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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
4章 〜流滞/ロンド〜
14/24

4-1 spiral rondo

 






-1-






 一般人、警官、兵士、そして彼らの誰かからの緊急連絡を受けた救急隊員を織り交ぜて、上座市最大の映画館前は大混乱となっていた。


 一時的に視力を奪われた彼らは、今はもう元通り見えるようになったようだ。まったく、こんな大勢の罪なき人々を巻き込むなど、橘直陰(タチバナ・ナオカゲ)の大胆さには困ったものだ。


 もっとも、そんな事は自分に言えた義理ではないが。


 その混乱の人混みを冷笑を浮かべて見ながら館内に入る。中には誰もいない。もう外の連中は爆弾騒ぎなど忘れてしまったのだろうか。まあ自分に害のない爆弾より、実際に害のある視力喪失の方が誰にとっても大問題だろう。人間として当たり前の反応だとは思う。

 2階に上がり、ずらりと連なるホールの入口から、迷うことなく中央辺りの一つに入る。その中は狗井という男の血で薄赤く照らされていた。ついさっきまで背原真琴(ハイバラ・マコト)が、ここで狗井を蹂躙していた。緩やかなスロープを下りた正面の壇上には跪いた姿勢のまま、狗井の亡骸が取り残されている。


 精神的な死を迎えた、切宮お気に入りの子飼い(ファミリア)の末路。


 だがまだその肉体は生きているはずだ。


 近づいて触れると確かな心臓の鼓動が感じられた。血涙を流す眼を覗いて見ると、もはや器官としては使いものにならないのは分かった。


「だが君にはもうひとつの眼があるだろう?狗井君」


 九龍隼人(クリュウ・ハヤト)は潰れた狗井の眼を覗きながらそう問い掛けた。当然反応はない。狗井勇吾(イヌイ・ユウゴ)の精神と呼べるものはもうそこには残っていない。


 端末を発信する。相手はほとんど間を置かずに出た。

「切宮に伝えてくれ。お前の使い魔(ファミリア)の亡骸は、有効に使わせてもらうと」

『死んだ事を伝える前にですか?』

「亡骸と言ってるんだから死んだ事も伝わるだろう?会話が短くて済む」

『私が切宮を嫌いな事を考慮してくださった上での判断なら感謝します。でもそれなら直接伝えてくれるとなお嬉しいのですが』

「アイツは私からの着信に出ないんだよ。だから君に頼むのが一番間違いないと思った」苦笑しながら言い訳をする。天ヶ瀬(アマガセ)の切宮嫌いは筋金入りだ。

「なら用件だけを一方的に、有無を言わさず“撃ち込んで”おきます。嫌でも気づくでしょうから」

「頼んだ」

 通話は切れた。九龍は端末を仕舞うと再び狗井を見る。

「これで彼にやられた“顕現能力者”(インカーネイター)は2人目か。しかも肉体はそのままに精神だけ壊すことができる能力とは・・・」

 もしこれで狗井が自分の予想通りに“動く”とすれば。


 九龍の口が吊り上がる。


「使えるな」


 そう独りごちた後、狗井と九龍は黒一色に染まった。


 そうして溶けて無くなるように、一瞬でその場から消えた。







-2-





 マコトが目を覚ましたのは、ようやく慣れてきた地下基地(セメタリー)のベッドの上だった。耳に制御装置(ピアス)の感触を感じた。


「目が覚めたか、よかった」

 ベッドの脇にアオイがいた。しかし安心した緩んだ顔はすぐに曇った。その表情の変化だけで、マコトはその理由を悟った。

「マヤは見つからなかった?」

「⋯一歩遅かった。確かにあの狭い地下にいたみたいだが、俺達が着いた時にはもうもぬけの殻だった⋯悪い」

 それだけ聞くとマコトはベッドから起き上がった。

「大丈夫か急に起きて」

