4-2 circulate rondo
-1-
さあどうするか。
受話器を置いた蔵城義弘は少しの間微動だにせず思考を巡らせた。
そう広くない自分のデスク、その無駄に重い椅子に座り口元に手を当てて考える。だがそれも長くは続かなかった。どうせなるようにしかならないのだから考えるだけ無駄だ、というのが蔵城の出した結論だ。とさかのように尖らせた髪を掻き上げる。その動作と共にくだらない思考を終わらせ、その頭は次にどうすべきか、どうやれば相手を出し抜けるかだけを考えはじめた。
蔵城は電話を受けたその数分後、四条巽の掌の上で踊ることを決めた。
しかし食わせ者だとは思っていたが、こうも単刀直入な男だとは思っていなかった。要は都市の閉鎖にかこつけ、蔵人と呉羽、いがみ合う二つの武闘派で競合し、乱立する“無駄”な会社をまとめてしまえと言いたいのだろう。少なくとも蔵城はそう理解した。
(ということは、この閉鎖環境はしばらく続くってことか…)
これからこの件の考案者である“経済特別顧問”殿がここに来ると言っていた。市長にそんな顧問がいる話など聞いたことも無い。蔵城はその顧問とやらもどうせ形ばかりの伝言役だろうくらいにしか考えていなかった。四条巽という男は他人に何かを任せるタイプではない。全て自分で把握しておかないと気のすまない人格だというのが蔵城の見解だった。
しかしそれは大きな間違いだった。
30分程して現れた赤毛の外国人は、まだ20代後半くらいの自分とそう変わらない歳の男だった。
「ルカ・ルドウィグ・ハラー、ミスタ四条の経済顧問だ。まあ汚れ役専門だと思ってもらって間違いじゃない」
「汚れ役とはまたずいぶんですね」
「ところが汚れ役こそ俺の望むポジションでね。あんたらの合併に関われて光栄だよ、ミスタ蔵城。思っていたより若いな」
「代替わりしたばっかりでしてね。私はよく言うスネっかじりの2代目です」
「なるほど」
ルカは遠慮もなく蔵城のデスクに座った。
「見ての通り俺は余り礼儀を知らないが、比例して他人の無礼にも寛容だ。長いことそういう奴らの相手ばかりしてきたからな。だから蔵城、お前も俺と話す時に敬語は無用だ。見せかけの敬意は時に真実を隠蔽する。分かるか?」
「あんたが上辺を気にしないことは分かった」
ルカは口元を上げて手を鳴らした。
「その調子だ蔵城、話が早い奴は好きだ、気に入った。そのままの感じで本題に入ろう」
「その本題ってのは?」
いちいち大仰なアクションの男だ。蔵城は客用の椅子に腰掛けながら聞いてみた。
「そりゃもちろん上座市の企業統合についてだ。だがその方法に少し口を挟ませてもらいたい。まず蔵人の取締役としてはどういう考えか聞かせてくれ」
「俺の意向としては昔ながらのやり方をするつもりだが…それにしたってどれくらいの猶予を持つかでやり方は変わる」
「そうだな、大体2ヶ月くらいと考えてくれ」
「…なんだって?」
蔵城は思わず聞き返した。そして相手の顔を見てそれが相手の思惑通りであることに気付いた。わざと聞き返させ、こっちの反応を見ている。
「具体的に言うなら、この街に存在する企業が呉羽と蔵人のふたつきりになるまで、約2ヶ月。これが管理者側からの要望だ」
「…本気か?」
「もちろん」
蔵城は額に手を当てる。頭を抱えている訳ではない。これは蔵城の考える時の癖だ。その脳内では当初考えていた合併の手順が大幅に組み直されていた。それを面白そうに見つめるルカの目。
「2代目の坊ちゃんだなどと謙遜だな、蔵城義弘。お前の適応力はすでに呉羽のじいさんを喰ってるぞ」
まるで自分が何を考えているかを分かっているようなルカの褒め言葉。事実分かっているのだろう。もう蔵城がゲームの盤上に乗っていることを。
「“俺達のやり方”でいいと言ったな」
「無論だ」
「なら無理だ」
「んん?」
ルカの眉が顰められる。しかし蔵城の顔を見てまた笑みを強くした。表情からこっちの次の言葉が否定的ではないことを先読みしたのだろう。
この男、人を見る目がある。
「たった2ヶ月で市内を統合するとなると俺達のやり方なんかじゃ遅すぎる。なら全く別の地上げの仕方が必要だ。大っぴらに、非合法にやってもお咎めを受けないという証明をくれ」
「もしそれがあれば?」
