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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
4章 〜流滞/ロンド〜
17/24

4-4 clockworks rondo

 

 額の傷を指でなぞる。


 刻まれた十字の傷は、他の傷と違い塞がることは無かった。刻んだ男の執念の賜物だろうか、いまだ熱を帯びて燻っているようにさえ感じる。


 それでいい、と思う。


 自分が無事だと知った時、あいつがどう思うか想像する。きっと大いにプライドが傷つくはずだ。不機嫌に歪む男の顔を思い浮かべ、ざまあみろと1人微笑む。

 それで向こうがもう一度自分の前に現れれば好都合。相手のトレードマークを、今度は自分のものとして利用してやる。


 宮崎花菜(ミヤザキ・カナ)は移された一般病棟で、静かにベッドから起き上がった。医師達が目を白黒させていたのが思い出される。それもそのはずで、花菜の回復は医学的な見地からすれば異常としか言いようがない。


 その異常の根源たる黒い欠損(ダーク・マター)

 花菜の知る限り最も万能で、そして最も寂しい顕現能力(インカーネイト)

 その遣い手を花菜は知っている。その能力である“補填”が自分の命、そして精神を繋いでくれたことも。



 机に伏して眠る母親の顔を見る。よほど疲れがたまっていたのか、突然回復した娘の姿に狂喜した後、母は糸が切れたように眠ってしまった。

 血の繋がりなどない。身元も分からない自分を引き取り、ここまで育ててくれた義理の母親。進学して寮に入ったので、死にかける前はほとんど会っていなかった。

 その時の面影からは大分やつれている。それでも母が精一杯の愛情を注いでくれていたのは身に染みていた。まるで本当の娘のように扱ってくれたことも理解している。


 感謝の気持ちしかない。


 花菜は母に深々と頭を下げて、しばらくの間そのままでいた。あらゆる感謝と謝罪の言葉が頭の中に浮かんだが、結局声にすることは無かった。どれだけ言葉を重ねようが、この気持ちを伝えきる自信がなかった。花菜はせめて母を起こさぬように、静かに扉を開けて病室を抜け出した。



 そして二度と、母の元に戻ることはなかった。


 






ー1.pastー 







 彼女の話をしよう。


 会ったばかりの楯無茜(タテナシ・アカネ)は、そう前置きして真綾の向かいに座った。真綾達は時速60kmほどの速度で走る廃棄されたはずの地下鉄で移動中である。

 その列車の第三車両に2人はいた。そこは各種の機器を設置された他の車輌と違い、座席がそのままの普通の車輌に見えた。

「ここは休憩所(レストルーム)として使ってる。どうぞくつろいで。おそらく目的地まで10分と掛からないから、話は駆け足になるけどいいかな?」

 真綾は黙って頷いた。

「少しでもいいんです。知っておきたい…わたしと会う前の花菜のこと。教えてください」

「うん。まずは出会った頃から話そうか」

 そう言って楯無は宙に目をやり言葉を紡ぎだした。そうやってできるだけ正確に、記憶を言葉に変換しようとしていた。




 8年前。

 楯無と宮崎花菜はWise.opt(ワイズオプト)という第三者機関の黒い建造物、その地下で出会った。

 今思うとその場所は楽園でも目指していたのではないかと想像する。地下と言っても天井は高く、まるで屋外のように空が広がっていた。天井と外壁一面に映し出された、自然を模した立体スクリーンの演出。それが全体で1kmほどの空間に広がり、地上の雑踏より、ずっと神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「アカネ君?」

 楯無は自分達の教師を務める女に呼ばれ振り返る。名前は知らない。だからみんな単に教師(ティーチャ)とだけ呼んでいた。

 この当時、楯無茜もただのアカネだった。名字はない。この地下に住む者達は全員が単一の固有名詞しか持っていなかった。

「また新しい子が来たの。悪いけど頼める?」

 茜は頷いて、彼女の連れている2人の少女を見た。

 2人とも泣いている。ここに来る子供らはみんなそうだ。記憶の混濁と意識の抑圧で自分が誰かすら判然としない。地下に来る前に受ける薬物投与の影響だった。それが彼らの定める入所手続きであることを、アカネは何度も同胞を迎え入れる過程で知った。生来備わっていたアカネの能力は彼らの制御に有用で、こうして教師の仕事をよく手伝うことがあった。そのおかげでアカネは、彼らの仕事をよく見る機会が多かった。


