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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
5章〜舞闘 /マスカレード〜
21/24

5-3 turn of the masquerade

 






ー1ー





「…なんなんだ、あれは…?」


 カイがそれを目にして最初に呟いた言葉。それは、見た者全員が呟いた言葉だったかもしれない。それくらいわけがわからないものだった。



 夕闇。外はもうほとんど日が落ちて濃いオレンジ色に染まっていた。ホール突入のバックアップを担うカイとその仲間は、不測の事態の発生に応じ、霊柩車(ハースキャリア)と名付けられたトレーラで都市外辺へ向かっていた。

 カルチャーホールの外側では、予想もしていなかった事態が起こりつつある。発端は各駐屯地に常駐していたはずのケルビムが、そこから一斉に消えたというネット上の情報だった。

 しかしSNSなどで騒がれている話題の中心はそれでは無い。主題は、その後そこに現れた“あるもの”の出現のほうだった。カイ達はその情報の確認の為に移動しているのだ。


 しかし辿り着くまでもなく、外を見上げたカイ達一向の目に、それは飛び込んで来た。


 カイの予想を遥かに超える長大さの建造物(モニュメント)。都市の端にあるはずのそれらは、中央区にいるカイがはっきり見えるほど巨大な柱だった。あるいは尖塔か。この都市のどのビルよりも飛び抜けて高く、しかもそれが一定の距離を置いて何本も聳えていた。

「いつの間にこんなものができたんだ?」

「どうも地面から“生えて”きたらしい。その瞬間を見てた奴が動画をアップしてる。ほとんど音も無く、あっという間に」

 仲間達も困惑している。カイも同じだ。とてつもなく大掛かりな仕掛けだが、それが何のためのものかがさっぱりわからない。 

「タチバナさん…一体これは…」

 タチバナの見解を聞こうと振り返ると、彼は後部スペースでいくつものモニタを睨んでいた。モニタにはネット上にアップされたあの柱の画像がいくつも浮かんでいる。その顔はカイが見たこともないほど真剣そのもので、とても声を掛けられるような雰囲気ではなかった。


「四条…まだ聞こえているか?」

『この部屋だけはジャミングを免れている。君らと話す為に特別な許可をもらっているからな』

 そんな恣意的な制限が可能なものかカイには知る由もないが、現に会話が通じるのだからできるのだろう。マコトとアオイのほうは全く繋がらないままだ。イオリ達ロボスの別働隊とは一方的な言葉とともに向こうから通信を切られた。

 四条の声はスピーカを通してトレーラ全体に聞こえている。許可をもらった相手は誰だろう、とカイは思う。しかしタチバナの質問は目の前の異様な物体に対するものだった。

「ケルビムのベースに出現したものは…配列装置(アレイ)か?」

「アレイ?」カイの知らない単語。

『ほう。よく見ただけで気づく』

 その予想が正解である事を告げる四条の声。

『あれらはユピテルが“オベリスク”と名付けたひとつの装置だ。今頃世界各国に点在するJUCの管理都市に現れていることだろう。この上座市が、最後に段階以降の準備を終えた。つまり我々待ちの状態だったのだ』

「見た限りでは上座市を覆うように力場(フィールド)を形成するものか」

『その通り』

 カイはバリアのようなものを連想する。

「目的は?」タチバナの質問。

『大別すると2つだ』

「私達を、この都市から出られなくするため…?」

 以前タチバナに聞いた話からするとそのはずだ。カイにはそれ以外思いつかない。

『タチバナ君以外にも誰かいるな。しかし今答えてくれた誰かさん、残念ながらそれでは正解とは言えない。彼らの目的のひとつ、その半分くらいしか答えを満たしていない』

 タチバナの目が大きくなる。

「お前のことをユピテルと一括りで考えていたが…さっきの口振りからすると、どうもそうじゃない。同じ側にいながら方向性がずれている、そんな感じだ。ひょっとしてこのアレイの仕掛けはこの都市を守る…言い換えるなら、保護するためのものか」