切宮一狼(キリミヤ・イチロウ)って知ってる?」

「⋯誰だって?」

 アオイには聞いたことのない名前だった。

「マヤの敵らしい。今の僕には顔もはっきり分かる。でもどこにいる?どうやって探せばいい?」

「お前が何言ってるか分からん⋯やっぱまだ起きない方が」

「狗井の情報だよ。あいつの持ってたマヤ⋯というより“切り裂き魔”(リッパー)に関連した情報をもらった」

「リッパー?⋯お前、一体何を知ったんだ」


「俺から説明する」


 振り向くとタチバナがいた。まだ痛むのか目を閉じたままで、その肩をイオリが支えていた。

「マコちゃんアオイさん、なんかおひさ。スローターズ引きつけるだけのはずが、なんと全滅させてきたぜ」

「全滅って⋯マジかよ?」

「マジマジ、んで帰ってきたら労いの言葉もなく、早速このメガネに肩貸せって言われてよお。どう思う?」

 その後ろからこちらを覗く人影があった。金髪、短髪の、イオリと同じ白ずくめの中性的な顔立ち。アオイはその顔に見覚えがあった。

「⋯ああ、確かマキちゃん?」

「ちいす」

 何度かしか会ったことがないが、たしかに覚えている。イオリの率いるギャング集団“ロボス”のサブリーダーであることと、マキという名前しか知らないが。まさかそんな無法集団に女がいるとは思っていなかったので、アオイは大いに驚いた記憶がある。

「一応終わったんでタチバナさんに報告しに。ここにいりゃいつかは会えると思ったんで」

 そのタチバナは近くの椅子に身を投げ出すように座った。

「ちょっと聞こえちゃったんすけど、リッパーってあのリッパーですか?」

「知ってるのか?」

「割と有名人すよ。ギャング狩りって呼ばれてる黒ずくめのナイフ使い、だったかな」


「それが背原真綾(ハイバラ・マヤ)だ」


「なに?」

「友人の復讐の為、夜の街でそれらしい輩を襲いまくる通り魔、その正体がマヤだ。そしてトレードマークの黒いコートを、あいつに渡したのは俺だ」

 マコトの顔がタチバナを見つめていた。盲目のタチバナにもそれは気配で伝わっている。

「マコト、この話が終わったら俺のことは好きにしていい。どんな理由にせよ、俺がお前に嘘をついていたことは事実だ」


「話してみて」

 淀みない返答。それを清々しいと感じる自分がタチバナにはおかしかった。


 少しして甲斐周安(カイ・チカヤス)とその部下達もセメタリーに戻ってきた。彼らは今日の文化会館(カルチャーホール)の詳細、そして望みが薄いと分かっていながら背原真綾の行方まで、街で情報収集をしてくれていた。


 全員が揃ってタチバナに視線を向ける中、タチバナは徐ろに語り出した。

「宮崎花菜は知ってるか?」

「リッパーの聞き回っていた名前のひとつ。でも途中から聞かなくなった」

「それがマヤの友人で、切宮って奴に暴行された被害者だ。マヤはおよそ一年前のある日、同じ寮だったその子が瀕死で倒れているのを発見した。それが全ての始まりだ」



 宮崎花菜はマヤが発見した時、まだ意識が残っていた。涙と血で汚れた宮崎がマヤの問い掛けに対し答えた僅かな返答(キーワード)。それがキリミヤ、スローターズの二つだった。

「マヤが救急車の次に電話したのが俺だった。まだ宮崎を抱えたままだったと思う。あいつは俺にキリミヤとスローターズの特定を依頼した。俺は条件付きで受け入れた」

「条件って?」

「もし特定できても直接手は出さず、警察に連絡すること。俺が危険だと判断したらそこで終わりにすること。だがキーワードの特定は思いのほか困難だった」

「ナオ兄でも分からなかったの?」

「キリミヤもスローターズも一年前は存在すら怪しいくらい影も形もなかった。スローターズの名が明記されてたのは唯一奴らの悪趣味なサイトくらいだった。それに焦れたマヤが始めたのがギャング狩りだ」