 まだ10歳かそこらだろうと思える2人の少女に泣き止む様子はない。アカネは2人を促して芝生の上に座らせた。ここの地面は一面人工の緑で埋められている。閉塞感によるストレスはほとんどない。細部まで拘られた箱庭の中で、アカネも泣き続ける2人の前に座り、両手を2人の頭に乗せた。


 アカネの能力の顕現(インカーネイト)


 触れた手が一瞬で2人の身体内部を解析(スキャン)し、体内に流れる血流、細胞の動き、神経の作用を把握する。その中から脳に恐怖を与える作用を見つけ出し、それを中和する信号(シグナル)を掌から送った。2人の身体がその信号に従い、体内で恐怖を麻痺させる分泌物を生み出す。その効果は劇的に少女らに変化をもたらし、ほどなく2人の涙が止まった。

「…あれ、わたし…お兄さん、誰…?」

 ぼんやりした顔の少女の質問。アカネは微笑んで答える。

「まだ何も考えないほうがいい。“引越し”てすぐで疲れてるんだよ、今日はゆっくりおやすみ」

 少女達の恐怖が消えたのを確認すると、アカネは新たなシグナルを送った。途端に少女らの瞼が重くなり、催眠術でも掛けられたように脱力した。アカネは2人が頭を打たないよう支えながら芝生の上に寝かせた。


「さすが“化学の詩人”ね。カテゴリDの中では貴方が一番優秀だわ。それに汎用性が飛び抜けてる」

「ありがとう先生、役に立てて嬉しい。彼女達は僕らの家に運んでおくね」

「あら、助かるわ。だけど夜の授業には遅刻しないで」

 教師は悪戯っぽくそう言うと出てきたドアに消えていった。アカネは地面に眠る少女を抱き上げ、教師の消えたドアと反対の方向の建物に入る。一度に2人を抱えることはアカネには無理なので、髪の長い少女を最初に運んだ。


 虚構の空を突き抜けてそびえ立つ、白く太い柱がアカネ達の家だった。実際は住居と研究施設(ラボ)、そして補強の為に天井と一体化された複合ビルで、3階建ての最上階付近は偽物の雲で覆われている。その為アカネは、この建物を見上げる度に、どこまでも高く伸びているような錯覚を覚えていた。


「…ここがわたしの牢屋?」

「え?」


 抱えていた少女が言った。てっきり眠ったものだと思っていたが、彼女は睡魔に抗っていた。

「わたしが普通じゃないから…気持ち悪い“化物”だから、ここに閉じ込めるんでしょ…?」

「違うよ。ここは“学校”だ。僕らのような特別な力を授かった人が、その力の使い方を学ぶ場所」

「嘘」

「嘘じゃないよ、実際…」


「自由になれるって、本当に思ってる…?」


 少女の瞳がアカネを捉える。とても少女のものとは思えないまっすぐな力強さに、アカネは咄嗟に言葉を返せなかった。答えを探すわずかな間に少女は目を閉じ、そのまま気絶するように眠った。


 賢い子だ、痛いところを突かれた。アカネは彼女をベッドに寝かせ、乱れた髪を整えてやりながらそう思った。


「…まあ、少なくとも“化物”と呼ばれることはないよ。ここではね…」

 そう呟いたのは彼女への言い訳か、それとも自分への言い訳かアカネには分からなかった。外の記憶がない自分に、そもそも答えられるものでもなかった。



 それがカノン…後に宮崎花菜と名乗ることになる少女と、楯無茜の最初の出会いだった。







ー2.presentー







 病室の荷物の中にあった上座神遙学園カミザシンヨウガクエンの制服は、綺麗にアイロンされていた。


 皺ひとつない制服がずっとそこに入れてあった訳では無いことに、花菜は袖を通した時の温もりで気づいた。きっと母が定期的に洗濯し、取り替えていたのだろう。

 花菜がいつ回復してもいいように。母の願掛けのような習慣だったのだろうと想像する。その願いは医師の努力ではなく、予想もしなかった男の気まぐれで叶えられたことになる。


 制服を着て長い髪を後ろでふたつに結ぶと、それだけで準備は整った。病院を抜け出す時に時計を見ると、正午を少し過ぎていた。花菜は誰にも見られずに裏口から出ると、そのまま向かいにある上座神遙学園に向かった。


