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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
5章〜舞闘 /マスカレード〜
19/24

5-1 parade to masquerade


 箱庭が終わった日。その日のことは私もよく覚えていた。そう簡単に忘れられる日ではない。




 それは上座市で、最初の光災の発生した日とリンクしていた。




 美しく立ち上る、輝く粒子の支柱。あれが世界を支える柱だと言われたなら疑いなく信じてしまいそうな、天をも貫く荘厳な光の渦だった。あの日上座市を襲った光災で世界は、少なくとも私の周囲の環境は抗いようもなく急変した。



 彼女の世界も。



 彼女は私と違い、この都市の地下にいた。ある1人の夢想家が造り上げた仮初の楽園に。その楽園はその日、その時に終わりを迎えたと彼女は言った。



 その時のことを彼女に聞いたことがある。


 しかしその時の記憶は断片でしかないらしい。





 突然の生命の危機。襲い来る兵士が放つ銃弾。

 刹那の瞬間にカノンの持てる力(インカーネイト)が発現した。一緒にいたアカネも、まだ目を覚ましたばかりで傷が癒えたばかりのユカも同じだった。


 殺されないために、“無意識”が勝手に体を動かしたと、カノンはそう表現した。恐怖に押しつぶされぬようその身を鋼鉄に変え、心さえも分厚い鋼に覆われたようだったと。そして幸か不幸か、彼女にはそれを文字通りに実行するだけの、意思の力があった。



 血が舞う。

 自分のものではなく、顔も分からない兵士達の血が。



 カノンは自分達がどれだけ人間離れした怪物かということを、その時嫌というほど知ったという。彼女達は容易く銃弾の雨を弾き、掻い潜り、圧倒的に数で勝る完全武装の兵士達を相手に1歩も譲らず、逆に彼らを薙ぎ払う事ができた。


 当時、まだわずか11年の人生。

 その中のほんの数分で、カノンは自分の生きた年数を遥かに越える命を消した。


 なのに、まるで意思を放棄したように殺しても殺しても陣形を崩さぬ兵士達。その戦場の遠くに校長(ウォーデン)四条巽(シジョウ・タツミ)の険しい顔が見えたのを彼女は覚えていた。


 隣にいたミツルに急かされて、彼は背を向ける。四条は箱庭を去るその時、最後になにかを呟いていたようだが彼女には聞こえもしなかった。それだけ遠く離れていた。


 その間にも兵士とカノン達の攻防は続いていた。カノンは囲まれぬよう必死で動き回り、敵を殺し続けた。その時の自分のことを、敵を殺すだけの本当の機械(マシン)になった気分だったと、カノンは自嘲するように答えてくれた。



「ここは不利だ!突破して外に出よう!他のみんなと合流するんだ、急いで!」

 アカネの声に反応し、3人はだだっ広い寝室の出口へと駆けた。その進行を阻む者の血にまみれながら。


 強引に突破した3人は、社交室のエントランスへと戦場を移した。そこには死んだ仲間と、まだ生きて戦っている仲間の姿。そしてそれを上回る兵士の死体と群集。カノンらの乱入に振り返った仲間、そんな余裕もない仲間に向け、アカネは大声で叫んだ。


「出口へ向かえ!自分の事以外考えなくていい、1人でも多く生き残れ!」

 その両腕で兵士の胸を貫きながらの咆哮。その兵士らを盾にしながら、アカネは常人には捉えるのも不可能な速度で縦横無尽に動き続けていた。その顔は疲労と息切れで凄絶なものとなっている。きっと自分もそうだろう。とうに限界を超え、死に抗う意思だけで動き続けている。電流を過剰に放出し続けているユカはもうギリギリ立っているような有様だった。