「2ヶ月もいらん。1ヶ月あればあんたらの望む景色を見せてやる。ちょっと街が散らかるかもしれないけどな」
ルカの目が燃えるように輝く。
「それは君なりに呉羽の仕事まで考慮しての言葉か?」
「少なめに見積もってね」
ルカがまた大きく手を鳴らす。
「素晴らしい!やはり俺の見立てに狂いはなかった!」
面白くて仕方ないといった様子のルカ。
「この仕事はお互いに価値あるものになるぞ。君らには莫大な利益と権力、我らには最適を。効率こそが経済の真髄だ。例えその過程に何があろうと、結果に勝る説得力はない」
ルカの言葉に蔵城は首で頷くだけで答えた。その目を一瞬たりともこの男から外したくなかった。
(…何が“本当の狙い”だ…)
火のような赤毛に見合う熱意を発散する男。
蔵城にはその熱意の矛先がこの未曾有の合併話に向いていないように思われた。ルカの目はさらにその先…まだ蔵城の想像すら浮かばない何かに向いている。そう思えてならなかった。
-2-
温かいお湯を顔に浴びると、何故かとても久しぶりな感じがした。自分にとって昨日という日はそれだけ長かったのかもしれない。
「熱くない?」
「…うん」
千笠愉迦の質問に、背原真綾は曖昧に頷く。なんでこんなことになったのか真綾にもよく分からないが、2人は千笠愉迦の隠れ家にあるバスルームで入浴中だった。
「あ、着替えの前にお風呂入りたくない?昨日から汗いっぱいかいたでしょ」
ついさっきの会話。とてもいい事を思いついた、というように指を立てた千笠愉迦の言葉。
それはさすがに気を許しすぎだと思ったが、その魅惑的な提案に真綾は逆らえなかった。倒れている3人の男が気になったが、千笠が言うには丸一日くらい起きることはないらしい。
その言葉を信じて浴室で服を脱ぎ終わった時、なぜか後ろから千笠愉迦も入ってきた。猫のような目を細めて微笑みながら、自身も衣服を脱ぎ始める。
「あたしも入るニャ。多分マーちゃん、体あちこち痛いから大変だと思うし。洗いながら花菜のこと話そうよ」
真綾が恥ずかしがる間もなく、千笠はあっという間に服を脱ぐと真綾を押してバスルームに突入した。
「いくよー」
そして軽い掛け声と共に頭からシャワーを浴びた。
気持ち良くて自然と身体の力が抜ける。浴室の椅子に座って目を閉じると、千笠の言う通り全身が傷んでいることに真綾はようやく気付いた。
「失礼しまーす」
「ひゃっ…」突然後ろから千笠の手が触れてきて変な声が漏れた。なぜか背中ではなく、自分を抱くように体の前面にスポンジが来る。
「あの、自分でやるから…痛っ…!」
振り返ろうとすると体に痛みが走った。
「でしょ?背中、強く打ったんだね。肩も炎症起こしてる。たぶん足も捻挫してるでしょ?若い娘が体中に痣作っちゃいけないなー、お嫁に行けなくなっちゃうよ?ほら、前向いてて」
何も言えなくなり大人しく従う。千笠はやけに手際良く真綾の体を洗っていく。
「そういえば花菜にもよくおんなじこと言ったなー」
「…花菜にも?」
「うん。あの娘もすぐ無茶するとこあったから。まあしょうがないんだけど。生まれながらの宿命ってやつかな」
「全然分からない。どういうこと?」
「説明しても信じられないかもしれないけどね。さっきマーちゃんが出した紫の蝶々みたいなやつとか、文字通り風船みたいに膨らむ樽馬とかってさ、普通の人にはできないし、とんでもない能力だと思わない?」
「…そりゃ、思うけど」
「要するにそういうのを全部まとめたのが顕現能力って呼ばれるものなのね。あ、マーちゃんも知ってたってことは、他に誰か遣える人知ってるの?」
思い出されるのは兄の顕した回路の記憶。おそらく口振りからして葵創佑も何かしらの能力を持っているのだろう。だがそれを言っていいものかどうか分からなかった。
「ま、いいけど。で、わたしもその顕現能力が遣えるし、花菜も遣えた。“最初”から。だからさ、この力を顕現能力って呼ぶことにした“名付け親”に目え付けられちゃったんだ」
「誰に?」
「誰だと思う?」
千笠の顔がすぐ横にあった。いつの間にか手は止まり、真綾は後ろから抱きしめられていた。
そこで感じた違和感。
「…震えてるの?」
千笠の怯えが伝わる振動。
その名付け親に対してだろうか?しかしその人物がここにいるわけでもないのに、恐怖を感じ過ぎではないか?