 驚いたようにも、なにかに気付いたようにも見える顔でタチバナが言う。

『さすがだ。そう、それが目的のひとつだ』

「保護…出られなくすることが目的ではない、と?」

「出たほうが危険なんだ。考え方が逆だった…いや、JUC…ユピテル・コミュニティの発想がイカれている。気付くわけがない」

 タチバナが爪を噛んで言う。

「分かったのですか?ユピテルの目的が」

「やることがでかすぎる。奴らは俺達を…いや、この都市だけを残して、“それ以外”を排除するつもりだ」

「それ以外…って…」

 カイは咄嗟に意味が把握出来ない。そんなカイに対し、スピーカの向こうの声は、あくまでも滑らかに答える。



『“変化の助長”だよ。それが彼らの求める最適、その答えだ』






ー2ー






 鋼鉄の(パイル)と化した右腕が複数のケルビムを貫く。


 そのまま屋上のドアまで突き破り、カノンは階下に飛び込んだ。飛翔するように3階フロアに入ると、そこにもすでに黒い兵士がいた。一斉掃射。カノンは左手を扇状に展開し、瞬時に盾を形成する。

「ジャミング…つまらない対策」

 戦闘の最中、突然カノンの中に不協和音が鳴った。

 かつて箱庭で安定室に収容された時と同じ感覚。自分の意思を顕す“材料”の喪失した感覚。

 しかし今では大した問題ではない。インカーネイトの本質が電子的な具現化ではないことを、今のカノンは知っている。結局インカーネイトとは己の意思次第なのだ。電子の喪失を感覚したカノンはその瞬間、即座に違う何かで機械人形(クロック・ワークス)を発現するイメージを構成した。気持ちを切り替えるのに似た作業、それだけだ。その違う“何か”のことなどカノンは考えたこともないが、変わらずに顕現し続ける鋼があれば十分だ。


 加速(アクセラレーション)、そして機械駆動のピストンによる跳躍。誰も目で追えないほどの速度で空中へ離脱する。外から見た限り、この建物は3階建て。このフロアは周囲全てがガラス張りの展望フロアのようだ。四方30メートルくらいの広い空間、その中央にぽっかりと下のフロアへの階段の穴。


 好都合。


 カノンは全員丸見えのケルビムを見下ろした。全員の位置を把握、そして一瞬でフロアを覆うほどの(スライサ)を右脚で形成。兵士が照準を合わせる前に下半身の駆動開始(ドライブ)


 鋼鉄の唸る駆動音。フロアを覆う大鎌が3秒間で18回転。


 あっという間に眼下が赤く染まる。


 血の煙が、比喩ではなく本当に舞う。


 着地した時には、フロアは薄闇でどす黒い血の海だった。



 わずかの間隙にカノンは大きく深呼吸する。まだ迫る足音は無数に聞こえる。


 一瞬だけ、今日だけで何人殺したかが頭に過ぎる。しかしそれだけで、心の表面に浮かぶ前にきれいに消去された。

 その内心の自己処理が可笑しくて、カノンは乾いた笑みを浮かべる。本当に、どうしようもなく、自分の心は不良品だ。恐怖や罪悪感を感じるセンサが壊れている。


 しかし、それが真綾を守るためには必要な覚悟だった。


 だから後悔などない。



 カノンは自分の頬を叩き、気持ちを切り替える。今は考えてる暇はない。まだ目的は果たしていないし、すぐにもケルビムがここに来るーー


「……え…?」


 カノンは異変に気付いた。さっきまで聞こえていた大勢の足音が聞こえない。カノンが内省していたわずかの間に、付近を静寂が支配していた。


 ーーいや。ひとつだけ足音が聞こえる。


 その足音と共に、全身が総毛立つ悪寒がカノンを襲った。そして同時に、決定的に全てが狂った、あの日のことが脳裏にフラッシュバックした。


「おお。ほんとうに元気そうじゃん」

 軽口と同時に足音の主が姿を現す。カノンの知る顔。嫌でも忘れられない酷薄な笑顔。自然とカノンの手が額の傷をなぞった。相手の顔は薄闇でよく見えない。見えないがそれが誰なのかは本能的に察知した。