 初めて見る、開きっぱなしの箱庭の出入り口。四条が立ち去ったまま閉じられていない。


 今なら出られる。


 なのに、そのドアが遠い。あまりに遠すぎた。


 ユカが膝をついた。その眼の焦点が飛んでいる。


 アカネは自分で出口を目指せと言っておきながら、まるで囮になるように反対のほうへと動いている。


 仲間の誰かの頭が赤く爆ぜた。


 また1人、胸を真紅に染めてその場に倒れた。


 “限界。ここで終わり”。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


 躱し損ねた弾丸がカノンの肩を抉る。


 アカネが足首から血を拭きながら派手に転ぶのが視界の端に写る。


 仰向けに倒れゆくユカに、銃口がいくつも狙いを定めるのが感覚で伝わる。




 カノンは声にならない絶叫を上げた。




 怒りか憎悪か。

 絶望と虚無感の織り交ぜられた独唱の協奏曲(ソロ・オーケストラ)とともに、彼女の記憶はそこで途絶えていた。





 そして、光の到来。

 

 




 一瞬にして空間を埋め尽くし、世界を白く塗り替えた光にカノンも呑まれた。頭の中まで白一色に覆われて、そこから先は抽象的な“輝く海”のことしか思い出せない。



 全ての意思と、全ての意味を内包したような光の海原。



 そこで何か全能感のようなものを得た気がするが、今ではその感覚の中身は空っぽなのだそうだ。光災の外側にいた私にはその感覚すら知る由もない。







 そこから浮かび上がるように目を覚ました時には、カノンは再び白いベッドの上だった。

 横には箱庭の寝室と同じように、ずらりと並ぶベッドの列。


 一瞬全て夢だったのでは、と錯覚した。しかしその脇には、眠る者達を心配する家族がいた。そしてカノンのすぐ近くにも、後に母親となる女性の心配そうな顔。後ろでは看護師が安心したように微笑んでいるのが見えた。



 箱庭ではない。ごく普通の病院。



 一体なにがどうなったのか。


 カノン…宮崎花菜(ミヤザキ・カナ)はなにひとつ分からぬまま、いつの間にか地下の箱庭を抜け出して、3年ぶりの地上へと帰還していた。




 私がその事を聞いたのはその日からずっと後のことである。彼女と私が知り合うのは、上座市がその完成モデルを顕した直後だった。



 そう。すべて後戻りができなくなったあとのこと。



 のちに私達が“世界の途絶”(シャットダウン)と呼ぶ事件。その一連の出来事(シークエンス)に一応の結末(ピリオド)が打たれた後のことだった。






ー1ー







 遥か昔に感じる記憶を思い出しながら、宮崎花菜は上座文化会館の屋上で目を瞑り、膝を抱えていた。


 どうやら四条巽(シジョウ・タツミ)はまだ来ていないらしい。端末の時刻を見ると16時を過ぎていた。会議があるのは18時。だとするとあと1時間はこのまま。そう考え花菜は再び目を閉じた。



 反芻。



 その先の思い出は花菜にとって望んでいた暮らしだったといえる。光災によって子を失った女性に助けられ、そのままその家の養子に迎えられた花菜は、しばらくごく普通の生活を送った。それが花菜にとってどれだけ望外の喜びだったかは、きっと誰にも分からないだろう。

 花菜は良い娘であろうと努めた。母も新たな子を本当の娘のように扱ってくれた。上座神遙学園カミザシンヨウガクエンの中等部に入学するまでの3年間、本当にごく普通の少女としての暮らしを花菜は過ごすことができた。

 戸籍上でも、花菜は正式に宮崎家の長女として登録されている。光災の混乱が花菜に、そして母にも幸いしたのだ。市役所に保存されていたデータが全て喪失(フラッシュアウト)した為に、市民は戸籍情報の再提出を求められた。


 母は、花菜を自分の娘として申請した。光災で亡くした本当の娘の代わりに。


 名前や年齢を間違ったのは一概に母だけのせいとは言えない。当時まだベッドの上だった花菜の声はとても聞き取りにくかっただろうと容易に想像できるからだ。

 光の海での体験だけではない。初めて人を殺め、自身の死という恐怖を間近に知ったばかりの花菜の精神は、ぼろぼろに擦り切れた状態から回復するのにかなりの時間を必要としていた。




「わたし、卑怯だったかな…?」

 誰にともなく呟いてみる。当然答えなどない。それでも花菜は言葉を続けた。

「でも楽しかったな。母さんがいて、学校に通って…そりゃ“被災地”だから色々大変だったけど、わたしは本当の空の下にいた。ただの通学路でもうれしくてたまらないくらい…でも、それもいつか終わるってことは、なんとなく知ってた気がする…」