「あんたがそれを許可したのか?」


「そこだ」


 タチバナが煙草に火をつける。その片目だけが薄く開いた。

「俺は許可した覚えはない。だが“いつの間にか”そういうことになってた。余市と共にマヤの装備を手配し、武器を渡し、定期的に連絡を取り合った。あいつはすぐ連絡しなくなったが」

「いつの間にかって⋯記憶がない、のか?」

「信じられるか?この俺が自分の決定を忘れるなんて。しかもその違和感に気付いたのもついさっきだ。取り返しのつかない状況になって、ようやくおかしいことに気付いた。まあ信じるも信じないもお前ら次第だがな」

 …おかしい。タチバナの言っていることが本当なら、肝心の部分がはっきりしないままだ。ただ状況だけ見ると、すべてマヤの望んだ通りに事が運んでいるように感じられる。


「ナオ兄の言いたいことが分かった」マコトがあさっての方向を見ながら確信的に言った。「マヤは僕とは逆のタイプだ。僕は他人のことなんかどうでもいいけど、マヤは他人の為なら“自分のことはどうでもいい”と思えるタイプだ」


「なに、なんの話?マコちゃんの妹さん?」イオリとマキはついて来れてない。そもそも状況が分かってないだろう。2人はマヤに会ったこともないのだ。

 アオイには分かった。タチバナの言わんとする可能性が。僅かな手掛かりながら、感覚的には間違いない気がする。


「マヤちゃんも、顕現能力者(インカーネイター)か?」


「おそらく。きっと本人も気付いていない。マコトの言う通りなら、きっと自分じゃなく周りに作用する能力だ。状況からして、俺はマヤに頭を弄られた可能性が高い」

「人の考えを操作するってことか?」

 簡単に言うが、それはとんでもない能力ではないのか?


「でも問題は解決してない⋯マヤがどこに連れていかれたかは分からないままだ。スローターズがキリミヤと繋がってるなら、そいつに聞くのが一番早いと思ったんだけど⋯」


「あの、ちょっといいですか?」

 甲斐が会話に割り込む。このセメタリーでは初めてのことだ。彼はいつも自分を影かなにかだと信じて疑わないのではないかと思えるほど、徹底的な裏方役を務めていた。

 その甲斐の発言。

「今日の文化会館での地方物流会議ですが、それに参加する者のリストを作成していました。実はその中に、今聞いた名前が…」

 言いながらA4の紙を机に置く。全員がその紙に目を落とし、ずらりと並んだ名簿を読んだ。予想はしていたが錚々たる顔ぶれだ。


 市長四条巽(シジョウ・タツミ)、特別顧問九龍勇人、呉羽商工会代表、蔵人協同組合取締役⋯


「あ、ここ、ここです!」

 甲斐が指さしたのはそのずっと下の方だった。全員の視線がそこに集まる。


 切宮一狼。


 なんの肩書きも役職もなく、ただ名前だけが一番下に記載されていた。まるであとから足されたように、ついでのような感じで。


「この人物だけ詳細が分からないままです。役職、所在、ネットの中まですべて調べましたが何も分からなかった」

「九龍の悪戯だな。俺達を誘ってる」

「でも行くでしょ。これ、絶対マヤに繋がってる」


「もちろんだ」

 アオイとタチバナが合意する。罠だろうがなんだろうが、そのすべてを突破する覚悟だった。いつの間にかこちらの攻勢が相手に引きずられる形になっている。だがそれも関係ない。