「世界、って言ったら信じる?」
「世界?」
振り向くとすぐそこに千笠の顔。近すぎて唇が触れ合うところだった。そう思った瞬間、千笠が舌を出して真綾の唇を舐めた。
「ちょ、ちょっと…!」
思わず顔を引いた。その隙に千笠は立ち上がり、先にバスルームから抜け出した。
「先に上がるニャ。話の続きは上がってからね」
返事も待たずに扉が閉まる。
はぐらかされた感じ。だけど今、一瞬だけ核心に触れたような気がした。
兄が去った理由。自分が1人になった理由。
その答えを。
-3-
“認識”が変わった。
それは自分の見る世界が変わることと同じだ。
心象回路を通して見る世界は、今までとまるで違う景色を自分に見せていた。
「真琴」
聞こえた声に振り向く。その声すら今までよりもクリア。そのお陰でそこに含まれる暖かな心情が、触ることができそうなほどはっきり感じられた。
遊南区の隠れ家から少し南に下った場所に背原真琴はいた。再開発の為に平地にされ、そして放置されたままの広大な荒地。真琴は残っていた廃屋の上に立ち、その寂しい景色を眺めていた。
「もうすぐ正午だ。何か食べないか?」
葵創佑が建物の下から呼んでいる。
「ナオ兄はまだ電話中?」
「あちこちに掛けてる。その会議ってやつに潜り込む一番いい方法を模索中」
葵は吸っていた煙草を携帯灰皿で揉み消す。
「煙草、珍しいね」
「落ち着くかと思ってナオ兄に一本貰ったけど、駄目だな。マヤちゃんの無事がはっきりするまではそんなの無理だ…逆に聞きたいよ、お前がそんなに落ち着いてる理由を」
「マヤは無事だよ。今は大丈夫」
真琴は廃墟から飛び下りた。足を痛めそうな落下の衝撃を柔らかな接地で殺す。目の前に葵の意外そうな顔。
「やけに確信してるな。なんでそう思う?」
「分かるんだ、繋がってるから」
「…繋がってる?」
陳腐な台詞。しかし真琴の能力を知る葵にはそう思えるだけの何かがあると分かる。
「心線が見えるんだ。自分が進化…いや、“深化”した感じ。世界に深みが増したような…多分言葉にすれば大したことじゃないけど」
真琴は空に手をかざし、晴天の青い空を見ながら言う。
「僕の目の前には、今も無数の線が飛び交って見える。多分誰かと誰かの“心の繋がり”の形が。そしてその中に、ちゃんと僕のもあった」
「それがマヤちゃんに繋がってるのか」
真琴は頷く。
「僕とマヤは、いつも繋がってた。今までそれに気付かなかっただけで。この能力も自分の一部って認識ができたから分かったんだと思う」
目を閉じて空を見上げる。
「人の感情なんて脳内物質の作用だって思ってた。人とCPUの違いなんて有機質と無機質の違いしかないって。でも不可能を可能にするのは人にしかできないことなんだね。感情…意思にしか」
葵はそんな独白めいた真琴の話を鼻で笑う。
「俺からすると今までそれを体現してきたのがお前だ。いまさら何言ってんだって感じだ。やたらと難しく考えようとするのは昔からの悪い癖だぞ、もっと分かりやすく喋れ」
「見たままを言ってるだけだよ」
端末に橘からの着信が入る。
『2人ともいつまで遊んでる。とっとと戻って来い』
それだけ言ってすぐに切れた。
肩を竦めてお互いを見る。
「戻ろう。さて、久しぶりに何か作るかな」
セメタリーに戻ると甲斐のグループはPCと睨めっこしていた。彼らそれぞれのディスプレイには様々な情報が現れ、そして消えていく。橘は奥のデスクで電話中。
隣の部屋では三城威織が死んだように眠っていた。橘の手伝いをしているマキが「そっとしといて」と囁きに来た。昨日一日中スローターズとやり合っていたのだから当然ではある。それにもともと夜行性だ。
「大所帯になったもんだ。しょうがない、全員分作るか」
「やった、久しぶりに葵さんの手料理」
マキの小さなガッツポーズ。彼女は以前から葵の店の常連客だった。
「葵、換気扇を回せよ。この前みたいに部屋中玉ねぎ臭くなるのはゴメンだ」
「分かってる。ったく、礼もなしかよ」