 榊は治癒する際に多くの情報も残してくれていた。おかげで花菜は、自分の倒れる前後の概要を目覚めた時には把握していた。なぜ自分が失敗したのか、その理由を頭の中に直接書き込まれたかのように理解していた。

 簡単に言えば管理者の密告屋がすぐ近くにいたのだ。そして花菜は不覚にも、殺されかけてすらその事実に気付けなかった。


 まずはそいつを葬る。

 今さら仕返しなどをしたい訳ではない。本当なら放っておいてもいい相手だ。しかしその密告屋が真綾の近辺にいるなら話は変わる。彼女をこれ以上管理者達に関わらせるわけにはいかない。


 真綾は不可侵でなければならないのだ。


 どうしても。






『職員のお呼び出しを致します。化学の野口先生、理科実験室までお越しください。野口先生、理科実験室までお越しください』


 昼食を終えた直後、中等部の化学教師野口史織は突然校内放送で呼び出された。

「誰の声かしら?」

「いやあ…聞き覚えないですね」

 心当たりもない野口は同僚と首を捻りあった後、とりあえす向かうことにした。まだ若そうな女の声だった。考えられるのは実験用の教材などを注文する卸業者くらいだ。だが別に何かを注文した覚えもない。


 実験室のある中等部3階には誰もいなかった。当然である。この階は特別教室しかないので特に用がない限りは野口でも立ち寄らない。業者の姿もない。わけがわからないまま実験室の鍵を開ける。せっかく鍵を持ってきたのだから一応中まで見ておくべきだろう。

「あら?」

 ところが扉は少し触れただけでスライドした。鍵を掛け忘れていただろうか。不思議に思いながら中に入る時、野口は足で何かを蹴飛ばした。それは小さな金属片で、ちょうどドア鍵の引っかかる部分のようだった。

「壊れた…?いえ、というより、切られて…」

 拾いあげた破片の断面はあまりにきれい過ぎた。まるで遥かに高い硬度の刃に寸断されたように。


「久しぶり、ティーチャ」


 声が教室の反対から聞こえた。さきほどの放送と同じ声。

 驚いて野口が顔を上げた時、その声の主である宮崎花菜は、振りかぶっていた脚を思い切り振り抜くところだった。


 宮崎花菜の顕現(インカーネイト)


 振り抜かれた脚が野口の眼前へ千切れ飛ぶ。そう見えたのはしかし一瞬で、実際にはもっと現実離れしたことが起こった。


 太ももの辺りから無くなった花菜の脚の内側から、歯車(ギア)鉄屑(ジャンク)で象られた機械仕掛けの脚が飛び出す。

 野口は避ける間もなくその鉄屑に蹴りつけられ、壁に叩きつけられた。

 鉄屑は間髪入れずに形状を変え、そのまま何本もの楔となって野口を壁に拘束した。


「あなたがティーチャだったなんてね。全然気が付かなかった。あの人の“情報”がなければ借りを返し損ねたところだわ」

 花菜は脚を振り上げた姿勢のまま、教室の真反対にいる野口に吐き捨てるように言った。

「5年ぶりなのに挨拶もなし?」

 鉄の脚は数メートル離れた相手を更にきつく締め付ける。野口は声も無くとっくに白目を向いているが、花菜は拘束を弛めることなく、聞こえているのが当然というように話し掛けた。


「…“生ける歯車”(ライブギア)…相変わらずの荒唐無稽ね。凄いわ」


 その野口が口を聞いた。白目がぐるりと一周し、人工的に発光する瞳が花菜を見返した。

「随分な御挨拶だけど、会えて嬉しいわ“カノン”」

 野口…ティーチャが微笑んで言った。身体が妙な方向に曲がるほど締め上げているにも関わらず、痛みなど感じていないように彼女は平然と喋った。

「地下の箱庭にはたくさんのティーチャがいたわね。何人いるのか数え切れないくらいで、次々に顔ぶれが入れ替わってた。でも実際はあなた“ひとり”だったのね」

「よく気づいたわね」問題に正解した生徒を褒めるようにティーチャが言った。

「その通りよ。箱庭にいたティーチャは全てが同一の擬似人格を共有する“私”だった。本来はこの都市を監視する管理者の眼として機能する存在なの。あそこでは便宜上ティーチャの呼称で統一していたけど」