「やっと本格的な戦争か?望むところだぜ」


 不本意ながら、そのイオリの発言が一番的確に的を得ていた。






-3-






 泣き腫らした目が痛かった。その痛みで目を覚ますと、景色がまた見たことのない場所に変わっていた。


 相変わらずの手足の拘束。食い込んだ結束バンドが痛い。兄の顔がフラッシュのように浮かぶ。それだけで背原真綾の意識は完全に覚醒した。


「⋯起きたみたいだぜ、“猫さん”」

 猫?知らない男の声が間近で聞こえる。目を開けるとすぐそこに男の厳つい顔があった。その額に十字の疵痕。真綾は身をよじって距離を取り上半身を起こした。

「やっと起きたあ、マヤちゃん。もう朝だよー」

 またしても知らない女の声。甲高いがどこか甘えるような猫なで声、というのだろうか。その方向に顔を向けると、やはり知らない少女がいた。

「二度目の初めまして、だね。ここはあたしのセイフハウスだよ。ようこそ我が家へ!なんつって」

「二度目⋯?あなたと、会ったことが?」

「つれないなあ。昨日は2人でお楽しみだったじゃない?」

 その口が綺麗な三日月型の笑みを作る。その近似した笑顔は、昨夜真綾が嫌というほど見せられた笑顔だった。

「⋯チャット⋯!」

「ご名答」

 語尾に音符が付いたような弾んだ声。彼女はキッチンのカウンタで食事中だった。その周りには数人の男達がいて、どの男の額にも十字の傷があった。

「ホントはここにいる全員に会ったことがあるはずだよ?なんてったって彼らの傷はマヤちゃん?あんたが刻んだ刻印でしょ?」

「⋯覚えてるわ」

「へえ、ホントに?」

「目の前のこいつは2か月前にあたしが質問した男。あなたの横の人は、その時もこいつの横で立ってるだけだった。後ろの3人は右から半年前、二週間前、3ヶ月前。どいつも何かの取引をしてた」

「⋯合ってんの?」

「あ、ああ」男の1人が頷く。他の連中も驚いたようだ。自分でもなぜそんなにはっきり記憶しているかは分からない。


「おい“雷猫”(ライビョウ)、先に俺らの用事を済ませていいか。いいんだろ?やっちまって」

「あぐぁ!」

 目の前の男が真綾の髪を乱暴に掴み引っ張りあげた。

「いいよ、できるもんなら」雷猫=チャットの簡単な返答。男らが真綾に近寄り、暴れる体を抑えつけた。

「まさかこんなガキの、しかも女にやられてたとはな。あんまり気分のいいもんじゃないが“借り”は借りだ。きっちり変えさせてもらうぜ」

 そう言いつつ懐から取り出したナイフを真綾の顔の前に持ってきた。

「⋯仕返しのつもり?⋯くだらない⋯!」

 絶対に嫌だ。それは花菜に捧げた印なのだ。それが自分に刻まれることはその証の存在意義を否定するのと同じだ。

 今までの行為が、本当に何の意味もなくなってしまう気分。まだ切宮一狼の顔すら自分は見ていないのに。 

「ああそうさ、くだらない意地だ。だがこんなモン刻まれちゃ裏の世界じゃ笑い者もいいとこだ。ましてやガキになんて⋯!」

 額に刃の感触。


 まだ、まだ終われない。何もできずに泣き寝入りするのに抗って、自分で決めた決意(わがまま)


 その贖罪を受け容れるには早すぎる。


「マヤちゃん?説得するなら本気出さなきゃだね。マヤちゃんにはその力があるって、花菜も言ってたよ」


「え?」

 耳を疑う言葉。雷猫と呼ばれた少女を見る。頬杖をついてマヤを見ている猫のような目は真剣な眼差しだった。


「やって見せてよ、花菜にやったようにさ」

 花菜にやったように?