 中等部に入学してしばらくたったある日、楯無茜(タテナシ・アカネ)が校門の前に立っていた。

 顔を見た瞬間、箱庭の記憶と複雑な感情が絡まった郷愁が甦り、そして“ああ、やっぱり”と思ったことを覚えている。

 このまま放っておいてくれるわけがない、きっといつか過去の誰かがやって来るという予感は花菜の中に常にあった。思い出さないようにしていても、箱庭の記憶はいつでも花菜の根幹にあった。


『大きくなったね、カノン。いや、今は宮崎花菜か』

 カノンでいいと花菜は答えた。アカネも成長していた。昔のような幼さは影を潜め、今では年相応の青年に見えたが、前髪で目元が見えないのは相変わらずだった。

『僕は楯無。楯無茜になったよ。君と違って勝手に頂いた苗字だけどね。持ち主は光災の日に亡くなっている…どう、本当の学校に行ってみた感想は。勉強は難しい?』

 それは愚問だと言い、お互いに少し笑った。箱庭で学んだ知識は高等レベルの学習すら軽く超えていたので、花菜が勉強で困ることはなかった。楯無もそんなことは分かっているだろう。なにか別に話したいことがあるのだと気づき、花菜は自分から聞いてみた。楯無は非常に言いにくそうにかなりの間をおいて、ようやく本題を口にした。

 

『ほんとは君には声を掛けるつもりじゃ無かった…でも、もしかすると時間がないかもしれない。君に頼むのがおそらく一番早い手段なんだ。一度でいい、僕達に…“寓話の住人”(フォークロア)に力を貸してほしい』


 ここで嫌だと答えていれば花菜のその後は大きく変わっていただろう。だがその選択で花菜が後悔したことはない。それだけははっきりと断言できる。


『君と同じクラスに顕現能力者(インカーネイター)がいる。その子の能力がどんなものか探ってほしい』



 “無色の精神”(イノセンス)との邂逅。



 花菜の数奇な人生で、ただひとつ見つけた“大切なもの”。



 “決して穢してはならない精神”の持ち主。



 花菜が背原真綾と関わるのは、楯無のそんな頼みがきっかけだった。







ー2ー






「はじめて話した時は、はっきりした子だなって思いました」



 真綾は楯無茜、千笠愉迦(チカサ・ユカ)の2人に、花菜と出会った時の感想を告げた。

「最初は…寮で一緒になった時。花菜はどっちの部屋をどっちが使うかとか、家事の分担なんかをどんどんひとりで手早く決めて…わたしは頷いていただけ。それで全部決め終わったあとで花菜は、一番肝心なことを忘れてたって言いながら名前を教えてくれました。花菜は恥ずかしそうに笑ってた」

「はは。カノン…いや、花菜らしい」

 そう言って楯無は微笑んだ。

「たぶん緊張してたんだね。頼んではみたものの、人を探るなんてあの子には向いてないから」

「嘘と隠し事が大っ嫌いだったもんねー」

 先頭を歩く愉迦は、肩に“光る猫”を乗せている。だいぶ大きいが質量はなさそうだ。フォークロアと真綾、儀依航(ヨシイ・ワタル)、そして刑事早鷹(ハヤタカ)の一行は、真っ暗な階段を猫の明かりを頼りに登っている状態だった。

 その時の光景を、真綾も思い出して微笑んでいた。その時の花菜の堅苦しい態度は、初対面にしてもやはり過剰だったと思う。まさかその理由が自分のことを探る為などとは思いもしなかったが。