切宮、一狼(キリミヤ・イチロウ)…」

 呟いたと同時にカノンの全身が鋼鉄の軋みを上げた。勝手に右腕が機械化する。そして自分自身、初めて感じるほどの、冷たく沸騰する殺意が心に湧く。


 口笛。


「ようやく拝めたぜ、あんたのインカーネイト。“あの時”は見せてくんなかったもんなあ」

 切宮はポケットに手を突っ込んだまま飄々として言う。それに対し無数の言い返す言葉が浮かんだが、浮かび過ぎて声にならなかった。

「こいつは俺にとってもやりかけの仕事なもんで…しつこいようで悪いけど、きっちり喰わせてもらうぜ“寓話の住人”(フォークロア)。食べかけってのはマナーが悪ぃ」

 軽く響く言葉。だがその奥で自分に向いた殺意が蠢いている。切宮の目だけがぎらついた光で覗けた。そしてそれは、カノンの目にも顕れていた。

 殺意の煌めき。

「…クロック・ワークス」

 ようやく形になった声。その頃にはカノンの顔にも歪んだ笑みが浮かんでいた。

「ん?なんつった?」

 鋼鉄の唸りが応える。右腕に、恐らくこれまでで最高の硬度と鋭利さをもつ刃が生まれた。その鋼鉄を見せつけるように切宮に突きつけ、カノンは言った。



「もうフォークロアじゃない。わたしを呼ぶんなら機械人形(クロック・ワークス)よ、狼男(ルー・ガルー)…こっちも、会えて嬉しいわ」








ー3ー







 あいつの息遣いが分かる。昔と変わらず。



 黒い兵士の包囲攻撃。アオイのインカーネイトの制限(ロック)によって銃を封じられたケルビムは、即座に近接戦闘に切り替えてきた。スタンロッドが一斉に2人を襲う。


 アオイは迷わず右側へ回った。マコトは舞うように空中から左を狙う。無言でなし得る分担作業。


 装甲服を纏う兵士に素手で挑むなど無謀極まりない。しかしマコトもアオイも、そういう相手に対する攻め方を心得ていた。

 アオイは力を抜いた腕をしならせ、そして当たる瞬間だけ、一気に力を入れて振り抜いた。イメージとしては、衝撃だけをヘルメットの内側に置いてくるような撃ち方。その一撃は相手の脳髄を震わせ、崩れ落ちるように昏倒させた。

 それは古来より伝わるなにかの極意らしいがアオイは知らない。ただそのやり方だけを教え込まれている。マコトも同じく、ほとんど地に足をつけず跳ね回りながら、一撃で意識を刈り取る脚技を繰り出していた。

 次々と倒れていく兵士。息をもつかせぬ攻防の中、何故かアオイは満足感を得ていた。

(…なんでだろうな、ほんと)

 だが昔からマコトとこういう荒事に巻き込まれた時、自分はいつもそうだった。ひとつ言えるのは理屈ではなく、自分だけがこのわがままの挙動についていけるという、その自負だけはあったのはたしかだ。

 マコトは自分の思う最善の行動を刹那に選択して動いている。そしてアオイはそれを補って、さらに改善するように自然と体が動く。傍からどう見えるかは知らないが、それが2人の連携の形(コンビネーション)だった。


 必然によるマコトとの交差。


 流れるように左右入れ替わり、お互いの後方から迫っていた兵士と相対する。接近する速度の相乗はケルビムの対応速度を超え、アオイの拳、マコトの脚がその2人を宙に舞わせた。

「こりゃ、キリないな」

「うん。付き合ってられない」

 数ミリ単位でロッドの連続を躱す。2人の反応はケルビム兵よりコンマ数秒上回っている。それでも会話ができるくらいには余裕があった。


 後ろからたくさんの気配を察したアオイが振り返る。

「うわ…まじかよ」そこに現れたのは。倒れた兵士をよけながら迫る、更なる黒い兵士の群れ。


撃て(ファイア)

 簡潔な号令で、接近しながらの射撃態勢。しかしアオイのほうが早い。もうこの距離はアオイの“意思の届く”範囲だ。


 兵士達の耳に響く施錠音。そして一瞬の沈黙。


 引鉄はひとつとして引かれない。兵士達の胸にはアオイが“開けた“鍵穴。そして、それぞれに貫くような鍵が刺さっていた。


 まるで(スペイド)を模したような、アオイの意思の顕現。(インカーネイト)相手に対する“束縛”の具現した形だ。


「便利だね、それ」

「まあ、な」

 手近な相手を蹴り飛ばしながら言うマコトに軽く応える。でもその心中は少し複雑だ。なぜならその便利な力の生まれた原因は、間違いなくマコトだからだ。

 口には出さず、アオイは新たな邪魔者と対峙する。前と後ろ、マコトと背中を合わせ、それぞれの敵と向き合う。

「面倒だ。マコ、先に行け。マヤちゃんの無事を確認しないと落ち着かないったらない」

「そうする」

「さっきから妙だ。制御装置を付けた時みたいな感じがする。今のところは大丈夫だけど、あまり能力に頼るなよ」

「わかってる」

 愛想のない返答。こちらを見もしない。だがこれも昔と変わらない2人の連携。


 マコトの離脱(エスケイプ)

