート)を始める予定です」

「よし…ではあとは任せる、“我が親愛なる影”よ」

サングラスを掛けつつ四条がおどけた調子で言った。

「ごゆっくり。“我が(しゅ)”よ」

口の端を上げた九龍の目礼。その表情はお互いよく似ていた。

「あ、あの…」

それまでずっと黙って立ち尽くしていた有家一記(アリヤ・カズノリ)は意を決して声を発した。もしかしたら自分が透明になっているのではないかと思えるほど、有家は存在を無視されている気がした。だからその一言を口に出すのに相当の覚悟を要した。

「よろしければわたしも…その、なんのかはわかりませんが、謁見というやつに立ち会わせて頂けないでしょうか、どうか…」

2人が同時に有家を見る。そして何を言っていると言わんばかりの顔をした。

「もちろんですとも」

当然のように九龍が言った。その言葉に四条が続く。その姿は何故か有家の目に双子のように近似して見える。

「あなたはその為にここにいる。取材はここからが本番だよ有家さん。顕現能力者のこと、そしてもうすぐ訪れる新たな世界について…すべて隠さずお話しすると約束しよう。そのかわり、いい記事を頼みますよ。誰もが見ずにはいられない特報をこそ、我々は期待している」

そう言って四条は有家を手招いた。これから向かう、何者かとの謁見の道へ。


その導く手にようやく有家は理解した。今の今まで四条にとって、自分の存在などアオイやマコトについてきたおまけ程度の存在だろうと思っていた。だが自分の認識が間違いだったということに遅まきながら気づかされていた。

自分もまた、四条巽に選ばれていたのだ。彼らとは別の、有家の本分に準じた役割、伝言役(メッセンジャー)として。


「時間もあまりないのでね。歩きながら話そう」


そう言って四条は先に部屋を出た。この世界の真の管理者との謁見の道へ。







ー2ー







猛進する巨大な霊柩車(ザ・ハース)は、カルチャーホールへ戻る為にぎりぎり道路規制を守りながら走行していた。

「タ、タチバナさん…!」

カイの仲間の1人、ヨイチに代わりハンドルを握るのはアカシという男だった。あの気怠げな青年はカルチャーホールから離れる前に、イオリ達の支援をする為トレーラを降りた。アカシは当然大型の免許など持っていない。だがヨイチがいなくなると何故かいつも彼が運転を任されていた。

そのアカシは指示通りにアクセルを踏み抜きながら、悲鳴じみた声で指示者の名を呼び助けを求めていた。

「もう信号は無視しろ。クラクションを鳴らしっぱなしにして突き進め。とにかく早く戻ったほうがいい」

「い、いや、ですけど…!」

更なる暴走の指示。軽くパニックに陥りながら重いハンドルを支える。だが手は言われた通りに野太いクラクションを鳴らしまくっていた。

「事故を起こしても止まるな。さっきの現象が何を引き起こすかは分からない。だが何かが起こるのは間違いなくホールだ。通信も繋がらない今、一秒でも早く戻るに越したことはない」

「たしかに…アカシ君、急いだほうがいいと思う」

元リーダーであるカイの箴言。

「あの光は…どこへ行ったんでしょう?」

そしてカイの企てに加わった時から共に行動しているクラキというと特徴のない青年の呟き。アカシにはこんな危険運転の中で会話できる彼らの神経を疑った。

そうまでして急ぐ原因は、空から降り注いだ光る粒子群だった。それはアカシが何年も前に遠目に見た光災の光によく似ており、事実タチバナがそう叫び、さっきまで通話していた管理者(エグゼキュータ)四条巽もそれを認めた。だからアカシはまたあの大混乱が起こると、自分はもう死ぬのだと覚悟を決めていた。それほど逃げ場も無く抗いようも無い圧倒的な規模だった。


しかしアカシの覚悟はとんだ肩すかしを食らった。


「なぜ消えたんだと思いますか?タチバナさん」

カイの問いかけ。そう、消えたのだ。その膨大な光が自分を突き抜け地に到達したと思った瞬間、霧が晴れるように忽然と見えなくなってしまった。アカシが感じたのはただそれだけだった。