葵は愚痴りながら奥のキッチンへと消えた。真琴は特にすることもないので橘の横のベッドに腰掛けた。
「悪い、玉ねぎは気にするな。それでそのルカって奴は了承したのか?…少し待て、スピーカにする」
そう言って橘は端末を操作しデスクに放った。
『わざわざそうするってことは、そこにお前の言う“運命共同体”の連中がいるんだな?』
深みのある声がセメタリーに響く。どうやら屋内上部に設置されたスピーカーに直結したらしく、セメタリーのどこにいても声が届いた。真琴はその声が深みのわりに若いと感じた。声の張りが中年のそれではない。
「誰なの?」
「さっきのリストに名前があったろ。蔵人協同組合の取締役だ」
「蔵人の?」
その言葉に甲斐達が驚く。
『蔵城義弘だ。なんだ橘、女っ気が無いかと思ってたが、どうやらそんなこともなさそうだな』
「生憎と今のは男だ。そんなことはどうでもいいからさっきの内容をもう一度頼む」
『男?ならどう考えてもガキだろ、大丈夫なのか?』
「安心しろ、とびきり裏社会に馴染んだガキだ。“九天の烏”を知ってるか?“跳人”とか呼ばれてたこともある」
しばしの沈黙。その沈黙がその名を知っていることを言葉なく語っていた。
『…今のがそうだと?』
「俺が“非合法屋”で働いてた時の同僚だ。ちなみに片割れの大鴉が今、俺達の飯を作ってる。あと“ロボス”のリーダーとサブリーダーがその飯にありつく為に待機中だ」
スピーカから笑い声。
『はは、随分物騒な面子の割にアットホームだな。なら文句はない。皆さん以後よろしくな』
「橘さん、蔵人の取締役と伝手があったんですか?」
「大学の同級だった。その縁で非合法屋をやってる時も幾つか仕事を受けたりした」
『こいつには世話になった。何処にでも目がついてるような情報通だったからな』
「なるほど…だから調べるのは呉羽だけでいいと言われたんですね」甲斐の納得した表情。
「互いの紹介は終わりだ義弘、話を戻せ」
『物流会議に飛び入りしたいって話だったな。だがなんでまたそんなもんに?こっちは戦争に行くつもりで準備してるし、間違いなく向こうも同じ心算だろう。どう考えても穏やかな話し合いにはならないぞ』
「それは出席者を見れば分かる。なんせ管理者以外にはほぼ呉羽、蔵人の要人しかリストに名がない」
『当然だ。なんせこの2社が今後の上座市の経済を回していく双頭になるんだ。だったらその他の会社は呼ぶ意味がない』
「2社?どういうことです?」
「今朝方経済顧問の奴から直接お達しがあったそうだ。これから約2ヶ月の間に、上座市にある無数の企業は呉羽、蔵人の二つに統合される」
「たった、2ヶ月で…!?」
甲斐達の動きが止まる。マキはきな臭そうな匂いを嗅いだ顔で威織をお越しにかかった。
「起きろよ、なんか不穏な話になってるぞ」
「…痛てぇなこら」頭を三度はたかれて威織が目を開け起き上がる。普段の飄々とした雰囲気ではない。本来の目つきの鋭さに険悪さが混じる。威織の寝起きはすこぶる悪かった。
「なんでまたそんな話になったんだ?」
キッチンからの葵の問い。その質問には橘が答えた。
「経済の最適化を図るためだ。公表されていないがユピテルの技術提供が軌道に乗ってからというもの、この街の生産はずっと過剰になる一方だった」
「そうなの?」
「特に食糧問題に関していえば、最早飢民という言葉を無くせるほど無尽蔵に近い生産が可能だ。これまでは世界各国への輸出で“誤魔化し”がきいたが、それでも廃棄される量も膨大だ」
橘の言葉を蔵城が引継ぐ。
『メーカ側から言わせてもらうとその廃棄物も無駄になってはいない。今の食品や消耗品の類は既に8、9割方がリサイクルだ。回収、分解、再生。このシステムが飛躍的な進化を遂げたお陰で、新たな原料を使用することなく製造することが可能になった』
「…食欲のそそる話じゃねえな。でも腹減った」
寝ぼけ眼の威織がぼやく。徐々に目も冴えてきたようだ。