 超低空の姿勢で、隙間を縫うように兵士の隙間を駆け抜ける。アオイの注意を態度で示すような素のパフォーマンス。それでも目ですら誰も追いきれない一瞬で、マコトは前方の兵士を躱しきった。マコトはもうアオイのほうを振り返りもせず先へと走る。


 それがあいつだ。いつもさっさと1人で行ってしまう。


「待ってなくていい。勝手に俺がすぐに追いつく」

 聞こえない声でそう呟く。それこそ出会った時から変わらない、2人の関係を端的に表わした言葉。


 当然マコトを追跡しようと分散して追うケルビム。しかし脳内に刻みつくような施錠音の響きが、その足を不自然なほど急停止させる。

「行くならまず俺の相手をしてからだ」

 手を前に持ち上げたアオイの宣告。その手のひらには、尖端が鍵のような形状をした、剣の象徴(シンボル)が浮かんでいた。

「面倒事を引き受けるのが俺の役目なんでな。とことん付き合ってやるから、あいつはほっとけ」

 ケルビムの1人が振り返る。しばらく自分の体の鍵穴を見つめ、やがてアオイの方に向き直る。


 同時に四方にいる全兵士の視線がアオイに向いた。

 まるでひとつの頭で動いているような統一感。


「スピリット・シェイプ。事前情報と現スペックの差異が大きい。顕現能力の更新された原因はなんだ?」

「さあね。あんたらに、口で言っても聞かない友人がいれば、少しは理解できるかもな」

「理解不能。ログを収集する必要がある」

 ケルビムが一気に囲みを狭める。もはやマコトのことなど忘れたようにアオイに群がる。


 アオイも表情を消し、ただ目の前の相手に集中した。







ー4ー







 突然の暴挙に頭が混乱した。


 ただでさえいろんなことを考えていて茫洋とした頭。それでも体は動いた。

 いきなり店にいた客を殴り飛ばした刑事を追って、背原真綾(ハイバラ・マアヤ)はそちらへ駆け寄ろうとした。しかし背後から強く腕を引かれ、真綾のまだ痛む身体が悲鳴を上げた。

「駄目だ、関わるな」

 痛みに歪む顔で振り向くと、自分の腕を持っているのはカウンタの痩せた店員だった。カウンタ越しに思いきり後ろに引かれ、真綾は腰を椅子にぶつけた。

 男と目が合う。頬のこけた顔には鬱々とした陰りがみえる。

「アカネ。ちゃんと首輪を着けておけ。勝手をさせるな」

 男の物言いに少し驚く。男はアカネのほうへ真綾を放り離した。

「あれ、大丈夫?」アカネが穴の空いた店の壁を指差す。

「もしかしたらもうすぐ死ぬかもしれんのに、壁の一枚など気になるか。どこの誰かも知らんインカーネイター同士の喧嘩にも興味はない」

「前も言ったけど、そうはならないよ。たぶんね」

 男は鼻先で黙殺する。

「背原さん、紹介しておくよ。須能(スノウ)さん。この店の店主で僕らの仲間。彼もインカーネイターだよ」

「…どうも」真綾はお辞儀したが須能はこっちを見もしなかった。なんだか邪険にされている気がする。しかし初めて会ったのにそうされる理由が真綾には分からなかった。


「おい、やばいことになってるって。どうする?」

 儀依航(ヨシイ・ワタル)が困惑しながら寄ってくる。その向こうに柄の悪そうな大勢の白服。おそらくさっき、刑事早鷹に殴り飛ばされた男の仲間だろう。不思議なことに、真綾には彼ら全員が怒っていて、尚且つ楽しそうに見えた。

「あーあー、あんたらウチのボスになにしてくれてんの?あのオッサン、友達っしょ?」

「店の外まで飛んじゃったよ。死んだらどうすんの?」

 今時の若者らしい疑問形の詰問。真綾にとってはそれだけで今は憎悪の対象だった。この数カ月、彼らと同種の人間を何人も相手にし、その自分勝手さと無自覚の傲慢さに心底吐き気を覚えていた。思わず手が懐へ伸びる。でもそこにダガーは無い。