「それがこの都市の本当の記憶装置(カメラ)ってわけね」

「何より見ることに長けているものは“人の目”よ。“エクスアイ”と呼ばれる私は、この都市のどこにでもいるわ。不特定多数の人の脳内を“ちょっとだけ”間借りして、私の思考領域をインストールさせてもらってるの。この野口史織自身にその自覚はないけれどね」

「そうやってこっそりと記憶したものを管理者に伝達しているのね。例えば私の正体とか」

「当然じゃないかしら。かつての生徒がこそこそと、仲間を募って悪いことしようとしてるんだから」

 ガシャリと音を上げながら鉄屑が駆動する。折り畳まれるように縮小する機械に引っ張られ花菜が飛んだ。バレリーナのように回転しながら宙を舞い、ティーチャの眼前に着地する。

 花菜の腕がめくれあがって、内部から飛び出す鉄屑が発条仕掛けの腕を形成した。指先に当たる部分が刃となった手が、野口の喉元に突きつけられる。

「真綾のことも報告した?」

 その言葉にティーチャの顔に疑問が浮かぶ。

「…背原真綾のことなら違うわ。彼女は“SOS”の監視下に入った…だけどなぜ知っているの?それはつい今朝のことよ」

「わたしが目を覚ましたのもそう。あなたの眼にも映らないものがあるってことよ。たかが擬似人格のくせに全能を気取らないで」

 歯車を軋ませ刃が鳴り、ティーチャの首を押し上げる。

「最後の質問。この学園にそのエクスアイは何人?」

「この学園には現在この野口史織ひとりだけよ。以前は10名ほどいたけど全員よそに配属されたわ」

「なぜ?」

「代わりが配属されたからよ、たったひとりね。さっきの話の“SOS”、その構成員が今はここの管理者。だからたった今も、彼は私の目を通してあなたを見ている。すぐにここに来るわ」

「それがやけに口が軽い理由?」

 ティーチャがせせら笑う。

「そう。だってあなた、すぐに捕まるもの。カテゴリCの怪物にかかれば、あなたの能力なんてブリキの玩具に等しいわ」

 花菜はティーチャの青く発光する目に不遜な顔を寄せた。そこからこちらを見ている誰かに、自分の顔が焼きつくようにしばらく静止し、やがて宣言するように言った。


「望むところよ。わたしは“機械仕掛けの人形”(クロック・ワークス)。ここであなたを待ってる」


 ティーチャの目の奥を睨みつけながらそう言った。花菜は真綾の周辺から管理者全員を排除するつもりだった。学園に潜伏する人数が少ないのは、花菜にとっても好都合だった。たった2人ならやれる可能性はある。

「いえ、あと1人ね」

 陳腐な宣戦布告の直後、花菜は機械化した腕を真横に振るった。胴体と切り離されたティーチャの首が転がる。そして壁際にぶつかる前に、その眼光はブラックアウトした。








ー3.pastー








 箱庭(ガーデン)と呼ばれる地下施設で、アカネはもう何年も生活していた。ここには時計がないので正確には分からないが、おそらくもう10年くらいここにいるのではないだろうか。


 その間に何人もの同胞と時を共にしてきた。今でもここに暮らす者、死別した者、そのどちらでもなく、突然いなくなった者もいた。彼ら全員を数えると100人近くはいるだろう。しかしカノンほど反骨精神に溢れた同胞に出会ったのは初めてだった。


「あまり逆らわないほうがいいよ。せっかく能力があっても彼らにかかれば簡単に無力化されるんだから」

 がっちりと四肢に黒い枷を付けられたカノンに忠告するが、彼女が聞く気がないことは知っている。

 これが初めてではないのだ。彼女がここに来てから一年が経っていたが、このラボの“安定室”に彼女が入るのはもう何度目か知れない。

「ねえカノン、これ痛くないの?能力が遣えないってどんな感じ?あたし繋がれたことないからわかんない」ユカが枷をつつきながら聞いた。彼女はカノンと同じ日に入所したもう1人の少女で、歳も近い2人は自然と幼なじみのような関係になっていた。

「…最悪。自分の身体がもがれたみたいな感じ」

「そう思うなら逆らわなきゃいいのに」

 思わずアカネの口から正論が漏れる。

「意気地無しとは喋る気ない」

 俯いたままカノンが答える。アカネとユカは顔を見合わせて肩を竦めた。

「2人とももう出なさい。カノンとは私がちゃんと話しておくから。次の授業が始まるわよ」

 ティーチャが入ってきて言った。2人はカノンに別れを告げ素直に退室する。アカネとユカはそのまま隣の学習棟にそれぞれ入る。全部で三棟ある学習棟は、年齢ではなく個人の知能、そして顕現能力によって大別されていた。アカネはティーチャ側から学業の修了を提案されるほど学び尽くしていたが、自分の意思で授業に出続けていた。純粋に学ぶ事が面白かったし、特に化学はアカネの顕現能力を大いに成長させてくれる。