『そう。手っ取り早く公表すれば済む話をユピテルはいつまでも秘匿している。その理由がその嫌悪感だ。これまでの倫理に反するものを認めさせるのは至難の業だからな。だからまずクローン培養なんかの技術の一端を“光災”にかこつけて試験的に導入したんだ。段階を踏み、実績を積んでな』
「つまり都市が閉鎖環境になった今、生産は超過剰と言っていい状態になった。管理者はそれを最適化する為に企業統合し、一元管理を行おうとしているということだろう。そこまではいい。問題はその“方法と期間”だ」
『都市の“民族浄化”。俺のところに来た経済顧問殿はそう表現したよ』
「それは…選民を行うという意味ですか?」
甲斐の信じられないと言いたげな声。
『民族でなく頬に傷ある輩どもの、ということならその通りだな。いや、“適者生存”の方が近い。どこでもそうだろうが金の絡むところには少なからず裏の社会も関わってる。商会なんか正にその好例だ。要はその商会同士を潰し合わせ、最終的に呉羽と俺達蔵人がまとめあげるってのが管理者の意向だ。その方法ってのが…』
「全てを許可する。それがこの件の発案者ルカ・ルドウィグ・ハラーの答えだそうだ」
橘は煙草に火を点けながら言った。
「へえ、そりゃ荒れるな」
「むしろ抗争させようと煽ってるように聞こえる」
マキと威織、都市の裏側に現役で身を置く2人の素直な感想。
「その通りだろう。蔵城はその案に乗る。というより乗らざるを得ない。でないと蔵人がカモにされるのは目に見えてるからな」
『だからこの契約は渡りに船なのさ。会社はもう四条の掌中で踊るしかないが、奴らの思う通りに踊らされるのも癪だ。あんたらのような外部委託先があればいい保険になる』
「ねえ、そこに切宮って奴はどう絡んでるの?」
真琴の一番気になる男。しかし今までの話のどこにもその男は登場していない。
「そいつに関してはやはり名前以外情報なしだ。蔵城も会ったことはないらしい」
「ナオ兄、今の話で管理者がやろうとしてることは分かった。つまりは街の掃除をファームに任せるってことだろ?」
葵が盆に載せた昼食を持って来た。威織とマキの歓声。
「そこまで分かったんならもうその会議に行くまでもないよな?だって俺達には何もできない。せいぜい会議の邪魔するくらいでその決定を覆すことなんてできないだろ」
「その通りだ。奴らが何をしようとしてるか突き止めるという当初の目的は果たした。残念ながらお前の言う通り介入できるようなものでもない」
各々が食事を取り分ける。葵は適当に盛り合わせた皿を橘に渡しながら聞いた。
「それでも行くってことは100%マヤちゃんの為だろ。じゃあ俺と真琴はその“切宮”って奴をぶちのめし、マヤちゃんの居場所を聞き出すことに専念していいよな?」
橘は皿を受け取りながら葵の顔を見た。そしてその後ろからこちらを見る真琴の顔も。どちらもすでにそう決めた顔。もしここで違うと言ったところで聞く耳など持たないだろう。
ため息。そして自然と口に笑みが浮かぶ。
「駄目だと言ってもやるだろうから好きにしろ。だがどうせ行くなら俺はもっとでかい的を狙って見ようかとも思う」
「何を狙うってんだ?」
「お前ら忘れてないか?この会議には考えられる限りで最大の的が出席してることを」
「あ…」
全員の口が開いた。誰もそれを考えていなかった。あまりに大きな的過ぎて標的にするという発想がまずなかった。
「そこが狙い目だな。誰も考えてないから対策も薄い。おそらく四条巽に手が出せる機会は今をおいて他にないだろう」
「直接キングを狙うってことかよ」
「悪いか?」
威織に対して橘は平然と返す。
「いや、面白えな」
口が歪む。悪戯好きの悪童の覚醒。
「ついでにってことなら異論なしだ」
「僕も」
事の重大さとは正反対に軽い2人の了承。
「決まりだな」
煙草を揉み消しながら、橘が決定を下した。
「やる事は二つだ。切宮一狼からはマヤの所在。そして四条巽からはその身柄を強奪する。あくまで俺達は俺達だけの戦いをする。呉羽、蔵人の喧嘩に紛れて大番狂わせを狙うぞ」
スピーカーから渋みのある笑い声が響く。