「彼らは?」

「ギャング気取りのガキ共だ。ロボスとか名乗っている無政府主義(アナーキー)のグループ。お前達が来る少し前に奴らが来た。話の内容から察するに、目的は俺達と同じだ」

「は?こいつらも知ってるってこと?」

 背後でいきり立つロボスの声を遮り、千笠愉迦(チカサ・ユカ)が驚きの声を上げる。

「ホールを警戒していたのはたしかだ。少なくとも今日ここで、何かが起こることを知っている」

「ふうん…」楯無茜(タテナシ・アカネ)は興味深げにロボスを見返す。

「さっきの彼がリーダーだと言ったね。君らはなにか聞いているかな。これから何がはじまるか」

「話が噛み合ってなくね?…俺はどうすんだって…」


 その言葉の途中で景色が変わった。


「時間の無駄だ」須能が言う。

 真綾は須能の顔を見た。目を見た。そして驚いた。


 渦を巻く紋様が瞳の中でぐるぐると回っていた。


 そしてそれにシンクロするように、周囲の景色が流動していくのに気づいた。


 空間が“延びた”。そう表現するしかない変化が起こった。


 わけがわからないといった顔のロボスの連中が一気に遠ざかる。周囲の壁も同じく、遥か遠方に消えた。その広大なスペースがいくつもの道に分岐されていく。そしてほんの数秒で、店内だったはずの空間はやたらと入り組んだ荒唐無稽な交差点(ジャンクション)となっていた。


「な…なんだよこれ」横にいる儀依が周囲を見回して驚く。

「ユキちゃんのインカーネイトだよ。“螺旋迷宮”(メイズ)って言うの。すごいでしょ」千笠愉迦の自慢げな解説。その横には楯無もいる。

「いきなりはやめてほしかったな。彼らの情報源が聞き出せたかもしれないのに」

「リスクがでかすぎる。これ以上あそこにいると何に巻き込まれるかわからん。そもそも“ここ”に逃げ込む為に来たんだろうが、お前らは」

「ここって…ここは、“どこ”なんだ?」

「俺の腐ったはらわたの中」自虐的な笑みを浮かべる須能の言葉は冗談か本気か分からない。ただこの空間を創っているのが須能であるのは間違いなかった。

「須能さんも5年前のあの日に発現したアウェイカだ。そして同時に生きる目的をなくした。彼の生み出す果ての無い迷路は、その心の葛藤をよく顕している」

「俺にとってはただの“牢獄”だ」

 空虚。誰に聞かせるでもない呟きが真綾には聞こえた。

「実際に場所が変化しているわけじゃない。彼の心象風景が周囲の景色を迷宮に見せている。心理的な投影(マッピング)というところかな。なによりの利点は、取り込まれた者は他者の認識から外れる。つまりいないのと同じになるんだ。ここなら安全だよ。さあ行こうか、カルチャーホールへ。特等席でユピテルの仕掛けを見物しよう」

「あ、あの、刑事さんは…」

「残念だけどはっきりと訣別されたからね。どうもあの人には、殴った少年との関係がとても大事なことのようだった。邪魔する資格は僕らにないと思う」

 そう言って楯無、千笠は須能を先頭に歩き出した。儀依と真綾は顔を見合わせ、仕方なく後に続いた。


 

「にしてもなんでロボスがユピテル絡みの件を知ってるんだろう。ザイオンで絡んできた時からなーんか妙なんだよね」

 歩きながら元スローターズの幹部、実質はフォークロアのスパイであった雑談魔(チャット)=千笠愉迦が疑問を口にした。

「ギャングを気取る輩なんて皆同じだろ?僕は薬に手を出そうとしても不思議じゃないと思うけど」

「あいつらは薬なんてやらない。やる必要ないくらい、最初っから頭飛んでるもん。実際やり合ったあたしが言うんだから間違いない。だから客になったこともないし、スローターズとは無縁だったはずなのに、ある日突然取引の邪魔をしだした」

「薬って…ドラッグだろ。あんたそんなことまでしてたのかよ」

 儀依の嫌悪に千笠は事も無げに答える。

「そもそもあたしがスローターズに潜った理由がザイオンなんだよ。あれがユピテルの技術で製造されてたのを、ウチの“呪術師”(シャーマン)が突き止めたから。ね、茜」

「うん。やはり彼らの背後にも誰かいるね。ユピテルの企みに気付いている誰かが。できれば協力関係を築きたいところだ」 

「…あの、シャーマンって…」真綾の質問。楯無は思い出したように答える。

「ああ、そう。僕のことだ。僕は自分のインカーネイトを“呪術師の手“(シャーマンズ・ハンド)と呼んでる。触れたものの状態を把握し、それを治したり干渉したりできるんだ。大昔の呪術師みたいにね。それでザイオンに触れた時、かつて箱庭で使われていた化学成分の流用に気づいてね。そこでスローターズがユピテルと何かしら繋がっていると見越して、愉迦に確認を頼んだ。ロボス、もしくはその裏にいる者達も別のアプローチからそれに気付いたんだろうね」