「消えていない。今も此処にある」

だがタチバナは確信的に言い切った。

「今も、ここに?」

急激なカーブを曲がる。車体が大きく傾く、軋む。アカシはその制動にかかりきりで会話に参加出来ない。

「あなたの目で視ると、ということですか?」

「視るまでもない、全身肌で感じている。明らかに数分前より“空間“が濃くなった。しっかり構成要素(ベース)となっている…そんな感じだ」

「空間が?」

けたたましい音を上げつつトレーラはカーブを曲がりきり主道に入った。あとはもう直線を走るだけだ、10分もかからない。アカシが安堵したその時、見計らったようにタチバナの端末が着信音を鳴らす。躊躇せずにタチバナは通話を受けスピーカにした。

「四条か?」

『いいや、市長はVIPとの対面に向かわれた。だから私が代わりを務めようと思ってね』

「九龍か、お前で構わない。聞きたい事が山積みだ」

『素直だな。まあいくら頭を捻っても知らないことを理解するのは不可能だろう。賢明な判断だ』

「お前らが敵じゃないなら情報の共有くらいするのが当然だ。その言葉が嘘でないと証明しろ」

『まったくそうは思っていないと言いたげだな』

 タチバナの口調は敵対心が剥き出しであり、相手もそれを察して笑った。その上で情報を開示する旨を示した。

『何から聞く?』

「俺なりに考えた結論だ。荒唐無稽だがそれ以外思いつかない。間違っていたら笑ってくれ」

『ふふ…で、結論は?』


「ユピテルとは、“顕現した機械”だな」


言葉とは裏腹に、淀みなく確信に満ちたタチバナの質問。アカシもクラキも、カイまでもその意味を一瞬掴みそこなった。スピーカの向こうで静かに笑う声が聞こえる。九龍は少し間をおいてその問いに答えた。



「そうだ。正確には新たなこの世界の主権者となる“意思ある無機物”…それが“ユピテル”だ」






ー3ー






カルチャーホールA棟の1階、臨時議事会場。

そこではB棟の騒乱とうってかわり、沈黙の場を剣呑な空気が支配していた。

用意された円形のテーブルに居並ぶ呉羽商工会(クレイバーファーム)蔵人組合(クランドコープ)の面々。両社の幹部達が醸し出す、苛立ちと緊張がその空気を作っていた。


 その理由。それは中間の不在だ。


「妙ですね」

「ああ。直陰達が上手くやったにしては静かすぎる」

秘書、都丸文(トマル・フミ)の呟きに小声で返す。四条巽が現れないまま、開始時刻から30分は過ぎた。たしかに橘の計画通りにいけば市長がこの場に現れるはずはないのだが、それにしては管理者側に何の動きも見られないのはおかしい。周囲に立つホール側の人間…おそらく実際は管理者配下の者達が静かすぎる。何よりも突然途切れてしまった橘達との通信のことを考えるなら、何らかの不測の事態が発生した可能性のほうが高い。

(すでに奴らのペース、という訳か…)