「君にも悪いことをしたね。こそこそと探りを入れるような真似をして…でも、君の能力が僕の予想通りであれば、放っておけないと思った」

 楯無は申し訳なさそうに弁解する。

「その、能力なんですけど…わたしはついさっきまでそんなものが自分にあるなんて知りもしませんでした。なんで楯無さん達が気付いたのかが不思議です」

「だろうね。きっと君のインカ―ネイトは、知らないうちに発現していたんだ。それは間違いない。そうでなければ僕らの“検索”(サーチング)にヒットするはずが無いから」

「“検索”だと?おい、それは顕現能力ってやつを見つけ出す方法があるってことか?」

 少し距離を置いていた早鷹の質問。それまで彼なりに遠慮していたのだろう。

「そうです。顕現能力は発現の際、電子に似た不定粒子を発する。それを感知するセンサの役割を果たすシステムが存在する」

「矛盾しているな。不定のものをどうやって特定する」

「それがルミナスの役目です。僕らはそれをハックして情報を盗んでいる」

「都市のメインサーバだと?一体なんの関係がある」

 眉をひそめる早鷹に千笠が指を立てて答えた。


「それがルミナスがこの都市に存在する意味。あれの収集してる“記録”(ログ)は、あたし達みたいな“不確定要素”を炙り出すことこそが目的なの」


「なに?」

 早鷹は呆れたように絶句した。

「…なんか話、でっかくなりすぎてないか…?」

 儀依が早鷹の内心を代弁するように遠慮気味に発言する。

「うん。でっかい話なんだよ…当事者としては困ったもんだ。ただ刑事さんの言うように、僕らみたいな曖昧な異分子を特定するのはルミナスでも容易じゃない」

 光る猫が電源が落ちたように突然消えた。しかし周囲は暗闇にはならない。気がつけば両側の壁で、来た時にもあったルミナスラインが光っている。それはこの地下通路の出口が近い証拠だ。


「都市にある無数のモニタから、ルミナスはリアルタイムでログを受け取っています。その時同時にデータ解析を行い、不定形(プロテウス)電子のデータと照合を行っているんです。そうやってインカーネイターの可能性のある人物をランダムに“検索”してるんです。でも名前の通り不定形なんで、そもそも照合するデータ自体が確定されていない。だから否応なくその照合精度にも誤差が生じる。無関係なものがヒットすることもあるし、そもそもまったく前例のない不定形電子を持つ者は探せない。正直穴の空いたバケツくらい取りこぼしが多い方法だと思う」

 楯無の説明を千笠が引き継ぐ。

「でもそのおかげでフォークロアが手を出す隙があんでしょ。茜達はルミナスの取り捨てたギリギリのラインを狙って接触するの。もしかしたら、顕現能力者“かもしれない”可能性のある人ってことね。そうやって管理者達より先に、1人でも多くの能力者を、ばれないように仲間にしようってのが茜の考えた防衛方法なの。みんなでいれば怖くないって集団心理だね」

「はあ」儀依は分かっているのかいないのか微妙な顔をしている。正直もう頭が追いついていない様子だ。

「管理者からの防衛、いや、自衛のために、か…」

 そう口にして、早鷹は自身の思考の中に潜っていった。一応同じ公権力の立場から思うことでもあるのだろう。儀依は途方もない話の大きさについていけていない。


 やがて扉が目の前に現れる。重々しい管理扉の前で、真綾はいまだ解消されない疑問を聞いてみた。

「…それで結局花菜は、わたしの能力を探って、楯無さん達に報告したってことですよね?」

「うん。間違いだってね」

「間違い?」意外な言葉に真綾は驚いた。

「さっきも言ったようにルミナスのサーチも精度がそう高いわけじゃない。だからその可能性も当然あった…でも君に関しては、花菜は僕らに嘘をついた」

「…どういうことですか?」

 千笠がふてくされた顔で舌打ちする。

「あたしは“潜入”が役目だったからさ。茜達フォークロアの仲間集めにはあんまり関わってなかった。茜の顔見たのだって1年ぶりくらいだし」

 ばつが悪そうに扉を殴る。

「でも花菜とはこっそり連絡し合ってたんだよ?ちゃんとマーちゃんのことも聞いてた。世界で一番のインカーネイターに出会えたって…だからあたしがもっとちゃんと調べとけば、もっと早くマーちゃんのことに気がつけたはずだったんだよね。あんな妙な出会い方じゃなくってさ」

 楯無は首を振りながら否定する。

「それは違う。きっと花菜は僕らと君が関わるのを望んでいなかった。いや、もっと言えば管理者やユピテルとも。さらに言えば花菜は、君を誰にも関わらせたくなかったはずだ。それは花菜が君の事を本当に大事に思っていた証拠で、同時に…残念ながら僕の予想が当たっていたことを示唆している」