 その時だった。真綾の心の奥底から何かが浮き上がった。それは自分であるが根本的に異質な、言うなれば新たに発見した自分だった。

 前にも感じた記憶のある感覚。タチバナを説得した時、余市に無理を通してもらう時、最近では儀依航(ヨシイ・ワタル)と交渉する時。

 自分では必死な気持ちの表れだと思っていた。だがこうしてはっきりと自覚した感覚は、説得などよりもっと強い意志の力だ。


 強制力。その言葉がぴったりだ。


 その意思が跳ねるように身体から飛び立つ。真綾の身体から顕れたのは、夥しい紫の“蝶”の群れだった。


「なんだこりゃ!?」

 男達が驚いて離れる。そんな男達に蝶の形を象った粒子が無数に纏わりついた。恐れる男達はその瞬間電気が走ったように行動停止する。


 苦悶の叫びが上がり、しかしそれもすぐに収まる。男達は不思議な表情を浮かべながら頭を押さえていた。

「⋯俺は何をしようとしていた?」

「ああ、なんで⋯こんなことしようとしてたんだ?」

「子供相手に大人げなく⋯」


 雷猫の顔が愉快そうに笑みを浮かべる。

「なるほどね、花菜⋯こりゃあたしかに反則だわ」


「猫さん、俺やっぱやめとくわ。復讐なんて気分が悪い」

「俺ももういい」「俺も⋯」


「うん分かった。でもあたしらの顔を知っちゃって、そのまま帰れるとか思ってる?」

「へ?」


 雷猫が指を男に伸ばした。その空間に電気が走る。男は頭を灼かれ、一瞬で意識を失った。男らが呆気に取られる間もなく、雷猫は次々と全員を眠らせていった。


 自分の能力にもこの場の状況にも置いて行かれた格好の真綾はただ呆然とするばかりだ。そんな中雷猫は軽いステップで真綾に近づくと、なんとその拘束を解いていった。

「ごめんねマヤちゃん昨日から。ただどうしても確認取れるまでは油断したくなくてさ。もう酷いことしないから、ね。許しておくんなまし」

「あなたスローターズじゃないの?それに昨日の男は⋯」

「あれはまあ代理の身体みたいなもん?ちょっと借りてただけだよ。あたしはね、“二重スパイ”なんだよ」

「⋯花菜のことも、知ってるの?」

「うん⋯花菜はあんなことになっちゃったけど、それも意味があったことなんだ。ね、そういうことも含めてゆっくり話そう?あなたの知らない花菜のこと、教えてあげる。だからあたしにもあなたの知ってる花菜を教えて?」

 彼女は立ち上がり、真綾に手を差し出した。


「あたしは愉迦。千笠愉迦(チカサ・ユカ)だよ。裏社会じゃ雷猫とか猫足(キャットウォーク)って呼ばれてる」

「あたし⋯真綾。背原真綾」

 真綾は手を取り、千笠に引っ張られ立ち上がった。2人とも同じくらいの身長だった。ぼろぼろで黒ずくめの真綾を改めて見て、千笠は目を細めて猫のように笑った。


「まずは着替えだね。なんか可愛いの探そう?」





-4-

 






 呉羽良造クレバ・リョウゾウは朝早くからの大物の来訪に顔を顰めていた。普段ならまだ夢の中にいる時刻だ。ほとんどの雑務は既に息子らに引き継ぎ、自分が表立って動くことはとうに無くなっていた。だがそれでも自分がカンパニイの代表である以上、自分以外に応対は任せられない。それだけの大物だった。おそらくこの街で最上級の。


「や、こんな早朝にわざわざ御足労頂くとは⋯」

「こちらこそ申し訳ない。ご迷惑を承知でお伺いしました」

 市長四条巽。その後ろに見たことのない赤毛の外国の若者。無言でこちらに頭を下げる彼は、自信に満ちた笑顔を浮かべていた。⋯気に食わない。まるでこちらの反応を窺うような視線が呉羽の気に障った。

「ご紹介しておきましょう、こちらはユピテル(JUC)より派遣された経済特別顧問、ルカ・ルドウィグ・ハラー氏。街がこんな閉鎖状況なのが残念だが、これからの経済モデルを担う若手の第一人者です」

「お目にかかれて光栄だ、ミスタ・呉羽」

「おおこれは⋯日本語がお上手ですな」

 2人は固い握手をする。特にルカは両手で呉羽の手を握った。何やらやたら期待を掛けられている気がする。しかし何に対して?