「蔵城君」

思案する蔵城に、不意に向かいに座るクレイバーファームの会長、呉羽良造(クレバ・リョウゾウ)が口を開いた。

「お互い忙しい人間なので無駄な時間は省きたいものだな。ここのコーヒーは不味くないが、3杯も飲めば飽きる」

「全くおっしゃる通り」

蔵城は口元を上げて答える。暇つぶしの冗談か…と思ったが、老人の目はやけに真剣味を帯びている。今のは単なる会話のきっかけだったらしい。

「そこでな…市長はおらんが、この際今の内に呉羽の意向を伝えておきたい」

呉羽は姿勢を正し、蔵城を真っ直ぐ見つめ言葉を続ける。

「儂等には過去色々あった。前の会議の時は、君の親父さんと散々口汚く罵り合ったりもした」

「ええ。だが合法化(ファーミング)以前の因縁を知っている身からすれば仕方がないと思っています。それに父は貴方を嫌ってはいましたが、同時に認めてもいた」

「うむ。儂も同じよ…そこでな。儂はこの機会に、その因縁を終わらせたいと思うておる」

 都丸が顔を上げる。蔵城は表情を変えなかった。

「それは…管理者が我々を選んだ理由を理解した上で、ですか?」

「無論。あ奴らは利益をエサに、何故かはわからんが犬猿の我らをさらに争わせようとしている。蔵人を責めるわけではないが、そちらも丸腰でここへ来たわけではあるまい?」

「ボディチェックがあれば素直に渡すつもりだったが…全員懐に収まったままですね」

「だろうな。こちらもじゃ」

呉羽は忌々しそうに毒づく。

「かっ!奴らが何を考えているか知らんがそれに乗ってやることもなかろう。蔵城君…儂は今日、本心で協議をするためにここへ来た。息子達も承知だ」

横に座る呉羽の息子達が蔵城に目をやる。共に30半ばくらいの、感情の読めない狐顔とやる気のない狸のような男。いつ見ても対照的な呉羽の息子達。

「最も利益となる形であればそれでいい。弟も同じ意見だ」

兄の気のない言葉。狸のほうはすぐにそっぽを向いた。

「蔵人も無駄な諍いは避けたいところだ。血を流すのは仕事が始まってからで遅くない。それがこれから併合していく各社のものだけならなおいい」

蔵城はあくまで良造に意向を伝える。頷きを返すのも彼だけだ。

「だが呉羽さん…俺は今ここに集められた理由を考えている」

「おかしなことをいう。それは無論…」

「今時実際に顔を合わせる会議など稀だ。モニタでもネットでも使えばいつでも会議くらいできる。ましてやこの街でなら尚更だ。それに想像だが、管理者側はもっと大きな計画を進めている気がする」

蔵城にはどうしても腑に落ちなかった。あの経済顧問の言う経済改革。改革と言っても差し支えないだろう、それだけの大刷新となる“シノギ”なのだ。だからこそそれを口にする時のルカの“どうでもよさ”がずっと心に引っかかっていた。

「ふむ、たしかに…議題が大規模なうえ、あまり声高にできんものだけに自然に考えていたが、含みがあるのは感じた。じゃがこの都市の仕組みを大きく変える企業統合よりも重要なもの…儂には思いもつかんが…いや」

呉羽良造は腕を組み考える。

「5年前の都市再建を鑑みればありえん話ではないか…あれは誰の予想も追いつかぬ早業だった。無駄というものを全て排除し、いくつものプロジェクトを同時に進行しておきながら、JUCは一度も会合の場を設けなかった」

「一度も?それはまた…」通常ではまずないだろう。その当時蔵人も多方面で再建に携わっていたはずだが、蔵城自身はまだ身の振り方を決めかねていた頃だ。

「話し合うまでもない、という感じだったな。あの復興はほとんどJUCが単独で終わらせた。儂ら企業などJUCにとっては単なる補佐役、そう行動で示された気がしたものじゃ。それを思えば今回も何かのオマケの可能性はある」

「たぶん市長が現れないことと無関係じゃない。ここに集められた理由は別にあると俺は思う」


その時、もう開くことは無いと思っていたドアが開いた。


「おお、これはこれは大変お待たせしている。両社の方々に謝らなければいけないな」

入って来たのは2人。燃える赤毛のルカ・ルドウィグ・ハラー経済顧問と漆黒の黒いスーツの男。蔵城は写真でしか見たことがなかったが、たしか四条付きの特別顧問の男だ。名前は九龍とかいった。ルカを先頭に喧しく室内に入った2人は憚ることなく市長の席…即ち両社を別つ中間の座に着いた。九龍は荒々しく座るルカの後ろに侍るように立ったまま、両手を背で組み全員を視界に収める。それだけで室内の空気が更に張り詰めた。