『お前ら全員頭のネジが何本か外れてるな。ぶっ飛んだ発想だが面白そうだという点では同意できる。手筈は任せろ、お前らを関係者入口から堂々と中に入れてやる』
「ついさっき蔵城にその方法を聞いた。たしかに名案だ。正式なゲストとして潜り込むには最適だろう。だが真琴」
橘が珍しくにやついた顔で真琴を見た。
「お前には覚悟してもらうぞ」
「…何を?」
橘は何も答えない。しかしその顔は不気味に笑ったまま変わることはない。むしろ真琴の顔を改めて精査しているようにじっと見つめている。
何故か分からないが、真琴には嫌な予感しかしなかった。
ー4ー
紫色に光る羽ばたきが真綾の指に止まっている。
「綺麗だね。それに可愛い」
改めてよく見るとそれは蝶ではない。胴体や触角の無い、羽根と羽根だけのはためく精神体だった。千笠愉迦がそう呼んだ。
「もう自由に顕せるようになったみたいだね。マーちゃん飲み込みが早いよ」
千笠が羽根を指でつつきながら真綾を褒める。たしかに自分の中に“それが顕せる”という確信があった。精神体を現出させるイメージ、その為に必要な仕組みが自分の中にすでに構築されているのが分かる。
自分が拡張された感覚。
兄もかつて、この感覚を得たのだろうか。
「名前、何にする?」千笠の当然のような問い。
「これの?名前がいるの?」
「絶対いる。じゃないと本当に自分のものにならないから。他人から付けられたのじゃなくて、マーちゃんが自分で付けないと駄目」
「あなたのはなんていう名前なの?」
「あたしのは“喋る雷猫”。名前の通りのうるさい雷の顕現。ね、見てて」
千笠愉迦が指を立てる。すると部屋のテレビが勝手についた。照明が消えたり点いたりを繰り返し、キッチンの電子レンジが勝手に空の中身を温め出した。
「すごい…」
テレビのチャンネルが切り替わる。今の上座市ではほとんどの局は映らない。やがて唯一放送しているこの都市限定のローカル局に合わさると、そこに男のアナウンサーが映された。淡々とした感情を抑えた声て原稿を読み上げている。
その声が不意に歪んだ。そしてノイズのような不協和音が響き、男の声をねじ曲げた。
「これもあなたが…愉迦がやってるの?」
『そうだよ』不意にテレビから返答。
『あたしの顕現能力は意思が電気と融合する。意思を電気に変換するの。だから電気で動いてるものなら大抵こんなふうに干渉できる』
真綾はテレビの画面の変化に気付いた。いつの間にか画面の端、アナウンサーのデスクの上に金色の光る猫が乗っている。猫はちょこんとその場に座り、手を振るように前脚を真綾に降っていた。
「この子覚えててね、あたしの象徴。ネットの中とかでのあたしの分身だニャ。この子がいたら間違いなくあたしからの連絡だと思っていいから」
千笠の地の声での説明。自らも招き猫のように手を動かしている。
驚きしかない。千笠愉迦は自身の能力を完璧に把握しているように思われた。自分の能力の遣い方も、その仕様も分からない真綾からすれば凄いとしか言いようがない。
「…あたしも“これ”を、そういう風に遣えるようになれるの?」
「んー……すぐには無理かも。あたしはさ、物心がついた時にはもうこの能力があって当たり前だった。それでも無理やり鍛えられなきゃここまでにはならなかったと思う」
「誰かに訓練されたの?その、名付け親って人に?」
「その人がいた機関に、かな。あたしと花菜は小さい頃はずっとそこで育ったようなものだった」
「…花菜もなのね。全然、気づかなかった」
「アハハ、年の功ってやつかな。花菜、ホントは17歳だったからね」
「そうなの?」普通に驚く。
そう言われると自分より全然大人だったような気もする。子供の自分に合わせてくれていたのだろうか。しかし記憶の中の宮崎花菜の笑顔は、嘘とはとても思えない。
「あたしも花菜もそうやってさ…自分を偽って、人を騙して生きてきた。あたしは今もだけどね。マーちゃんみたいな顕現能力者を、1人でも多くあたし達の仲間に引き込む為に。でもマーちゃんはーー」
「仲間にって、その名付け親の機関にってこと?」
千笠の言葉を遮って真綾が問う。