「遅かったね、アカネ」

 棟に入ると3人の生徒がいた。アカネのクラスはこれで全員だった。単純に大学以上の学習を求める者がこれだけなのだ。ほとんどの住人は第二棟の高等学校レベルの授業を受ける。

「揃ったわね。では始めましょう」

「…あれ?」

 そう言って立ち上がったティーチャに、アカネは既視感を覚える。ティーチャの固有名は知らないし、その顔ぶれも頻繁に変わる。だが全く同じ顔が同時に箱庭にいたことはない。しかし今目の前にいるティーチャは、どう見てもさっき安定室で入れ替わりになったティーチャと同一人物だった。

「あ…」頭にひとりの同胞の顔が浮かんだ。完全に他人に成りすます事のできる者に、アカネは1人だけ心当たりがあった。

「どうかした?アカネ君」

「…いいえ、なんでも」

 アカネは即座に引き下がり机に座る。そして大人しくタブレットを取り出し起動した。黙っていることにしたのだ。きっとカノンに用があるのだろう。わざわざペナルティを科せられる危険を犯すだけの大事な用事が。

 アカネは授業に集中した。そうすることが彼の一番の援護になるだろうと思い、全て忘れることにした。




「なぜ測定を嫌がるのカノン。あなたの身体のことなのよ。もっと詳しく知りたいと思わない?」

 俯いたままのカノンに合わせて、ティーチャは屈んで顔を近づけた。

「他のみんなは素直に受け入れてくれてるわ。そして少しずつ自分の能力を上手く扱えるようになっていくの。だけど誰も痛がったり泣いたりしてないでしょ?」

 何か違和感を感じ、花菜はティーチャを見返した。そしてすぐに気づいた。

「…なにしてんの、リン」

 カノンは変なものでも見るようにティーチャに言った。

「もう授業始まってるみたいよ。行かなくていいの?」

 つれない言葉にティーチャが屈託のない声で笑った。その仕草は本物のティーチャには絶対に見られない反応である。

「さすがカノン。こんなに早く僕の“変装”を見破れるのは君くらいだ」

 声が少年のものに変わった。次いでティーチャの像が歪む。そしてフィルムのコマが飛んだように、一瞬で目の前の人物が切り替わった。

「鎖に繋がれた気分はどう?」

 現れたのはこれといった特徴のない20代くらいの青年だった。おどけたような顔で問いかける彼に、カノンはため息混じりに返答する。

「そんなつまらない質問をしに来たの、“顔の無い道化”フェイスレス・クラウンさん?」

「ううん。実はお別れを言いに来た」

「…お別れ?」

 “道化”と呼ばれた青年、リンはその場に膝を抱いて座り込む。立ったままのカノンを見上げ、リンは頷いた。

「うん、ここを出ることになった。ティーチャに聞いたら特にお別れ会なんかはないらしいから、個人的に挨拶をしておこうと思って。誰にも言うなって言われたけどね」

「それは…解放されるってこと?それとも…」

「いや。やっぱり彼らからは離れられないみたいだ。君が前に言ってたとおり、“卒業”して“就職”しても、彼らから自由になれるわけじゃないみたい。でもね…」

 リンの顔が真剣なものに変わる。

「少なくとも地上を自由に歩けるようにはなる。彼らの監視もだいぶ弱くなるのは間違いない。だから君も君自身を真面目に学んで、“生ける歯車”(ライブギア)の能力が有用だと証明すればーー」