 楯無はそう言って扉のドアを開けた。

「ここからだとカルチャーホールは目の前だ。近くに僕らの店がある。そこでなにが起きるかを見届けよう。その前に、君にはちゃんと説明するよ。なぜ君のインカ―ネイトを彼から…四条巽から隠さなければならなかったのかを」


 夕闇に彩られた外界が真綾の目を染める。それは真綾自身にも理由が分からなかったが、なぜかひどく自分の寂寥感を顕わしているように思えてならなかった。








ー3ー







 遊南区、かつては騒音で近隣からの苦情が絶えなかった新規開発区画は静寂に満ちていた。広大な更地と化した区画には、中途半端に放置された歪な建造物群がいまだにそのまま残っている。 それらに目もくれず、今やスローターズの最後の1人となったカマキリは目的の場所へと足を進めている。カマキリは建造物と同じく放置された建築用倉庫の間にいた。


「まったく、くそったれな終いだぜこのザマぁ…」

 思わず愚痴がこぼれる。似たような悪趣味を持つ者達の集まりだったスローターズは、カマキリにとっても居心地がよかった。そのせいで少し見切りを誤ったのかもしれない。たしかにいい思いもたっぷりさせてもらったが、その分危険なことにもたくさん巻き込まれた。

 カマキリは倉庫の間を抜けて、目的の場所へと辿り着いた。建築用のものより遥かに小さい貸し倉庫の一つ、彼の勝手に拝借している“武器庫”である。

「やっぱ切宮の野郎が絡んできた時に手を引くべきだったぜ。管理者なんて堅苦しい奴らの下につくなんてよ。柄じゃねえっての…」

 “死眼”(デッドアイ)に殴られた鼻を慎重に撫でながら倉庫の鍵を開ける。血は止まったが鈍い痛みは引かない。おそらく折れているのは間違いないだろう。

「ちっ…まあせいぜい化物同士で殺し合ってやがれ」

 カマキリはなおも独白を続けながら、壁に掛けられた刀剣類を無造作にジャケットの下に突っ込んでいった。彼の愛する嗜好品であり仕事道具でもある、無数の刃のコレクションはこの倉庫の壁にぎっしりと飾られている。これらを捨てるのは惜しいが全ては持って行けない。カマキリはそのかわりに、おそらく今後それらよりも必要となるはずのものをその手に持った。中身を確認し、それがぎっしりと詰まっているのを見て、カマキリはようやく安心した。

 壁にもたれ、煙草に火を点ける。そしてQPDA端末を操作し耳に当てた。後は手遅れになる前にこの街から抜け出すだけだ。街から出られなくしたのは管理者だが、幸いカマキリにはその管理者側に通じている切宮がいる。彼に頼めばなんとかしてくれるはずだ。


 カマキリの耳に発信音が鳴り続ける。



 そしてもう片方の耳は、時を同じくして鳴リ始めたコールの音を聞いていた。


「…あん?」

 少し遠くから聞こえる音に、訝しみながらカマキリは武器庫を出た。音は工業用の倉庫群から聞こえる。そしてその内のひとつの扉が半開きになっているのに気づく。


 そこはカマキリの“廃棄物処理場”だ。


 カマキリが煙草を捨てる。ジャケットの下からお気に入りのナイフを抜く。それから端末の呼び出しを止めた。ほぼ同時に鳴っていたコール音も止まった。


「…切宮さんか…?」

 近づきながら呼んでみる。しかし、だとしてもなぜ切宮がここにいるのか。


「入って来いよ、カマキリ」


 軽薄な、それでいて楽しそうな声が倉庫の中から響いた。カマキリはその声になぜか背筋が冷えたが、言われたとおり倉庫の中に入った。



「これが俺達の趣味の残骸ってわけか。なかなか見応えのある“オブジェ”じゃないか?」



 そこに切宮一狼(キリミヤ・イチロウ)はいた。

 電気の通う低い音が響く。温度が氷点下に保たれた庫内は寒かった。にもかかわらず切宮は、微動だにせず部屋中に敷きつめられた“廃棄物”に魅入っていた。

「…オブジェ?なんのこった、そんなことよりなんでアンタがここにいんだよ」

 それらはカマキリにとってあくまでも廃棄物だ。楽しみの後に残った面倒な抹消すべきものでしかない。ここ最近はドラッグ(ザイオン)の販売や切宮の下請けが増加して、いつの間にかこんなに溜まってしまっただけだ。