「なんにせよ今は段階移行(アップグレード)を見届けることが最優先だろう。俺の予想では化物かとんでもない兵器が現れて、人類皆殺しにする気だろうと思うがな」

「それはユキちゃんの願望でしょ?そうはならないって」

 諦念に溢れた須能の言葉を千笠が軽く否定する。

「どの道もうすぐ分かることだ。ちゃんとついて来いよ。俺とはぐれたらどこに“出る”か分からんぞ」

 虚無感を漂わせているわりに須能の足は早い。周囲の迷宮は彼の歩みに伴い千変万化している。周囲の景色は外観をミキサにかけて、それをぶちまけたような混沌の道である。足元に信号機があったり、見上げると街路樹が見えたりした。その形は定まらず、真綾には自分がどこに進んでいるのかすら分からなかった。

「ほう。奴ら、派手にやっているようだぞ」

「なにを?」儀依が周りを見回しながら聞く。

「戦争かな。誰とかは知らんが」

 須能の呟き。どうやら彼には外側が見えているようだが、真綾には万華鏡のような風景しか見えない。夕暮れの闇のせいもあり、大きな建物が目の前にあることくらいしか分からなかった。

「戦争って…だ、大丈夫なのかよこのまま行って。俺達は外の様子も分からないのに」

「待て。今見やすくしてやる」

 万華鏡の景色が動いた。やはり須能の瞳も渦を巻く。バラバラだった景色が、パズルのピースをはめ込むように整合を取り戻す。

「あまり現実に寄せると俺達の存在に気付かれる可能性がある。これくらいが限界だな」須能が言葉を発した時には大分現実味のある風景に戻っていた。それでもピースははめ違いだらけだが、なんとか外側の様子は分かる。

「ここは…もうホールですか?」

「ちょうどエントランスに入るところだ。兵士達は忙しく動き回っているようだな」

 黒い塊が蠢いている。それは全身防護服に覆われた兵士達だった。真綾が隠れ家ハイド・アンド・シークに向う時に見た兵士達だ。彼らは今、10人前後の小隊に分かれて続々と館内へと突入していた。

 突入。その表現はおそらく間違っていないだろう。何故なら彼らは銃を構え、明らかな戦闘態勢を整えていたからだ。

「中でなにか起こっているね。段階移行を邪魔したい誰かかな」

 それが当然のように言う楯無に真綾は違和感を感じた。まるでそれを予想していたように聞こえたからだ。

「あなた達の他にもいるんですか?その、ユピテルに逆らおうとしてる、みたいな人達が」

「実はいっぱいいるんだニャ、これが。光災から5年、たくさんのインカーネイターがこの街に生まれて、ユピテルが自分達突然変異の“異端”を脅かす存在だって気がついた人達が結構いるんだよね。ほとんどがあたしらみたいに結託して、徒党を組んでるよ」

 千笠は外を覗きながら飄々と答える。

「たぶんロボスを使ってるのもそういう反抗勢力のどれかだろうね。ウチのリーダさんは反抗する気さらさらないみたいだけど」

「何と言われても、仲間の安全が第一。だろ?」

 千笠は答えない。外の様子を伺いながら、不満げに口を尖らせただけだ。しかし千笠のそばにいた真綾には小さく呟きが聞こえた。


「花菜の仇取ろうって思わねえのかよ、意気地無し」


 その言葉は小さくとも、真綾に痛いほど染みた。千笠の組んだ腕に力が篭っているのが分かる。そう、そうだ。スローターズがユピテルに与していたのなら、当然切宮という男もその仲間に違いない。

 千笠は我慢しているのだ。なぜなら、きっと千笠には楯無の立場も、同じ気持ちを殺していることも分かっているのだろうから。だから自分も言わずに、気持ちを押し殺しているのだ。