「その名前はやめて」カノンが強い口調で訂正を求める。

「ごめん…でもその証明ができれば、君もここから出られる。それを教えておこうと思っただけ」

「あなたみたいに化物になって?」

「そう。僕のような化物になって」

 リンはおどけた顔で立ち上がると、カノンの頭を撫でながら言った。

「同じカテゴリCで学んだ仲だ。君はここではとても生きにくそうだから。早く出られることを願ってる」

 カノンに触れた手がブレた。それが全身に広がり、リンの姿がノイズと共に歪んだ。

「なんだ…その姿も本物じゃないのね。最後までどんな顔してるか分からないままだった」

「今後はもっと分からなくなる。もしかしたら僕自身本当の自分の顔を忘れるくらい。きっと僕は特性上、スパイになると思うんだ。どう、かっこよくない?」

「ピエロのリンが?似合わない」

 そう言ってカノンは思わず吹き出した。いつも冗談を言って周りを笑わせていたリンのイメージに、そんなクールな職業はまるで不向きに思えた。


「ねえ、最後に性別とか年齢くらい教えて?わたしがいつか地上に出た時に、あなたを探すヒントにするから」

 しばし2人で笑い合った後、カノンはそんなことを聞いてみた。別に答えを求めていない質問。冗談に近い類の戯言。


「そうだね。君を妹のように思うくらいには年上だよ」


 しかしその答えはやけに真摯なトーンでカノンに届いた。そのせいでお互いが笑うのをやめ、ほんの少しの沈黙が下りる。

「…あんまり、兄さんって感じじゃなかったよ」

 その言葉に、リンは微笑みで返しただけだった。

 別れに交わす言葉には相応しくない。そう思いながらも、カノンは言わずにいられなかった。そしてそう口にした時、初めて少し寂しいと思った。

「じゃあまた。いつか君と地上で出会うのを楽しみにしてるよ」


 そう言って笑顔を残し、リンは外の世界へ出ていった。

 1人残されたカノンの頭に道化の残した言葉が巡る。外に出る唯一の道、その方法。自らの能力を知ること。それは自分という存在の意味を問う事と同じだった。知らない内にその考えは脳裏を埋め尽くし、カノンは自分が道化に踊らされている気がして少し癪に障った。だがたしかに、それ以外に自分から踏み出せる道もなかった。それに逆らうものは、自分のつまらない反抗心だけだった。


「自分を学ぶ、か…」

 カノンはため息と共に声に出して呟いた。そしてその日以来、カノンが安定室に拘束されることはなくなった。


 彼女は決して良き生徒にはならなかったが、すぐに優秀な生徒になった。しかしどんなに優秀になろうと、管理者側が決めた彼女の呼称名、“生ける歯車”(ライブギア)の名を受け容れることはなかった。







ー4.presentー







 花菜は目を瞑って“敵”が現れるのを待った。


 クロック・ワークスは顕現させたまま、振るった腕もそのままに、全方位に神経を研ぎ澄ましていた。


 既に近くにいる。しかし相手は花菜の間合いの一歩外で留まり、じっとこちらを窺っていた。そう感じる間は、花菜も動く気はない。



 空気が動く。

 何かが花菜に迫る感覚が肌に伝わる。それは教室の外ではなく、内側から突然現れた何かの軌跡だった。


 花菜の耳にありえない音が迫る。


 その軌跡は自分のよく知る、歯車と鋼鉄の軋む機械音を伴っていた。反射的に花菜の身体が動き、機械の腕が駆動する。


 金属の衝突音が教室に響き渡った。


 寸前で防いだそれはやはり機械の腕で、お互いに悲鳴のような金切り声を上げて火花を散らした。更に迫る自分の顕現とそっくりの鉄屑を迎撃する為、花菜の四肢も吐き出すように鋼鉄を生み出した。


 刃と刃が衝突し、幾重もの火花を咲かせる。


 全て捌き切った後、鉄屑がカーテンのように左右に別れた。ようやく捉えた敵の姿は、半ば予想していた通り自分と瓜二つの少女だった。


 両者のクロック・ワークスが“収納”されていく。まるで体内に飲み込まれるように発条仕掛けの機械が消え、その場には同じ顔をした少女が2人残った。唯一の違いは、本物の額にある十字の傷痕だけだった。


「おや…その傷は?」

 傷のないほうの花菜が聞いた。その声は昔聞いたことのあるおどけた青年のものだった。

「生き返った代償。久しぶり、ピエロのリン。今もその名前かどうか知らないけど」

「ファミリーネームを賜ったよ。今は凛虎飛(リン・フーフェイ)と名乗ってる。7年ぶりか…大きくなったね」

 喋っている途中に姿が切り替わった。そして花菜にとっても懐かしい、箱庭にいた青年が目の前に現れる。

「あなたが“SOS”ってこと?」

「うん。この学園を中心とする一帯を任されている。出世したもんだろ?」

「じゃあ真綾のことも聞いてるわね」

 花菜は凛の軽口には取り合わず、自分の聞きたいことだけを聞いた。

「彼女の顕現能力のことならもちろん聞いている。兄妹揃ってカテゴリAとは、まったくとんでもない兄妹だ」

「真綾の兄さんも?」

 耳を疑う。彼女とそっくりの兄がいるのは知っていた。しかしその兄までがインカーネイターであることは榊の情報にもなかった。しかしほぼ万能に近い彼が知らないはずはない。教えなかったということは、きっと自分には関わりのないことなのだろう。