「分からないか?こりゃあ立派なジャンクアートだと俺は思うがね。嗜好が透けて見える。今まで死後のもんに興味なんざなかったが、こいつは面白い。屍体ってのは殺った奴によってこんなに違うもんなんだな」

 そこにはスローターズの面々が壊した“残骸”が無数に積み上げられていた。切宮、狗井、カマキリ、バルーンの殺害した何十もの屍体が零度以下で保存され、全てここに集められている。老若男女、五体の有り無しも様々な、ありとあらゆる死の標本がこの倉庫に集められているような惨状だった。無数の眼に揺蕩(たゆた)う虚ろが、雄弁な無言で2人を見つめ返している。

「質問に答えろよ。なんでアンタ…」

「実はお前に最後の頼みがあってな」切宮がカマキリの言葉を遮って言った。

「そんでわざわざこんな都市の端っこまで来たんだが…いやあ、こりゃ正解だった。こんなもんが拝めるとは…」

「頼みだと?切宮さんよ、悪いが俺はもう」

「ああ大丈夫、お前はなにもしなくていい。ただそこにいてくれればいいんだ」


 太いゴムをねじ切ったような低い音が響く。


 切宮が言い終わったその瞬間、不可視の何かがカマキリの左腕を噛み切っていた。二の腕から先は一欠片の跡も残さずにこの世界から消えたが、その手にあったバッグはそのまま宙に放り出される。カマキリがそれに気づいたのは、腕を無くしてから数秒の後だった。


「…は…あァ?…ぁあああああ!?」


 驚愕に見開かれるカマキリの目。その様を見て切宮は頭を掻いた。

「っちゃあ、やっぱり無くなっちまった。俺の能力じゃ難しいんだよな、五体を残すってのは…」


 バッグの中身が舞い散る。この街ではほとんど使われることの無い紙幣が倉庫の中にばら蒔かれる。

「へぇ、随分溜め込んでたんだな」口笛を吹いて切宮が言う。

「なっ、なんの…なんのつもりだ…!こ、こ、こ…!」

「そうそう、説明しとかないとな。俺達を狙ってたっていうギャング狩りの“切り裂き魔”(リッパー)は知ってるよな?」

 カマキリは切宮の声を聞くともなく聞きながら刃を抜いた。無くなった腕から流れる血は、今頃思い出したように吹き出て、すぐに凍結して止まった。

「そいつの価値が劇的に変わってな。そんなママゴトみたいな軽微な罪で犯罪者にする訳にはいかなくなった。それで念のため身代わり(スケープゴート)を用意しとこうってことになった」

「あっ、あっ、いだ、いだだ!痛え!痛えええ!」

 時間差で襲ってきた喪失の痛みのおかげで、カマキリには切宮の声など届いていない。むしろ届いていないのが幸いではある。自分が誰かの身代わりに殺されることなど、カマキリにはおよそ受け入れられることではなかった。

「あ…そういや俺、お前のホントの名前も知らねえや。それもなんか悪いからさあ、最後に名前くらい教えてくれよ」

「ぐぉおお!てめぇええあ!」

 自己防衛本能によってカマキリは切宮へと突撃した。錯乱したままの猛進。あるいは盲進。右手に持った大振りのナイフを切宮へと突き出す。


 その刃は相手に届かぬまま、何処かへ消え去った。


「まあいいや。どうせ警察がお前の名も特定してくれるだろうし。いや、お前が後始末をしてなくてよかったよ。このオブジェなら証拠としちゃあ充分だからな」

 そう言って切宮は舌なめずりをした。その手には、今までカマキリの手にあったはずの大振りのナイフが握られていた。


「じゃあなカマキリ。いや、切り裂き魔(ロバー・ザ・リッパー)さん。お前の名前は伝説的に語り継がれることだろうよ。虐殺の記録を更新した殺人鬼として、な」


 カマキリの胸にお気に入りのナイフが柄までねじこまれた。その脳裏にはもはやなにも浮かばず、形にならない“失敗”、“手遅れ”の想念のみが胸中で繰り返し浮かんでは消えた。