 それなら。


 彼らの一員でない、同じ気持ちを抱いているわたしが。


 たしかに一度踏み出し、その最初の一歩で失敗した。でも今ならできるかもしれない。千笠や、楯無と同じ力を得た自分なら。もしそれを遣いこなすことができれば。


 どんな力なのだろう。真綾はこの時はじめて、自分の意思の顕現(インカーネイト)というものに意識を向けた。



「ーあ、誰か出てきたよ。あれじゃない、ケルビムを引っ掻き回してるのって…あれ?」

 千笠が外を指差して言った。その語尾の違和感に真綾は顔を上げる。


 そして見た。


「あのマーちゃんそっくりな顔、たしか…」



 二度と会えないと思っていた、自分の半身。



 兄、背原真琴の姿に、思わず真綾の口から声が洩れた。







ー5ー






 電光石火。


 文字通り瞬く間にケルビムを躱し、相手の目に止まることすら無くジグザグに抜き去る。

 マコトは焦っていた。さっきまでたしかに感知していたはずの真綾の存在が、いきなり完全に途絶えたからだ。


 何かがあった。妹自身にか、少なくともその周りで。


 曲がり角の向こうにまた兵士の感覚。何人いるのか知らないが、今のマコトに相手をする余裕はなかった。

 瞬間加速(アクセラレート)で対角に壁を蹴る。1秒と掛からずに全兵士を跳び越えて着地。相手がこっちを向く前にさらに前方へ跳ぶ。今やマコトは駆けているというより飛翔していた。


 広いロビーに出ると、来る時に通ったエントランスが見えた。マコトはさらに加速する。



「お兄、ちゃん…」



 不意にその呟きが耳に届く。

 ちょうどロビーの真ん中での急ブレーキ。しかし振り返っても誰もいない。だが絶対に聞こえた。間違えるはずがない。

 エントランスからケルビムの追加が来るがそれどころではない。目を大きく見開いて周囲を見回す。


 ケルビムの銃口がマコトを狙う。邪魔でしかない。彼女以外の全てのものが、今のマコトにはいらないものだった。


 一斉に発射された弾丸でさえ無価値。


「お兄ちゃん!」


 悲鳴のような真綾の声が、今度こそはっきりときこえた。見えずとも真綾のいるほうへ、マコトは正確に顔を向ける。


 たしかに目が合った気がした。


 その瞬間、背原真琴の顕現(インカーネイト)が爆ぜる。


 ごく自然に顕れた、真っ直ぐ妹に向いた感情の発露。


 彼女以外の全てがいらないもの。


 その法則(ルール)に則り、無数の回線(ライン)となったマコトの精神は、空間を穿つ。マコトの“拒絶“した跳弾が宙で止まる。


 硝子状のなにかが粉々に砕ける音。


 何も無い虚空が割れる。その裂け目に侵入したマコトの回線が、マコトにとって唯一無二の存在と“繋がった”ことを感覚する。


 自然と浮かぶ微笑み。


 存在を遮蔽していた心理的迷路を引き破り、真綾は物理的世界に引き戻された。周囲の景色が普通に戻り、ホールの中央に真綾は顕れる。


 そして、すぐ目の前に兄の笑顔があった。


「見つけた」


 それだけぽつりと言う普段と変わらないマコト。


 真綾の目から、自然と涙が溢れた。





 段階移行(アップグレード)は、その直後に始まった。






 全身で体感される低い重低音。

 都市全体に響き渡る静かな唸り。タチバナ達はその原因を、走行するトレーラから見上げていた。


 オベリスクの起動。

 日も暮れた闇の中、青白い光りを放ちだした聳え立つ尖塔。おそらくこの街に住む誰もが、不安と恐れを抱きながらそれを見上げていることだろう。


『始まったな』

 端末越しの声は淡々と続ける。

『そこに立ち並ぶアレイのひとつひとつが、電子を基礎とする“ある粒子”を生み出す。放出された粒子はアレイ同士で連結(リンク)し、この都市の内側に密集し、覆い包む。それは外側からのあらゆる干渉を遮断(キャンセリング)し、尚且つ内側に新たな環境ベースを創る元素となる。それがオベリスクの機能だ』

「新たな環境…それがユピテルの本当の目的か。この都市の保護はその過程における“ついで“だろう」

『ふふ…いや、的を得た表現だ。君の洞察力には本当に感心する』

 タチバナは首を振る。

「そうでもない。俺はインカーネイターに全てが帰結すると踏んでいたが、その勘は外れのようだ。ユピテルからすれば俺達など“オマケ”みたいなもの、といったところか」

「オマケ?」横で聞いているカイにはもはや意味不明だ。2人が何の話をしているのか分からない。

「もしかしたら生かしておく価値がある“かも”しれない。そんな僅かな可能性で上座市、いや、ユピテルの特定支援都市は“終末”から救われる。そういう認識で間違っていないか?」