その問いを千笠は真剣な顔で否定した。
「ううん、その逆。その機関を…潰す側の組織に」
突然テレビがショートして消えた。
照明が爆ぜた。キッチンでレンジが煙を吹き出す。
千笠愉迦の感情の昂りを表すような電気の暴走。
「あたし達はその機関、WISE.optって言う会社から脱走した逃亡者だった。そして今はその機関の大元のユピテルに反抗する組織に所属してる」
言葉が頭を素通りする。聞こえているのに、理解しているはずなのに、それに伴う感情が何も湧かなかった。
「…ユピテルってあの慈善団体の?…ちょっと待って…なんか話が大きすぎない?」
そんな真綾に対し、千笠は優しく微笑む。
「だよね。大きすぎてよく分からないでしょ。だから待つよ、マーちゃんがちゃんと理解して、自分でどうするか決められるまで。それにこの話は、他にも聞かせたい人達がいるの」
「他にも?その人達も顕現能力者ってこと?」
「もちろん。それにマーちゃんの知ってる人達だよ」
意外な言葉。
真綾がそれに反応する前にインターホンが鳴った。
咄嗟に警戒態勢に入る真綾を尻目に千笠は楽しそうに笑った。
「ニャはは、律儀なこと。あくまで正面突破ってことねえ。嫌いじゃないけど愚かだニャー」
千笠は真綾に「びっくりさせてやろ」と耳打ちして玄関に向かった。開けるつもりだと分かって、真綾は一応死角に入った。まだ千笠愉迦を本当には信じていない自分を罵りながら。
「鍵は開いてるよ。勝手に入って」
僅かな空白。
その後で静けさを打ち破るように扉が蹴破られた。
千笠の鼻先をドアが掠める。ちゃんと扉の幅を計算した立ち位置。彼女は微動だにせず扉の先の2人組を見つめていた。
お互いに目が合う。
相手の意外そうな顔に千笠が微笑みで返した。
一転して不敵な顔が表れる。さっきまでの無邪気さが嘘のような荒事に馴染んだ顔。ずっと顔を隠したまま暗闇をさ迷っていた、自分にはできない顔。
「待ってましたお2人さん、ちゃんとメモを読んでくれてありがとう。俺があんたらの追ってきた“チャット”だよ……性別に関しては認識を改めることをお薦めするニャ」
千笠愉迦の向こうにある顔。
もう会うこともないと思っていた儀依航と、唯一花菜の件を真剣に考えてくれた刑事。
体の力が抜ける。情けないと思いつつも、真綾は2人の姿を見て、ようやく本当に安心したのを実感した。
ー5ー
突然“撃ち抜かれた”感覚。
切宮一狼は脳髄に生まれたその感覚に抗い、倒れそうになる身体をギリギリで堪えた。
「…天ヶ瀬の野郎、礼儀ってもんを弁えねえのか」
完全に独白の愚痴だが言わずにはいられなかった。たしかに便利な能力だが、その度に頭を撃ち抜かれる感覚を味わうのは苦痛でしかない。
「どうしたの?」
ベッドの下に位置する女が言う。そんな事を気にする余裕もないくらい、切宮にとっては衝撃的な“伝達”だった。
「狗井が死んだだと…?」
「誰それ」
狗井が率いる屠殺集団の壊滅、その幹部達の敗北、逃走、離散。お互いに狙い、狙われての市街戦の果てに1人の顕現能力者によって精神を破壊された。その過程の映像がまるで見てきたように切宮の頭に再生される。
「実際に天ヶ瀬の見たもんじゃねえな…あいつにここまで目標に接近し、気づかれない技術はない」
いや、自分にも、他の誰にも不可能だ。狗井を壊したこのガキ…男か女かすら定かでない人物を間近で捉えた視点。こんな近距離に接近できる人物など、切宮には1人しか思い浮かばない。
切宮はベッドから下りると自分のQPDA端末を手に取る。
「なあに、もうしないの?」
「服を着なよ。そういう気分じゃなくなった」
自分のボスへの発信。ワンコールもせずに出る。自分が掛けてくるのを待ち構えていたのだと分かる。
『“伝達”は届いたようだな、切宮』
「あのガキは何者だ?なんで狗井とやり合うことになった」
『元はと言えば君のせいだが、言ってなかった私も意地悪だったかな。それに狗井君も』
「どういうことだ」
『宮崎花菜の一件が思いもよらぬ派生を生んでいる』