ー4ー







 軍事車輛がスペースを埋め尽くしたカルチャーホールの駐車場に、武骨なそれらとは正反対の車が入る。


 洗練されたデザインの高級車。見た目の優雅さは別格だが、列をなして続々と入場してくる様は同じく見る者を威圧した。まさに隊列といった感じだった。

 その隊列がふたつ、お互い鏡合わせのように向かい合って停車していく。停車した車から次々と降りてくる者は、どちらもいかにもといった強面のスーツ姿で、ちょうど隊列の中央に位置していた車の前にそれぞれが集まる。


 スーツ達に守られるように蔵城義弘(クラジョウ・ヨシヒロ)が下車する。

「大層な出迎えだな。まさかケルビムの部隊までいるとは」

 向かい合った車からは呉羽良造(クレバ・リョウゾウ)とその息子2人。呉羽のほうが少しだけ列が長かった。


 蔵人(クランド)コープの重役と護衛らに囲まれて、蔵城は久しぶりに見る呉羽の大老に微笑と一礼を送る。自分の父と文字通り鎬を削りあった起業家にして、裏社会の重鎮。息子達のほうはこちらを見もしなかったが、呉羽良造は蔵城に頷いて応じた。

「若。呉羽に頭を下げるなど…」重役の1人が言う。周囲の取り巻きは今にも噛みつかんばかりの顔で睨み合っている。長年互いの商売を邪魔しあい、奪い合った因縁は自分よりも部下のほうに染みついているようだ。

「この世界の先達へ敬意を表しただけだ。それに今日はその呉羽と仲直りをしに来たんじゃなかったか?」

「そりゃあそうですが…」

「しかし向こうもそう考えてるとはかぎりませんよ。あの護衛の数…もしかしたら護衛ではなく襲撃要員では?」

 秘書の都丸文(トマル・フミ)がそう言った。女には珍しい短髪で、切れ長の目が特徴的な蔵人の古参である。

「呉羽からしたらこっちもそう見えるだろう。お互い様だ」


「お待ちしていました」

 ホールの制服の男が蔵城と呉羽親子それぞれを出迎える。

「まだ会議の時間まで間があります。その際は両グループに部屋をご用意しておりますので、そちらへご案内するよう四条様より仰せつかっております。こちらへ」

 男は表情を表さないまま言う。その振る舞いは背景の兵士達の沈黙に馴染んでいると蔵城は感じる。

「…若。あの職員、もしかして…」

「あいつだけじゃないだろう。たぶんここにいる職員はみんなケルビムだ。さながら要塞だな」

 小声で囁く都丸にそう返す。呉羽だけではなく、管理者側の思惑もはっきりとは分からないままである。都丸の警戒心が強くなるのが伝わる。

「市長はまだ来られてないのですか?」

 都丸が前を行く、職員の恰好をした兵士に聞いた。

「いいえ。すでにお越しになられています。会議の始まる前にメディアの取材を受けられるそうです」

「そうですか…」

 都丸と蔵城は目を見合わせて頷きあう。


(あとは直陰達がどれだけやれるかだな。管理者どもの本当の狙い…それだけでも分かれば動きようはある)


「頼むぞ」

 蔵城はスーツの襟を飾る、カフスを模したマイクに呟いた。耳に付けたクリア素材のイヤホンからタチバナの返答。


『これから2人が四条と会う。何が起こっても対応できるようにしておけ』







ー5ー







「この部屋です。対談の時間は…」

 案内の男がそう言った瞬間、言葉が終わるのを待たずにアオイは男の首に腕を回した。振り向く間もなく締め上げられ、男は数秒で意識を失う。

 あっという間の早業に、有家は馬鹿みたいに口を開けてただ見ているしかなかった。アオイの動きは素人のそれではなかった。こういう荒事に慣れた“プロ”の所作。ただ、まだ20歳そこそこの年齢にそれが見合わない。