「話は今日の物流会議の件に関わることで?」

「その通り。さすがお察しがいい」

「そこに蔵人の方々も顔を出されると聞いております。第一回ではお恥ずかしい所をお見せした」

 やはりそのことか。一体何が狙いなのか。呉羽と蔵人が犬猿の仲だというのはとっくに知っているはずだ。暴力団時代からずっと反りの合わないままの二組を、また顔合わせさせるからには何かの意図があって当然だろう。

「御心配なく。あの時のような失態は金輪際ないとお約束できますぞ」取り敢えず無難な言葉を選ぶ。しかし2人は意外にも落胆した表情を見せた。

「⋯なにか?」

「いやあ、なにか言いづらくなってしまったが、実は我々は今回まったく逆のお願いをしに伺ったのですよ」

 何を言っている?逆とはどういうことだ。

 赤毛のルカが身を乗り出す。

「貴方も当然この街の本当の食糧事情は知っておいでですね?」

「それは⋯もちろん」

 上座市の真の食糧⋯いや、経済全体の事情と言える真実。


 それは“過剰”だった。


 遺伝子操作によるクローン培養技術が確立された今、この街の生産ラインは、物の過剰生産という問題を生んでいた。人々の需要を、供給側が遥かに追い抜いてしまったのだ。それでも生産が続き、夥しい数の廃棄を行ってもなお経済が成立するのは、ほぼゼロに近いコストの低さとリサイクル技術、廃棄物処理技術の飛躍的な向上のおかげだ。結論から言うなら、この街ひとつを賄うなら、呉羽商工会一社があれば問題ないとはっきり言えるくらいの生産力がある。しかもそれは、呉羽だけでなく今ある会社すべてに言えることでもあるのだ。


 ⋯まさか。


「ならば私がそれらを縮小しようと思うのは、むしろ当然だとご理解頂けますね?」

「なにを言う!」

 呉羽は憤慨して立ち上がった。

「それは生産性とは別の問題だろう!我が社が何名の社員を抱えているとお思いか!彼らに賃金を払うには今より生産を減らす選択など有り得ん!」


「まさに今日はそのお話なのですよ、代表」


「何じゃと⋯?」

 こいつらは何を言っているのだ。会社を潰す相談をその経営者としに来たとでも言うのか。⋯いや、だからこそうちに来たのか。呉羽の前身を知っていて、それを活用する為に?

「あなたが今想像されている通りですよ。私はね、ギャングというものも経済の枠内で考えている。彼らがいなければ市民権を得られなかった職業がいくつもある事を知っている。エンターテインメントなどは正にその典型だ。ギャングの活躍無しに芸能という職種が今の地位を得ることは無かった。その裏に口にするのも憚られる工作がなければ、芸能はここまで利益を生み出す存在とはならなかったろう」

 呉羽は捲し立てる赤毛の言葉に逆に冷静になり腰を降ろした。この男の言葉はいちいち正論だ。つまりこの男の言わんとする提案は、呉羽商工会にとって悪いものでは無い、ということか。