「“寓話の住人”だと?そいつはだいぶ前に仕留めたはずだぜ。たっぷりと“俺の趣味”に付き合ってもらってな」
『実は彼女は死んでなかったんだよ』
「…ほう。あの状態で生き延びたと。そりゃすげえ」
切宮は軽い驚きを覚える。しかしそれ以上に自分の食指がざわつくのを感じた。
『彼女はお前の拘束から自力で抜け出し学園の寮に戻った。そしてご学友に命を救われていたようだ。とは言っても瀕死の状態で回復の見込みもなく、以来半年以上植物状態だ。だが…面白いのはここからだ』
面白いこと。さらに食指を刺激する言葉。
『なんとそのご学友は大変宮崎と仲が良かったようでね。その犯人、つまり君とそれに加担したスローターズへの復讐を開始した。どうも意識を無くす前に、宮崎から僅かなキーワードを得ていたらしい』
「ねえ、わたしもう帰っていい?つまんない」
服を着込んだ女を引き寄せる。そしてその耳元に囁く。
「待ってくれ。急にムラムラしてきちまった……電話が終ったらもっといいことしようぜ」
女は下品に笑うと切宮を「変態」と罵った。そして再び服を脱ぎ出す。
『彼女は都市の裏側に住む者を手当たり次第襲い、君とスローターズの居所を聞き回る怪人となった。狗井君もそれを知っていたが君に伝えるほどのものでもないと結論付けたようだな。バルーンもチャットも、カマキリも合意の上だったようだ』
「それで?あのガキがその“ご学友”か?」
『顔は同じだが別人だ』
「あん?」
『彼は宮崎の学友の兄にあたる。全然違うベクトルからスローターズに辿りついた新たな反抗勢力のメンバーと言っていい。直接お前に復讐を望んでいるのは妹の方だな』
「その妹は?」
『風船と相打ちになり、雑談魔に攫われて以来消息不明だ。だが私の予想ではチャットは元々君達の側には立っていない気がするぞ』
「あのひ弱そうなガリガリ野郎が裏切ってると?」
切宮は一度会ったきりのチャットの姿を思い出す。病的に痩せたなにかの中毒としか思えない引きこもりの男。その癖口だけはよく回る男だった。
『その男がそもそもダミーだ。昨夜私が見たチャットは至って健康的な普通の男だった。しかもその男の住所を調べたら、なんとバルーンの隣人だったよ。どうやら何らかの方法で他人を操る能力を持っているようだ。つまりチャット君も顕現能力者だったと言う訳だ』
「ふふ…それで?」
思わず口から笑みが零れた。
なんだ、知らないうちに色々と楽しくなってるじゃないか。
『その男も彼らの拷問部屋を出てからは所在不明だ。つまり明らかに私の追跡を躱す方法を知っている。過去に我々と関係した誰かと見られる。ふふ…そんな奴が多過ぎてとても特定できないがね。だがおそらく、彼女とチャットは結託したと見ていいだろうな』
「ボス、その兄妹の名前を教えろよ」
「呼称名心象回路の背原真琴。妹のほうは真綾と言い、こちらも直近で能力を発現した。今やどちらも、君を狙う顕現能力者となった」
切宮は急に笑いだした。身体を震わせて膝を叩き、呼吸が苦しくなるまで笑い続けた。
『知らないうちに人気者だな、切宮』
「ハハ!はあ…全くだ、腹が痛いよ。ふふ、ふふふ…!」
裸身のままでのっそり立ち上がる。その姿は狗井よりも遥かに獰猛な野生味があった。
「で、狗井の死体はどうすんだ?まだ利用価値がありそうな口ぶりだったが」
『彼らも呉羽と蔵人の舞踏会に飛び入りする。その時のダンス相手に使おうと思う』
「もちろん俺も参加していいよな?まさかこんな人気者を除け者にはしないだろう?」
『彼らへの招待状にはお前の名前を載せておいた。当然お前にダンス相手を務めてもらうぞ』
「ありがとよ」
切宮は九龍から時間と場所を聞くと通話を終えた。
「ねえ終わったの?こっちは準備万端だよ」
裸の女がベッドから甘い声で呼んだ。
「いいや。やっと始まったようだ。俺のこの街での遊びがな」
そう言うと切宮は女に躍りかかるように跨った。
さっきまでと打って変わり力が漲った切宮の動きに女は嬌声を上げ続けた。
その命が終わるまで。