「では会議(パーティ)に入ろう」


ルカが意気揚々と会談のスタートを宣言した。その瞬間議場が噎せ返るような熱気を増した。まるでルカの発する熱が発散されたかのように。蔵城の肌はたしかにそう感じた。

「…市長は欠席か、ミスタ、ハラー」

「そう、我々がこのパーティの見届け役だ」

ルカが横柄に返す。それに両社の重役から口々に不満の声が漏れ出した。

「では私から提案させて頂く」

そんなもの聞こえていないように立ち上がったのは、良造の長男呉羽孝高(クレバ・ヨシタカ)だった。良造が訝しむ。

「…何じゃと?おい孝高、貴様ーー」


「私はこの都市の供給(ライフライン)は呉羽だけで充分だと考えている」


蔵人側の人間が固まった。都丸も、蔵城も同じだった。

「現状を見れば明らかだ。もはやこの都市ひとつくらいならば我が社の保有する資力で足りる。故に蔵人組合(コープ)の方々には今回の話、辞退していただきたい」

「兄に同じく」

孝高の横にいる弟、呉羽孝彦クレバ・ヨシヒコが事務的に手を上げながら賛同を示す。

「…何を言っている…?」

蔵城は不意打ちのごとき提案に、怒りを通り越して唖然としてしまった。一瞬の間を置き蔵人側の重役達が怒号を上げる。

「ふざけるな!条件はお互い変わらないだろうが!」

「そうだ、資力など大して変わらんのになぜ我々が辞退する、考えてものを言え若造が!」

「ここは協議の場です。なのに貴方の提案は提案ではありません。蔵人が認めるわけはないでしょう」

普段冷静を崩さぬ都丸までが怒気混じりに抗議していた。しかし誰より怒っていたのは呉羽良造だった。

「孝高、貴様何をほざく!顧問殿、蔵人の方々、今のは呉羽の本意ではない!」

「父よ。これが最も利益となる形だ」

 能面のような無表情で孝高はなおも言った。

「黙ってとっとと座れ!そもそも我が社だけでこの都市全ての供給など賄えるか、法螺を吹くな!」

「可能なのだ父よ。“この都市だけ”なら」

「…なに…?」

蔵城にはその言葉の意味が掴めない。

他所(よそ)が無くなりゃそうなるってこった、親父さん」

確信的に呟く孝高、退廃的に笑う考彦の言葉。そこに嘘が無いのを蔵城は直感した。この2人は自分達の知らない何かを知っている、そんな直感が蔵城に走る。

(誰に聞いた…?)

いや、考えるまでもない。それは自分達に接近してきた管理者側の奴ら以外に考えられない。

気付けば蔵城は汗をかいていた。それは緊張のせいではなく、何か精神的に炙られるようなこの部屋の空気のせいだと遅まきながらに気づく。

この熱気、その原因。蔵城は中央の座を見た。偉そうに入ってきたきり、ほとんど言葉を発していないルカ・ルドウィグ・ハラーを。そしてその姿に息を呑む。戦慄する。

 赤毛をまるで本当に燃えているように逆立て、全身を炎のように揺らめかせながら笑う、その姿に。


「…おや?俺を認識してるのか蔵城。これはすごい、どっぷり俺に焦がされて正気を保っているとは。思った以上にタフな精神を持っているな」

「まさか…インカーネイターというやつか?」

橘の開示した情報。この都市が混沌に陥った真の原因。信じ難い話だったし、現にさっきまで半信半疑だった。だが事実だと認めざるを得ない。己の精神を現実に顕す遣い手が、今まさに蔵城の眼前にいた。

「へえ?知っていたか」

 眉を上げ、感心したようにルカが言う。そのルカの周囲は本当に熱を発しているように大気が歪んで見えた。

「ああ…なるほど。お前が四条のゲストの手引き役か。上手いことやったな、今の今まで気づかなかった」

 ルカはそのたった一言でこちらの暗躍を理解した。蔵城は警戒を強め、身構えながら聞いた。

「なんなんだ、その姿は」

「これか?俺の偏向が発露してるのさ。我ながら困ったもんで大きな矛盾を孕んだ性格でね。俺は血を見るのが大好きだが、自分が痛い目を見るのは絶対に嫌なんだ。それを叶える為に顕れたのがこの能力(アビリティ)さ」

「アビリティ…?」

「まあ見ていろ」


 次の瞬間、ルカの全身が燃え上がるように膨れ上がった。


 人型ですら無くなり、ただの赤黒い陽炎のようになったルカは議場全体に一気に広がった。そしてそれこそがこの場を支配する空気の正体…蔵城の感情を逆撫でる紅蓮の顕現だった。