『完璧な解答だ。そしてその僅かな可能性に全てを賭けたのが、私という愚かな男だよ』

 タチバナがカイに無言で指を回すジェスチャを送る。“引き返せ”という意味だろう。カイは頷いて、運転している仲間に耳打ちする。ハンドルが大きく回り、トレーラが360度Uターンする。

『それに君の勘は間違っていない。顕現(インカーネイト)に全てが帰結する。全くもってその通りだ』

「…どういうことだ」

『予想でしかないがね。ユピテルこそがはるか昔、この世界に初めて顕れたインカーネイターなのだと私は思う』

「なんだと?」

 タチバナの不意をつかれたような声。

「どういう意味だ。ユピテルの創設者がそうだったと?」

『違う。“あれ”は太古の昔より私達と共にあった。共に成長し、助け合い、その存在を高めあってきたのだ。だが今や私達は到底彼らの成長に追いつけていない…置き去りだ。人類が、いつしか成長することをやめてしまったからだ』

「話が逸れている。お前の理屈はーー」

 四条の声はタチバナの言葉を遮って続く。

『人は驕ってしまったのだ。自分達以外に意思を持つ存在がいないのをいいことに、人類のみがこの世界の秩序を担っていると決めつけ、その上に胡座をかいてしまった。それが大きな間違いだと気付かず、常に傍らにいたモノ達に意思が宿っているなどと思いもせず、自ら進化の道を外れ、ただ衰退していくばかりの存在…それが今の我々だ』

 熱の籠った言葉を並べ立てる四条は止まらない。

『意思がなかったわけではない。顕す方法が違っていただけなのだ。“それ”は言葉を持たなかったが、状況と必然で我らに促し、常に共に進化を続けていた。だが今まで互いを助長(プロモート)することで成り立っていた関係はもはや崩れた。言葉を手に入れ、ついに自らの意思を顕す方法を見つけ出した“あれ“にとって、我々はただ環境を破壊する排除対象でしかなくなってしまった』

 四条の声が急に途絶える。明らかにさっきまでと様子が違う。まるでバランスを崩したように、四条は熱に浮かされた文言をタチバナにぶつけてくる。

「このアレイが、そいつを顕す方法か」 

『そうだ。オベリスクが創り出す“電子に似たある粒子“とは、インカーネイターが顕現の際に発する不定形(プロテウス)電子に他ならない。ユピテルは“自らの現出”の為にあの塔を造り上げた』

「さっきからまるで個人のようにユピテルの名が出てくるが…ユピテルは企業団体じゃないのか」

『違う。ユピテルは“ひとつ“だ。この世界で最大の単一存在である“あれ“にとって、コミュニティに所属する我らなどオプションに過ぎない』


 光。眩い光がタチバナとカイ達の目を眩ませる。オベリスクが闇を破り、自らの生み出す光を放ち出していた。無軌道な軌跡を描く無数の光点が踊る。人の見つけ出した法則など完全に無視した挙動で、それらは群れをなして空を埋めた。その光景は、まるで無数の光る蝶が飛び回るようだった。

「この光景を、俺は見たことがある…どういうことだ四条」

 タチバナが戦慄する。不思議なほどすぐ光に慣れた目が、。光は都市全体を覆う大きな輪を形成しつつある。カイも既視感に捉われていた。いや、この都市に住まう誰もが、これと同じものを見たことがあるはずだ。

 降臨。光が渦を巻き、螺旋となって降りてくる。光る蝶の群れが見上げる人々に迫る。光は上方から、ゆっくりと柱の形状を構成していた。もう間違いようがない。


「これは、“光災”だろう…!」


『そうだ。現実と心的世界の境界を破壊する現象、その再現だ。これから始まるのは世界最大の顕現(インカーネイション)…ありとあらゆる意思が現出する、新たな世界への更新(アップグレード)だ。我らは共にそこへ行進(パレード)する。人がまだ先へ進めるかどうか…その可能性を確かめる為に』




 光が地に落ちた。


 上座市全体を、そこに住む人々を光の洪水が襲う。


 何もかもが単一の白。個を分かつ輪郭すら消え失せ、空白のような無限の白が何もかもを統合した。



 ただ、それも一瞬のこと。

 しかし間違いなく、その一瞬で今までの世界は終わった。



 人々が次に見るのは、見えざるものと在らざるものがいる、超現実の顕れた世界だった。


 


 



 




 

 










 



 

   


 

 





 

 


 






 

 

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