「マコト…」

「うん。僕らを待ってるね」

 さっきまでの好青年の印象が吹き飛ぶほどの冷酷なアオイの顔。言いながら長髪をもぎ取ったマコトの地毛は耳を覆ったショートヘアだった。有家からするとそれでもマコトは十分少女に見える。とても同性とは思えない。


 そんな感想が吹き飛ぶほど、2人の空気が明らかに変わった。


『お見通しか。切宮の名で誘ったのは向こうだから当然だな。ひょっとすると普通に正面から入っても問題なかったかもな。一旦退くか?』


「当然そんなつもりは…」

「ないよ」マコトの即断。


『じゃあ行って来い』


 マコトが自分の背の倍はあるであろう扉に思い切り右足を放った。


 なぜかまばゆいばかりの閃光が迸る。雷のような破砕音とともに扉が内側に蹴飛ばされるのを、有家は目を細めて見ていた。



 その扉が、空間の途中でいきなり“黒に呑まれて”消えた。



「へ…?」

 有家の間の抜けた声。アオイが先行して室内へと入った。


 応接室といった感じの狭い部屋。黒いテーブルを中心に向かい合ったソファ、控えの部屋と同じく白を基調とした簡素な部屋。その他に存在するのは名前のわからない観葉植物と、部屋の中央に立つ1人の男だけ。


 こちらに背中を向けている。アオイは室内に飛び込んだその勢いのまま男に肉薄した。


 アオイの眼前に突如として闇が湧く。それは一瞬で形を為し、1人の男の姿をとる。そしてあと一歩で目標を捉えるアオイの腕を寸前でつかんだ。闇が形作ったその顔をアオイははっきり覚えていた。

「よう…九龍隼人(クリュウ・ハヤト)…」

「出ると思った、という顔だな」

 サングラス越しに透けて見える九龍の眼が、嬉しそうに歪んでいた。


 その脇をマコトがすり抜ける。加速機構(アクセラレータ)の粒子を撒き散らしながら、コンマ数秒で背中を向けた男に迫る。


 隙だらけの背中に罠の可能性を感じ、マコトはあえて男の正面に回り込む。


 そしてお互いに顔を見合った。


「ようやく会えたな…心象回路(サイコ・サーキット)の少年」


 その男もやはり笑みを浮かべていた。穏やかでありながら、有無を言わせぬ自信に満ちた不敵な顔。その顔を見てマコトは気付いた。わざと隙を作り、自分が男の正面に回るよう誘導されたことを。


 傲岸不遜。そんな言葉がぴったり似合うとマコトは思う。男は堂々とした足取りでゆっくりと動き、ソファに座った。アオイの手を離した九龍が、静かにその後ろに侍る。


「君らも掛けたまえ、我々は敵対する者同士ではない」

 足を組み、腕をレストに載せる。顔には人を食ったような笑みが張り付いたままだ。男はこっちの小細工を見抜いていることを示した上で話をしようと持ちかけていた。


 今の一瞬の攻防は、それをこちらに理解させるためのパフォーマンス。


 男の硬質な笑顔が雄弁にそう言っている。アオイもマコトも、相手の落ち着いた対応に次の行動を決めかねていた。


「橘君も聞いているな?2人に指示を伝えるといい。ここは相手の要望に従うふりをしろ、とでも」

 九龍の言葉にアオイが目を大きくして驚く。今まさにその通りの事をタチバナが2人に伝えたところだったからだ。


『…胸糞わりぃ。完全に子供扱いじゃねえかよ』

 文化会館の外でやり取りを聞いているイオリがぼやいた。少し間をおいてタチバナから『指示は変わらない。話をしろ』との言葉が届く。


 子供と大人。イオリの言うとおり、駆け引きにそれだけの差があった。


「申し遅れたが、上座市長を務める四条巽(シジョウ・タツミ)だ。。予定通り取材を受けよう。君らの知りたいことにはなんでも応えると約束する」



 その光景を第三者の立ち位置で見ていた有家は、一歩も動くこともできず、ただそこにいただけだった。その胸の内には、この後に待ち受ける未曽有の出来事に対する、奇妙な予感だけがざわついていた。






 






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