煽動者(アジテイター)…混乱を巻き起こし、それを高見から見下ろす存在。俺はそうなりたかった。そんな偏向のインカーネイトがこれさ」

 どこからかルカの声が聞こえる。まるで頭に直接話しているように間近で。蔵城が恐怖に腰を浮かす。だが他の人間は誰1人としてその存在に気づいていない。怒りの炎に巻かれた者達は、いつの間にか全員が常軌を逸して怒り狂っていた。

「どちらでも構わんなら呉羽が退け!」

「なにを、蔵人なんぞに譲る義理は無いぞ!」「その通りだ、大体こいつらと協力関係など無理な話だったのだ!」「そもそもなぜよりによって蔵人なのだ!」「なんだその言い草は!」

 呉羽側の幹部も怒鳴り出した。そして怒りに呼応するように炎がどんどん勢いを増す。いや逆だ。炎が燃え盛るにつれ、議場の人間が怒りを煽られているのだ。

“炎の奏者“(パイロ・パイパー)。それが俺の呼称名(コールサイン)だ」

 ルカの声が灼熱の怒気となって議場を炙った。それは当然の如く蔵城にまで影響し、蔵城の心中の“ざわつき”が抑えられないほど膨れ上がった。


 わざわざここに集められた理由はこれだ。重役らが一堂に会し

たここで、修復不可能な禍根を蔵人、呉羽の両方に創ること。元々お互いが引きずっていた火種に薪をくべること。


 理解した蔵城は抗うように声を張り上げた。

「やめろ!ここで争うのは思うつぼだぞ!管理者どもは俺達が争いやすいようここで因縁を作らせる気だ!」

 怒りに流されながら卓を拳で殴り叫ぶ。怒りながら正論を説く。だが誰も聞いていない。呉羽良造すら耳を貸さず、怒鳴りながら息子への罵倒を続けていた。それがまた自身の中の怒りを更に育てる。止まらない焦燥の渦、このままでは取り返しがつかなくなるという思いがその勢いを助長していた。

「因縁か。まさにそれだ蔵城、そいつを俺が創ってやる」

 姿無きルカの笑い声。それは炎のように熱く蔵城の心に、この議場の人間すべてに焼き付いた。

「頃合いだぞ、引き金役(トリガー)

「承知した」

 怒号の渦の中、蔵城はそんなやり取りを聞いた。この熱気の中ではやたらと涼しげで冷徹な声だった。直後に焼け付くような喧騒を突き抜ける銃声が響いた。

「…お…」

 呉羽良造の驚愕の呻き。その腹から血が水道のように溢れていた。

「呉羽さん!」

 駆け寄ろうとした蔵城を都丸が身を呈して留める。彼女も怒りに満ちていたが、ぎりぎり理性をまだ保っていた。良造は自分の腹の穴を見て、その穴を穿った拳銃、そしてそのトリガーを引いた人物を見た。

「この…大馬鹿者が…!」

「それは貴方だ、父よ」

 撃鉄の下りる音。呉羽孝高が構えた拳銃の出した音。その銃口を自分の父親に向けながら、孝高は言った。

「我々は選ばれたのだ、これから来たる整然とした合理の世界、その管理を担う者として。もはや不確定な流行や曖昧な嗜好といったものに振り回されることは無い。それは私からすれば大変好ましいものだ」

 直後に銃声。丁度孝高の背中側に位置した蔵城には、呉羽良造の額に風穴が空くのが良く見えた。

「孝高ぁ!」

「いけません若!」

 激昂する蔵城、しがみついて離さない都丸。

「動くなよ、お2人さん」

 その2人に向けて、孝高とは真反対の方向から銃が向けられる。

「もういいじゃねえか蔵城さん。世界はもうすぐ終わっちまうんだ、あと何分もしない内によ。いや、もしかしてもう終わっちまったのか?赤毛の顧問殿」

 面倒くさそうに銃を構える呉羽の弟のほう、考彦が宙に向かって聞いた。

「室内にいるとこんなもんか。だが感覚で分かる。“光は器の中に満ちた”のがな。その通りだトリガー、これまでの世界は上書き(アップグレード)されて綺麗に終わった。次は我々人間の番だ」