 そんな花菜の内心をよそに凛が話を切り替える。


「さて…現在僕の取るべき行動は、君を無力化することが最優先事項だ。君の気にしている背原真綾は行方が知れないので、とりあえず僕の管轄にはないのでね」

「そう。じゃあ始める?」

 花菜の右腕にクロック・ワークスが出現し、鉄屑が再び出現した。身の丈を超える大きさの腕、その先の五指が大振りの刃となる。それらがギアの駆動で軋み、威嚇するように凛に向けられた。

「自分から投降する気は?」

 微笑みながら聞いた凛の提案に、花菜は挑戦的な笑顔で返した。

「箱庭の時から一度喧嘩してみたいって思ってた。そうなったら、自分を無敵だと思ってるあなたの鼻をあかしてやるのにって」


「はは、それは心外だな」

 言葉と同時に凛の像が歪む。そしてまた花菜の姿になった途端、偽物のクロック・ワークスが一直線に迫った。


 対して花菜のクロック・ワークスは、オリジナルの貫禄を見せつけるようにゆっくりと動いた。迎え撃つように構えた腕は、衝突の寸前で大きく形状を変えた。肘から先が分化して花弁のように広がり、迫る偽物を呑み込んだ。

「へえ…」

 絡みつかれ、動作を阻害された凛の腕を締めあげながら、花菜の鉄屑は螺旋の錐と化して凛に迫る。限界を超えて圧縮され、凛の機械化した腕が細かく裁断された。

 収束し、1本のドリルとなった尖端が凛の顔面を狙っていた。しかし寸前で姿を変えていた凛は紙一重で躱した。

「僕の知らない遣い方だ…ちゃんと勉強してたようだね」

 見たことのない少年の姿になった凛が賞賛する。

「あなたこそ…インカーネイトまでコピーできるなんて知らなかったわ」

 話しながら花菜は攻撃を続けた。左手を機械化させながら横薙ぎに振り払い、左側面を覆うほどの鉄屑を形成した。

「まだ生きている人のみに限られるけどね。そして僕がコピーできるのは、あくまで質量を持つものだけだ」

 再び花菜の姿になり、体内から生み出す鉄屑で攻撃を防ぐ。

「つまり僕はカテゴリ“Convert”…身体改変能力者に滅法強い。コピーさえしてしまえば圧倒的に優位だからだ」

「そうは見えないけど?」

 側面を防ぐ間に収縮する機械の反動で花菜が舞う。既に機械化した両脚を回し蹴りの要領で回転させ、巨大な円刃(ミキサー)となって凛を襲った。

「おっと…!」

 その攻撃の規模に凛が驚く。即座に反対の腕も機械化して防御に回すが、止まることのない回転刃があっという間に削り取っていく。見ると花菜の下半身は腰の部分が機械化していた。そのおかげで関節の限界を無視した無限回転を実現していた。

「これはまずいな…そっくり同じ硬度のはずだが、まったく“刃が立つ”気がしない」

「勉強したのよ。あなたの言葉通り、自分をね」

 ようやく円刃が収まった時、凛の鉄屑は本当の鉄屑と化していた。だが着地した花菜の身体はまだ回転していた。今度は下半身が支点となり、上半身が回転している。

「…遠心力で斬る気か、本当にまずいっ…!」

 首から上は回っていなかった。その為花菜の目はずっと目標である凛を捉え、不敵に笑っていた。


「今度は早いよ。避けてみて」


 花菜は自分で名付けた通り、正しく“機械仕掛けの人形”(クロック・ワークス)となってそう予告した。


 次の瞬間、両腕が機械化した。長大なファンとなった鋼鉄が凄まじい速度で回転する。


 凛が緊張した顔でまた別の姿に変わる。


 花菜は構わずにファンを拡張させ、教室ごと切り刻んだ。

 

 

 




 


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