 市長が変わらぬ笑みで言葉を引き継ぐ。

「その裏工作に関して言えば、我々などより呉羽さんの方が専門だ。長くなったが平たく言えば、そのノウハウを存分に活かして経済の最適化をお願いしたいのです」

「⋯しかしそれには血が伴いますぞ」

「無論。だからこそ我々は事前にこうしてお願いに来たのです。さすがに議場で声を高くしては言えませんので」

「そしてこの提案は蔵人の取締役にもお願いしております」

「⋯!」

 なるほど、一瞬頭に血が昇りかけたが、効率的に行こうということか。頭がひとつより、ふたつあれば併合は早く、それ以外の者もまとまりが早い。

「熟考させて頂く」

「よかった。もちろん我々は大まかには目を瞑ります。今後とも連絡を取り合いましょう」


 2人は最後まで笑顔だった。しかしその内容は有り体に言えば混乱の助長だ。内々にとはいえ、呉羽商工会と蔵人協同組合の潰し合いが認められたのだ。


 呉羽は1人になると早々に電話を掛けた。

「儂だ。息子達に集まるように伝えてくれ。⋯うん、緊急だ。何をおいてもすぐにこいと伝えろ」



 この街の閉鎖。薄々とは感じていたが、やはり管理者の暗躍があったのは間違いない。この街はおそらく、自分が生きている間に開かれることはないだろう。


 呉羽はため息をつくと、窓の外の変わらぬ景色がやけに愛おしく感じた。






-5-

 






 早朝の上座中央病院に黒いロングコートを引きずるような男が表れた。長髪が風もないのに燃えるように揺らめいている。その目は長い前髪で隠され、全く見えない。


 そんな男がロビーを歩いているのに誰も気に止めもしない。患者も、看護師も医者も、すぐ横を通り抜けても見ることさえしなかった。まるでその男など存在しないように。誰からも顧みられることなく、男の方も誰を見るでもなかった。


 2階、集中治療室(ICU)に入る。そこにももちろん病院関係者がいるがやはり誰も気に止めない。男は迷うこと無くその中の一室に入り、その中に座るくたびれた女に、初めて目を向けた。

「……あら。お久しぶりです」

 女は会釈した。男も気持ち頭を下げる。その室内の主役⋯宮崎花菜の方を向き、その顔を見下ろせる位置まで近づいた。

「確か⋯榊さんだったかしら。娘の部活の顧問の方、でしたわよね?でもうちの子、部活なんてしてたかしら?ごめんなさい、近頃ぼうっとして、ホント物忘れが酷くて⋯いまお茶を頼んできますね」

 チューブに繋がれた少女を見る。その顔は青白さを通り越し、もはやどす黒いとさえ言える。無理矢理呼吸させられている、という感じで、機械の酸素の出し入れに胸が引っ張られているのが分かる。

「どうなるか分からんな。例え“補填”したとして、一度壊れた精神が戻るかどうかは不明だ⋯」

 だが真綾が顕現能力を発現させた今、この少女にこれ以上苦痛を強いるのは榊のルールに反していた。ずっと真綾の意思に反してこの少女に手を施さなかったのは、彼女がストッパの役目を担っていてくれたからに他ならない。

「戻れるといいな⋯だがそれは、お前次第だ、宮崎花菜。いや、“寓話の住人”(フォークロア)。お前の存在が真綾を支えていた。それは疑いようのない真実だ」

 少しの間その頬に触れていた榊は、その手を離すとすぐに病室を出た。




「お待たせしました、今⋯」

 暫くして戻った宮崎花菜の母親は、病室に入るなりお茶の乗ったトレイを落とした。

 一瞬の間をおき、起き上がった娘の姿に幽霊でも見たような悲鳴を上げ、そしてその体を抱きしめて泣き崩れた。

 当の娘はといえば、先程までの死にかけが嘘のように体に色が戻っていた。抱きしめられて動けない中、唯一自由な左手で頭の包帯を外していく。それはただ痒くて鬱陶しいだけだったのだが、鏡に写る自分の額に痛々しい傷が残っているのを見て、宮崎花菜は少しだけ悲しい気持ちになった。


 すぐに気を取り直す。


(感謝します、榊さん)


 宮崎花菜は窓の外を見る。すぐにでも会わなければならない。彼女が今どんな状況なのか、榊からの伝達だけでは分からないことが多すぎた。


「真綾⋯すぐ行くから」



 宮崎花菜は自分の親友を思い浮かべながら、彼女がまだ“手遅れ”でないことを切に願った。

 






 

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