 またすぐそばでルカの声。まるでこの部屋の空気そのものが喋っているような反響。片方の重鎮が呆気なく死んだにも関わらず幹部達は双方とも罵声を止めない。もはや自身の怒りに支配されて、周囲を認識できていない。

「だそうだ。もう痛い目みても損しかねえぞ?」

 罵声を縫って届く投げやりな声。狸のようにどっしりした呉羽考彦が座ったまま2人に拳銃を突きつけて言った。全ての事柄を諦めたような虚しい響きがその声音にはあった。

「貴様ら2人とも何言ってやがる…全然言ってる事が違うぞ!」

「解釈の問題だ」

 孝高は射殺した父親を省みもせず言った。

「これから世界は新たな支配者を迎える。その世界で生存することをこの都市は許された。再生の時が来たのだ」

「究極のエコ思想ってやつだ。まあ考えてみりゃこれまで人間(おれら)がやって来たことと変わらねえ。俺らは個体数が増え過ぎた生き物は生態系のサイクルを崩すってことを知ってる。だが自分達のことは見て見ぬ振りを決め込んできた。あるいは人は別格だとでも思っていたのか…そのツケが回ってきたんだ。“間引き“さ。その矛先が遂に人間様にも向いた…そんだけのこった」

「…!一体何を聞いた、貴様ら…!」

 呉羽兄弟の考えは真っ向から反目していた。希望的にこれからを語る孝高と、退廃的に終わりを語る考彦の絶望。まるで意味が分からない。それがただでさえ苛立つ蔵城に、懐に忍ばせた拳銃を握らせた。

「顧問は競合態勢を望んでいるがこうも言った。それもケース・バイ・ケース…混沌を生み出す状況を作る力があるなら競合態勢は絶対条件ではないと。それは蔵人がいなくても構わないし、呉羽に力があればそれでいいということだ」

「その手を懐から出すなよ蔵城さん。せっかく拾った命だ、どうせなら滅んだ世界を見てから一緒にお陀仏しようや。あんたはただ手を引くって言うだけでいい」

 兄弟の手が蔵城に向いた。撃鉄が下りる音が揃う。

「若…ここを出ましょう…!何かおかしい…この苛立ち…何か…!」

 都丸が精一杯の力で蔵城を止める。膨れ上がる怒りを全てそこに注ぐように。そうやって理性の放棄に必死で抗い、尋常でない力で蔵城を抑えていた。

「どけ、離せ!これが放っておけるか!」

「若!」

 蔵城が拳銃を抜き孝高へ向けた。蔵人の幹部達が本能のようにそれに倣う。呉羽の連中も同時にそうしていた。

 両社は円形の卓を囲み、誰がいつ引き金を引いてもおかしくない怒りに苛まれていた。それは蔵城の中でも爆発しかかっている。引き金がやけに軽く感じるほどに。

 長年の負債を精算するつもりでいた呉羽良造の死。あまりにもあっけないその最後が、実の息子によって齎されたという事実がどうしても蔵城には看過できなかった。既に亡くなった父親を尊敬していた蔵城にはどうしても見過ごせなかった。だからその尊敬の念すらも相手が計算している可能性など考える余裕は無かった。


「二つの巨頭は潰し合う。それはやがて人の新たな秩序を形成する礎となるだろう。お前達が法となる…これはその為の儀式(パーティ)さ。楽しめよ、未来の計測者(ライブラ)達よ」


 ルカの声が議場に谺した。だが耳に入ってもそれを思考する頭が灼かれていた。怒りという内なる炎に。


 蔵城は咆哮を上げながら引き金を引いた。それを契機として、両社の幹部が一斉に発砲した。


 怒りによって視界が白く染まった。それでも撃ち続けた。そして理性すら焼き尽くした怒りが完全に蔵城を支配した時、その脳は外界を認識することをやめた。







ー4ー






 広く明るいエントランスフロア、そのほぼ中央で2人は向き合っていた。背原真綾(ハイバラ・マアヤ)は大きな瞳から涙を零し、驚き立ち尽くしていた。ようやく会えた妹に真琴は躊躇いなく歩み寄る。


 昔からそっくりだと云われた容姿。そこに兄妹であること以外に理由があるのを真琴だけが知っていた。真琴は真琴でしかないが、真綾は“何にでもなれる“ということを真琴だけが知っていた。そして真綾が、真琴のようになりたいと願った、その形が今なのだ。


 それだけのこと。その気持ちを、真琴は素直に嬉しいと思った。真琴の今があるのも真綾の願いがあったからこそだ。


 抱き締めるとほんの少しだけ真綾の方が背が低い。真琴は労るように、硝子細工に触れるように優しく腕を回した。

「言ってくれればよかったのに」

 そう囁いた。少し怒りが混じって聞こえたかもしれない。切宮、スローターズ、彼女の友達にまつわる全てを黙っていた事を言っていた。それだけで真綾には伝わる。昔からそうだ。

「…ごめん…ごめんなさい…」

「ううん、違う…僕の方こそ謝らないと。危険だって分かってて、マヤが僕を巻き込むようなことするはずがないんだから。マヤは強いから…僕が気づかないといけなかった。だからごめん」

 真綾は声を出さず大きく首を横に何度も振った。石鹸の香り、そして身体のあちこちに痣があった。白を貴重とした服は綺麗だったが暴力を受けたのは間違いない。真琴に猛烈な後悔が襲い掛かった。そして即断した。

「帰ろう、一緒に」

 その言葉に真綾の身体が震えた。

「…でも…創介さんは…」

「マヤも僕らと同じだったんでしょ。インカーネイターとか言うらしいけど…だったら離れる理由が無い。むしろ1人になんてしておけない」

「…それだけじゃなくて…む、むかしのこと、とかーー」

「それでいいんだ」

 真琴は身体を離し、真綾の目を見ながら言った。


「今まで考えないようにしてたけど、今回のことでわかった。僕は真綾と離れたくないんだ。一緒じゃないと嫌だ。それが僕らにとっての“本当”なんだよ。創介もナオ兄も誰も関係ない。僕らがそうしたいから、それが一番大事なことじゃない?」


 真綾は返す言葉を失くした。顔に火がついたように熱い。涙がとめどなく流れどうしようもなかった。これほどはっきりと好意を言葉にされたのは初めてだった。

「お兄、ちゃ…」

 もう兄妹という繋がりは邪魔だった。真琴自身この感情が愛なのかただの依存なのか分からない。ただ身体のほうが自然に気持ちを表して、動いた。


 2人の身体が重なる。その時窓から見える外景が、一瞬だけ白く覆われた。光災の光だ。だが2人共それに気づきもしない。求めた相手と触れ合っている、それだけでお互いが満たされていた。



 しかしこの場所での変化はさらに加速した。


 そう。変化の中心点はここなのだ。



 空から降るプロテウスの洪水が一瞬で空気と同じになる。つまりそこに在っても見えない、この世界を構成する要素と化した。ここまでは他と変わらない変化だった。ルカの言葉を借りるなら、器が光で満ちただけだった。だがここでは、プロテウスが早速その役割を発揮した。それを行使する存在に急かされるように、しかしそれでいてどこか優美に。


 瞬く間に粒子が具現化する。白い粉雪が渦巻くように、エントランスホールの中心で形を生していく。

 顕現(インカーネイト)。それは何も無い虚空から静かに、だが誰もが見ずにはいられない輝きと共に、この世界に降り立った。


 白く長いドレス。現実離れした、荘厳な輝く長い髪。


 切れ長で大きな瞳。まるで理想を形にしような非の打ち所のない、白く輝く絶世の少女がホールの中央に顕れた。



 真琴も遅れてその存在に気づいた。

 そして振り返り、その少女を見た。



「ようやく会えました…“ユピテル”」



 呼びかけたのはフロアの奥から現れた四条巽だった。その横に呆然としたジャーナリスト。ユピテルと呼ばれた少女はしばし虚空を見つめ、やがて厳かにそちらを向いて、たおやかな唇を動かした。




「本当に…夢のようですね、ミスタ、四条」

 

 







 

 

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